お問い合わせはこちら

【末松広行・トップの決断】 ちとせグループ 藤田 朋宏 氏

未来を見据え、生き物由来の多角的サステナ ブル事業を展開

ふじた ともひろ/1973年生まれ、東京大学農学部卒業。ちとせグループFounder&CEO、内閣官房バイオ戦略有識者、京都大学特任教授。産官学のそれぞれの立場の視点で、日本と東南アジアから世界に向けて本格的なバイオエコノミーの実現・展開に尽力している。
ふじた ともひろ/1973年生まれ、東京大学農学部卒業。ちとせグループFounder&CEO、内閣官房バイオ戦略有識者、京都大学特任教授。産官学のそれぞれの立場の視点で、日本と東南アジアから世界に向けて本格的なバイオエコノミーの実現・展開に尽力している。

2011年に発足したバイオベンチャー企業群〝ちとせグループ〟は昨年、世界で初めて、藻類を活用して新産業をつくる日本発の企業連携型プロジェクト『MATSURI』を立ち上げ、長引くコロナ禍にありながら東南アジアを中心に、急激に発展を遂げている。サステナブル社会の形成に向けて国際的にバイオへの関心が高まる中、経済・社会の幅広い分野に活用が期待される藻類。その可能性に着目し、さらに国際社会へ活動領域を広げている藤田社長に、藻類の魅力とビジネス展望を語ってもらった。

ちとせグループ Founder & Chief Executive Officer
藤田 朋宏 氏

生き物由来のモノづくりという夢

末松 ちとせグループは創業して10年余りの若い会社ですが、既に藻類を中心とするバイオベンチャー群の中では国際的にも注目度の高い企業に成長しています。藤田社長がこの分野に関心を持ち、ビジネスをしてみようと思った経緯から、お願いできましたら。

藤田 私は子どものころから生き物が好きで、水槽を30個以上も並べていろいろな動植物を育てる少年期を過ごし、その頃から将来は生き物からいろいろなものをつくってみたいと考えていました。その延長で東京大学農学部に進んで研究してきたのですが、卒業段階ではまず世の中のお金の動きを理解する必要があると考え外資系のコンサル会社に就職、5年半在職し30歳目前になって年来の夢であるバイオのモノづくりに進むべく、品種改良の技術を活用するベンチャー企業に入りました。私は大学で進化学を専攻していたのですが、ちょうどそのベンチャー企業も進化学を研究された先生が創業したもので、私が入社すれば何らかの役に立てるのではないかと。これが現・ちとせ研究所の前進にあたるネオ・モルガン研究所です。

 この会社は私が入社する2年前の設立なのですが、入社後も低空飛行が続き、そこへ08年にリーマンショックが起きて、いよいよベンチャーキャピタルが同社をつぶそうとするところまで追い込まれました。そこで私が会社を買い取る決断をし、方々から借金して1億4000万円の現預金と同額で会社を買った次第です。その後1年で経営を黒字化させ、いよいよバイオのモノづくりに本腰を入れるべく11年にシンガポールに統括会社を設立し、グループ経営をスタート。その後社名を〝ちとせ〟に改めてちとせグループとして再スタートを切りました。

末松 〝ちとせ〟という社名の由来、込めた思いなどはいかがでしょうか。

藤田 〝生き物の力と共に千年先までもっと豊かに〟とのビジョンを掲げているように遠い未来を見据えていることと、発足当初構えた川崎市のラボの近くに、奈良時代に聖武天皇が建立したと伝えられる影向寺(ようごうじ)というお寺があり、その前に千年と書いて「ちとせ」と読む交差点があったことから、それを社名に取り入れました。グローバルな展開を図るためにもあえて日本風の社名にしたいと思っていたところ、何気ない川崎市の住宅地の中に千年の歴史を感じさせる地名が残っていることが非常に面白いと感じたもので。

末松 以後、現在は国内外に多くの拠点を展開されておられるとのこと、海外を指向された理由というと。

藤田 バイオテクノロジーで世界を変えていこうとするならば、ラボにとどまって論文を書いたり特許を取るだけではダイナミックな変革はできません。太
陽光と水が豊富にある地域で、大規模に土地を確保する必要があります。これらの環境的要素を満たすには日本より東南アジアが適していること、また現地の法律では事業ごとに会社を設立していく必要があるので、投資企業からすると関心のある分野に集中して投資できるという利点にもつながり、むしろ投資を呼び込みやすい状況だったのです。現在の主要な生産拠点はマレーシアに二つ、ブルネイに一つです。

末松 国内はどのような状況ですか。

藤田 研究に関してはまだまだ日本の研究者の水準が高いため、前述した川崎のラボを中心に計二カ所で、100名超の研究者が中心となって進めています。

対面制約の影響はむしろこれから

末松 新型コロナウイルス感染症が事業活動に影響した点などはいかがでしょう。

藤田 もともと、〝今日は忙しいので会社に行かない〟、とごく普通に言える社風でしたので、ラボに出向く必要があるとき以外、各人自宅で仕事をできる体制を整えていました。そのためコロナが広がった後でも、感染予防のために研究や事業に大きな支障が生じることはほとんどありませんでした。

 ただ、むしろ感染拡大の長期化により、最近は社内コミュニケーション量の不足を懸念しています。各種オンライン機能で必要なやり取りはできても、それ以外の雑談や無
駄話が減り、しかも常態化していること、さらにこの状況になってから入社した社員の割合が増えてきているため、この先もまだ終息が見えない中でその点をどうカバーしていくかが今最も悩ましいところです。

末松 売上等への影響もそれほどなく?

藤田 そうですね、年単位で長い契約をするプロジェクトが多いことから、急に売り上げがダウンするというケースは少ないものの、新たに投資を呼び込むことはやや難しいところです。直接会ったことの無い人から数千万、数億円単位の投資を持ちかけられて決断できるかというとなかなかそうはいきません。やはり、人はある程度対面しないと信頼関係構築は難しいですね。これまで蓄積してきた信用をもとに過去2年間は乗り切ってきましたが、逆にこの2年間で新たな信用拡大の停滞が影響してくるのは、実はこれからではないかと思います。

末松 藤田社長ご自身、コロナ以前は世界中を飛び回る生活だったと思われますが、コロナ以後はいかがでしょうか。

藤田 基本的にはシンガポールにビジネス拠点を置いていました。海外の投資家から見ると日本の市場は会計制度一つとっても特殊な商習慣があり、投資しにくい環境に映るようです。その点、シンガポールの方が投資を集めやすい環境であるのは確かです。が、それ故に感染拡大後の2年間は、私自身シンガポールから出られない毎日が続きました。