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【末松広行・トップの決断】 ちとせグループ 藤田 朋宏 氏

土壌測定に基づく『千年農業』の実践

末松 他方、国内では日本の農業を変革していく『千年農業』に取り組んでいるとのこと、その理念とあらましを教えてください。

藤田 農地や土壌の生態系を維持し、美味しくて栄養価の高い作物を持続的に作り続ける農業を、われわれは『千年農業』と呼んでいます。もともと日本は土壌が非常に豊かで、かつ日中の寒暖差も大きく年間を通じて四季があり国土が南北に長いという、付加価値が高い農業を営むのに適した国土です。確固とした産業基盤を有しているのですから、高付加価値の作物を国内だけでなく海外にも販売していくべきだと考えています。

 何より、日本の農地を豊穣あらしめているのは、土壌に含まれる微生物です。農業において重要なのはやはり土壌であり、農家の方々は、野菜作りは土作りで決まると皆さんおっしゃいます。ただ、土壌の中の微生物の働きは非常に複雑でそのメカニズムは長年ブラックボックスだったのですが、われわれは土にセンサーを挿入して微生物の状況を調べるなど、「健全な土壌」を科学的に測定し、把握することに成功しました。つまりバイオテクノロジーの観点から、土づくりを〝見える化〟したのです。

 この土壌解析技術を用いて、土壌の状態を評価し、それに基づいて持続的かつ高品質な農業を営んでいる農家さんを、「千年農家」として認証しています。

末松 なるほど、認証することで、農家の方々にとっても平素の農業がいかに価値あるものか再認識する契機にもなりますね。

藤田 はい、日本では大変優れた農業が展開されているのに、その価値がなかなか認識されず、むしろ海外からの作物輸入に走りがちな傾向があるので、この認証によって日本の農業の持続性維持に役立てればと思います。

末松 一般的には、良い土壌と言うと農薬や化学肥料を投入しない有機農法をイメージする向きが多いと思われますが、微生物の観点から見た土壌の豊かさは、それとはやや異なるのでしょうか。

藤田 農薬や化学肥料の有無を基準とするのではなく、現在の土壌の生物学的な状況を評価することが重要だと考えています。農地全体に対してわずかでも化学肥料を投入しただけで土壌の評価が下がったり、技術的に可能であるにもかかわらず弱っている苗に対するピンポイントの農薬散布も認めない、という過度に神経質な捉え方をするのではなく、トータルとして土壌の健全性が担保されれば経済的かつ持続的な農業生産が可能だとわれわれは思っています。十分に土壌の健全性が認められる基準を設定し、その認定を各地に広げていく、それが『千年農業』の要諦となります。

末松 実際にちとせさんが各農家に対しどのようなサポートを行うのでしょうか。

藤田 この『千年農業』は、国内に先立ちマレーシアで一足先に実践しています。あちらでは有機農業の意識が浸透しているとは言い難く、まずはわれわれ自身が土地を確保して農業に取り組み、クアラルンプールとシンガポールの市場に販路を確保して生産物を流通させてみたところ、一定の収益を確保するに至りました。そうすると地元の農家の方々もわれわれの手法を導入するようになり、その生産物をわれわれが買い取って流通に乗せるというサイクルを確立しています。われわれが作物を買い取るため地元農家も安心して新たな農業を行うことができます。この体制をマレーシアで構築したので、日本でも地方自治体等と協力し合いながら各地で展開を計ろうとしているところです。

末松 新規手法導入の余地があったマレーシアと異なり、日本では既に各地で農法が確立されているので、ここに新たな概念や手法を取り入れてもらうのはそれなりの難しさが想定されますね。

藤田 良い作物は相応の価格で買ってもらうべきですし、また卸においてもどの作物も一律同じ販路に乗せるのではなく、出来の良いものは別販路にするなど、既存の流通様式の見直しも求められると思います。

技術に、ではなく事業に予算を

末松 国内で各種、取り組みに先行着手している地域事例などはありますか。

藤田 今のところ、新潟県長岡市および地場産業の方々と連携し市全体を循環型のバイオコミュニティにしていく計画、山梨県北杜市や長野県茅野市など八ヶ岳山麓地域なども有機農業が盛んですので現地の八ヶ岳農業実践大学校などと組んで地元農業の支援を図る計画、バイオのヘルスケアに興味を抱いている香川県三豊市と包括連携協定を結んで腸内細菌の研究を行うプロジェクト等々が進行しています。他にもCO2の吸着に力を入れさまざまな事業を行っている佐賀県佐賀市など、各地域にそれぞれちとせの社員を派遣して、常駐で現地の関係者と一緒に仕事を進めています。

