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【末松広行・トップの決断】 西井孝明氏(味の素株式会社)

2030年までに世界10億人の健康寿命延伸に貢献

にしい たかあき/昭和34年生まれ、奈良県出身。同志社大学文学部社会学科卒業。57年味の素株式会社入社。平成21年人事部長、23年執行役員、25年取締役常務執行役員、ブラジル味の素社代表取締役社長、27年6月味の素株式会社代表取締役社長、令和3年6月より現職。
にしい たかあき/昭和34年生まれ、奈良県出身。同志社大学文学部社会学科卒業。57年味の素株式会社入社。平成21年人事部長、23年執行役員、25年取締役常務執行役員、ブラジル味の素社代表取締役社長、27年6月味の素株式会社代表取締役社長、令和3年6月より現職。

日本を代表する大手食品企業の一つ味の素は、従来以上に活動領域を世界規模に拡大、現在は、2030年までに「10億人の健康寿命延伸」という壮大なビジョンを掲げ、推進している。同内容は、昨年開催された「東京栄養サミット2021」においても、栄養コミットメントとして発表された。環境負荷を低減しながら常においしく、栄養バランスの取れた食事の提案を世界に発信し続ける同社の最新動向を、西井社長に解説してもらった。


味の素株式会社 取締役代表執行役社長 chief executive officer
西井 孝明氏
※役職はインタビュー(令和4年3月)時点


〝働き方改革〟の実践が功を奏す

末松 新型コロナウイルス感染拡大により、国民生活が大きな変化を余儀なくされる中、御社の社業にも大きな影響が生じたと思いますが、状況はいかがですか。

西井 弊社はおおよそ1兆1000億円くらいの年間売り上げを記録しているのですが、感染拡大の1年目の2020年度は3%ほどの減収となりました。背景としては外食産業向け食材の需要減が大きく響いています。

 一方、医薬用アミノ酸の需要が好調に推移したこと、急速に普及した在宅・オンラインワークの影響で弊社が製造する半導体原料の需要が急伸したこと、外食停滞の表裏で家庭内需が増加したこと等々、利益率が高い商品が伸びたことで結果として、過去最高の利益を記録しました。

 続く21年度は、コロナ禍におけるニューノーマル、すなわち家庭内需、健康志向増、オンラインワークが半ば定着したことで引き続き前年度の利益を維持しており、3月下旬現在、おそらく最高益を更新するものと捉えています。

末松 通常業務を進めていく上では、コロナによってご苦労なされた点もあったかと思われますが。

西井 はい、上流部分に当たる工場や物流を停止させるわけにはいかないので、この分野の社員を弊社におけるエッセンシャルワーカーと位置付け、最大限、健康に留意することで稼働を維持することができました。ごく短期間、ラインを停めねばならない事態は発生したのですが、数カ月にわたって現場を閉鎖するような事態を回避できたため、供給の停滞を生まなかったことが何より結果に結び付いたのだと思います。欧米やブラジルなど日本以上に深刻な被害に見舞われた国々では、そもそも食品を作れない期間が数カ月に及ぶ工場が続出したのですが、その中で弊社工場は部分的な閉鎖にとどめ基本的に生産ラインを継続できました。

末松 現場の稼働、ラインの維持については何らかの工夫を施したのでしょうか。

西井 やはりコロナ禍以前からの日本型健康経営を実践してきたこと、現場における衛生管理を平素から徹底していたこと、等々が緊急時に決定的な差につながったと認識しています。

 他方、事務部門では感染拡大時に出勤率を20 %に抑制するなど対策を強化しました。これについては2017年から掲げられた〝働き方改革〟を、弊社が積極的に実践してきたことが功を奏したと言えるでしょう。感染拡大初期の20年2月段階で既に、事務方の社員全てが在宅勤務できるよう整えておりました。全員がモバイル端末を自宅に用意し、ファイヤーウォールをかけ、会社のサーバーにアクセスできる体制を構築していたのです。従って在宅ワークへの移行は実に円滑に進みました。

末松 感染拡大初期段階では多くの企業が在宅ワークへの急なシフトに追われていたのと対照的ですね。

西井 〝働き方改革〟に加え2020東京オリパラ開催時にはオフィス出社を抑制する業務コントロールが要請されていましたので、それについても対応できるよう準備していたのが、今回の危機対応時に大いに役立ちました。健康経営とDX、これは将来を見据え先んじて取り組んでおくべきですね。