 やはりバイオテクノロジーは人の生活に密着しているので、ラボの中で完結するのではなく、地域の産業や自治体と組んで現場を舞台にしないと本当の意味で社会に広がっていかないものですから、そうした面的な広がりを目指して積極的に投資を行っています。

末松 ここまで培ってきた技術開発に対し、国の支援や補助金等の活用はいかがですか。また、支援に関するご要望などありましたら。

藤田 いままで述べてきた内容とは別に、バイオ医薬品生産用の細胞を作っているプロジェクトを、AMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)の予算数億円をもとに進めています。バイオ医薬品は世界中で約30兆円ほどの市場があるのですが、現在世界中で使用されているバイオ医薬品の生産に使われる細胞の権利は欧州の数社が保有しているため、バイオ医薬品を生産する企業は、彼らにロイヤリティーを払わなければなりません。日本国全体でみた場合かなりの額のロイヤリティーを欧米の企業に払っている計算になります。それに対しわれわれは現在、欧州既存の細胞より数分の1のコストで培養可能な細胞作りに既に成功しており、この細胞を世界中へ展開すれば世界中からロイヤリティーが日本に払われることになります。

 ただ私自身、内閣府の委員などに名を連ねて実感するのですが、予算の使途が細分化され過ぎて特定の研究にしか投入できないきらいがあります。研究成果をビジネスとして結実させようとするなら、より広範に予算を使えるようにする仕組みが求められますが、現実には一つの予算を投じたプロジェクトの成果をほかの分野で使ってはならない、とされているので汎用性ある具体化につながりません。非常に予算効率が悪いというのが率直な感想です。プロジェクトに支援をするのではなく、テーマ全体や課題解決のために予算をつけてくれたら、より現実的な成果に結びつけられると思います。

末松 今のご指摘、それでも以前よりは若干改善されている面があり、例えばAMEDが予算を管理しているように、各省ではなく内閣府が一括して予算を裁量するという点などがその好例です。とはいえ確かに、大同団結したはずなのですが一方で個別予算の枠組みも残っていて、なかなか調整が難しいところです。

藤田 どうも技術に予算を付けがちなのですが、本来は事業に付けるべきだと思います。技術へのフォーカスが過ぎると社会の需要と乖離していく恐れもあるので、もっと大元からガバナンスが機能する方向へ改革できれば望ましいのですが。

末松 お話を聞くと、藻類に対する注目度は浮き沈みがあったようですが、世界がよりSDGs への傾向を強めていく中で、今後は着実に成功が見込まれると思います。また近年、活力ある農業やバイオテクノロジーで活性化を図る地方自治体も増えていますので、そこにちとせさんのような企業の知見や技術を投入して、より具体性のある成果に結びつけられることを期待したいところです。本日はありがとうございました。

インタビューを終えて

 対談中、土壌菌や地中の微生物の働きは長らくブラックボックスだったところ、技術の進展で、近年急速に明らかになってきたとのお話がありました。であれば、土壌が良質な状態にあると認定できれば、必ずしも有機農業の定義に該当しなくてもそこは健全な農地である、と捉えるような枠組みなり基準づくりが必要な時期に来ていると思います。こうした新たな認定は行政上の基準に関わることですので、藤田社長が取り組む〝土の健康〟という新たな概念の浸透とともに、突き詰めれば行政の仕組みの在りようも考えていくべきでしょう。

 また、研究開発支援の予算使途の在りように関するご指摘は耳の痛いところです。個人的には各省に数百億単位で予算を預け、あとは各省の裁量で重点化したいテーマに集中的に投下させるべきだと思います。

 それによって経済産業省が厚生労働省的な事業に予算を投じようとも、農水省が経産省的な研究や事業に予算を投じようとも一向にかまわない、後の成果によって予算使途の適否を判断するといった枠組みが今後は求められるのではないでしょうか。

 他方、国内外の企業において新規ビジネスに対する意識の違いにも話が及びました。もちろん一定のリスクもありますがおおむね投資に対し積極的である外国企業に比べ、日本企業全体が、もう少し投資に対して勇気を持つようになると日本発のスタートアップももっと伸びると思います。
                                                (月刊『時評』2022年10月号掲載)




すえまつ・ひろゆき 昭和34年5月28日生まれ、埼玉県出身。東京大学法学部卒業。58年農林水産省入省、平成21年大臣官房政策課長、22年林野庁林政部長、23年筑波大学客員教授、26年関東農政局長、神戸大学客員教授、27年農村振興局長、28年経済産業省産業技術環境局長、30年農林水産事務次官。現在、東京農業大学教授、三井住友海上火災保険株式会社顧問、等。