 〝働き方改革〟の実践をコストと捉える向きも少なくありませんが、私自身は帳合の合わない投資をしたとは全く思っていません。改革以前は一人当たりの年間勤務時間が平均2100時間だったのですが、改革後は2年間で1800時間に短縮できました。改革を進めていた頃、当時の安倍晋三総理にご来社いただいたのですが、改革によってむしろ社員一人の時間当たりの生産性が15%上がったと申し上げました。

末松 環境対応にも力を入れておられるとか。

西井 はい、本年3月上旬に〝ネットゼロ宣言〟を発しました。今後2年間、この具体化に向けて注力していきます。産業分野の中で食品会社はどうも脱炭素化の推進がやや遅れがちなので、その中では比較的早期に〝ネットゼロ〟を打ち出した方ではないかと思います。

栄養コミットメントを発表

末松 では、御社の歴史と理念についてご解説をお願いできましたら。

西井 弊社は今から113年前の1909(明治42)年に、東京帝国大学教授・池田菊苗博士が世界で初めてうま味調味料を発明、そして「味の素」と命名されたのを機に事業化したのが社業の始まりですが、もともとは当時深刻だった国民の栄養不良改善に寄与するのが目的でした。すなわち、滋味豊かな素材をおいしく食べることによって健康になろう、という理念が私たちのルーツなのです。

 これを源流として現在、アミノ酸をもとに〝食と健康の課題解決企業を目指す〟ことを、2030年を見据えたビジョンとして掲げています。事業を営みながら2030年までに環境負荷を現在より50%以下に低減させつつ、同時に世界全体で10億人の人々の健康寿命延伸に貢献する、というものです。20年まで10年ごとに策定していた各ビジョンはどちらかというとスケールを追求する内容でしたが、30年までのビジョンからは、より社会の公益性追求を色濃くする内容へと移りつつあります。

 その一環として、弊社は昨年12月に開催された「東京栄養サミット2021」に参加し、「栄養コミットメント」を宣言として発表いたしました。

末松 コミットメントの要諦はどのような点でしょう。

西井 ポイントとなるのは、〝妥協なき栄養〟という考え方です。これは「おいしさ」「地域の食」「誰一人取り残さない」という三つの項目によって構成され、この点を特に強調する形で宣言に盛り込みました。具体的には地域の生産者、流通事業者、NGO、アカデミア等各位と連携しながら、各地域の課題解決に取り組んでいくことを同コミットメントにうたっています。すると、この内容に対し、「非常に面白い」「興味深い」という反響を多々いただきました。栄養に関する取り組みというと、欧米ではスーパーフードの普及や加工食品の質の向上が前面に打ち出されがちですが、私たちは地域の食そのものを大事にしながら栄養バランスの改良を図ることに重きを置いています。

末松 「栄養サミット」は4年に1度各国で開催されますが、東京で開催が決まった段階で、御社は参画を決定されていたのでしょうか。

西井 弊社は以前からガーナで母子栄養の改善に取り組んでいたこともあり、貧困の解消を目指すGAIN(GlobalAlliance for Improved Nutrition)という国際栄養NGOと長年にわたる関係を構築してきました。この「栄養サミット」はロンドンで始まりましたが、ここで発信される内容はレガシーとして国際社会に継承される、と当初から理解していましたので、「東京栄養サミット2021」への参画も十分準備する時間がありました。

〝ジャパンモデル〟の確立を目指す

末松 実際に参画した感想などをお聞かせください。

西井 大変嬉しかったのは、ハイレベルセッションのクロージング・リマークスで小野啓一東京栄養サミット2021準備事務局長・外務省地球規模課題審議官が、うま味、だしを使って減塩効果が得られた、という旨のコメントをされたことです。これは、私たちがサミットに参画した最大の成果だと思っています。

末松 日本から世界の栄養増進に寄与する意欲を発信できたのは、非常に大きな意義がありますね。まさに東京で開催した価値があると思います。

西井 私はこの「東京栄養サミット2021」を、一つのマイルストーンにしたいと考えています。というのも、オランダ栄養アクセス財団(ATNF)という財団が、ESGの観点から各国大手食品企業の栄養評価に関するランキング「栄養アクセス・インデックス(ATNI:Access to Nutrition Index」を発表しているのですが、ここでいう食品は主に加工食品を主体とする欧米の食生活を指標の基準としており、当然それらの国々は上位に評価され、対して素材の調理を中心とする日本や東南アジアの食品は非常に低いランキングとなっています。しかし食品の栄養に関するインデックスは世界で今のところこれしかありません。

末松 確かに、加工食品だけで一日の食事を賄っていれば、一定の栄養は足りるかもしれませんが、それでは素材に調味料を加えて調理するという栄養摂取の良さが全く顧みられないことになりますね。

西井 はい、事実WHO(世界保健機関)が発表している国民レベルの栄養バランス評価では日本の食生活はトップクラスです。それ故現行のATNIの評価基準が問題であることを食品産業中央協議会とシェアし、ATNIは地域の食文化を大事にしながらどう栄養を改善していくか、という視点を持つべきだと考え、「東京栄養サミット2021」のサイドイベントにおいて、私から問題点の指摘と評価指標再検証の提案をさせていただきました。このATNIの指標ではランクが下がるため多くの日本企業が参加を敬遠し、現在参加している日本企業は弊社を含め3社しかなく、いずれも低い評価に甘んじています。この状況を改善し、ATNIに参加しながらも、素材と調理中心でも高い栄養評価が得られるような〝ジャパンモデル〟〝東南アジアモデル〟を確立するのが、私の当面の目標です。現在、国立健康・栄養研究所の津金昌一郎先生が、食品個々の栄養評価ではなく、消費者が食べるメニューごとに評価できるアルゴリズムを開発すべく、22年度から研究費を新たに予算化していただきました。食品個々をフォーカスすると、塩分量が多いから醤油は低評価となってしまいますが、料理の調味料として適量使えば評価が変わってくるはずです。

末松 確かに、消費者が食事として口に入れる状態になってからの栄養評価でないと意味を成さないと思います。

西井 和食は既に世界無形文化遺産に登録されており、その伝統や栄養バランスの良さなどは評価されておりますが、さらにエビデンスを付加して普遍的な価値を確立するよう、この「栄養コミットメント」を一つの契機にしたいと考えています。

「減塩とたんぱく質摂取」 に地域性を加味

(資料:味の素(株))
(資料:味の素(株))

末松 日本国内、日本国民を対象とするのにとどまらず、地域に目を配りながら「10億人の健康寿命延伸」を目標として掲げる点に、グローバルな視点を感じます。

西井 WHOは、世界共通の大きな課題として塩分の摂り過ぎを挙げています。地球全人口の20%、約16億人が、塩分過多を原因として健康を損ねていると。これを改善するのに有効な手段が、〝野菜をおいしく食べて減塩を実現〟することです。同時に、日本のようないわゆる先進国においても、実はたんぱく質が不足気味という傾向があり、地球温暖化の影響と人口増加に起因して2030年以降には〝たんぱく質クライシス〟が到来するとも言われています。特に高齢化にさしかかってたんぱく質が不足するとフレイル(虚弱)や認知症の遠因になる可能性があるとアカデミアからも指摘されています。このため弊社では現在、培養プロテインおよび二酸化炭素からプロテインを作る〝エアプロテイン〟等の開発に向け、コーポレートベンチャーキャピタルの対象として積極的に研究しています。

末松 技術開発については他にどのような研究を? 例えば、日本では日照不足故に進展が難しい藻類の培養なども海外では可能なのでは。

西井 組成のうち40%がたんぱく質でできているような水草の培養をイスラエルなどで展開しています。この例にとどまらず、どの原料をどこでどう作ればよりサステナブルなのか、さらに検討していく必要があります。また、ご指摘いただいた藻類の培養などは、地熱発電の豊富なアイスランドなどでは非常に進んでいます。

末松 塩分を減らす一方、たんぱく質はより多く摂るよう奨励する、この両立はなかなか難題ですね。

西井 それ故、私たちも、減塩とたんぱく質摂取を主な施策とし、そこに地域性を加味すべく、地方自治体と連携を図っているところです。

末松 連携はどのような状況でしょうか。

西井 本年3月末現在で39の府県と協定を結び、厚生労働省が各年度でデータを発表している国民健康・栄養調査の内容に基づいて、各自治体と栄養増進を進めています。例えば、2012年に岩手県が高塩分摂取であるとの結果が出たのを受けて、県と各自治体、社会保障関係の団体や病院、小売事業者さん等と連携し減塩のムーブメントを興した結果、近年では10%以上の改善が表れました。

 こうした成果を国内にとどめず、ベトナムやタイ、ブラジルなど世界各国で展開しています。