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【時事評論】「フリー・ランチ」はない

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 今年10月4日、国会において内閣総理大臣指名選挙が行われ、岸田文雄内閣総理大臣が誕生した。伊藤博文初代内閣総理大臣から数えて、100代目となる。

 これに先立つ9月29日、議院内閣制の下で最大与党である自由民主党において、4名の候補者による激戦・混戦と言われた総裁選が実施され、実質的には、その結果によって岸田内閣総理大臣が決定していた。

 他方で、自民党総裁選に埋没しないようにと野党も各種の政策を打ち上げた。そして、岸田総理の果敢な判断で、従来の想定よりも早く10月末には、衆議院選挙となった。

 以上のような政治の過程において、与野党とも、さまざまな政策を提示し、議論されてきたことは、民主主義の健全な姿でもあり、喜ばしいことだ。

 問題は、明らかにされてきた与野党の政策論が、国民受けしそうなものばかりではなかったか、という点だ。

 もちろん、選挙に際して述べたことすべてを、直ちに、実行するわけではないという「大人としての暗黙の前提」はあるだろう。

 それにしても、看過できないのは、国民受けしそうな政策を打ち出す一方で、積極的に述べられなかった大きな論点があることだ。

 それは、何をするにも財政的裏付けが必要だというまことにシンプルな真実だ。この世の中にフリー・ランチはない。

 与野党とも、新型コロナ対策を旗印として「現金給付」「所得税ゼロ」「消費税の減税」などの政策を打ち上げたが、その財源については国債頼り、借金頼りという以上の議論はあまり聞かれなかった。

 もちろん、緊急時に必要な対策のためであれば、借金をすることもあっていい。しかし、借金をする際には、返すアテ、返済に向けた見通しというものが必要だ。

 特に日本においては、いま、財政が異常な状況にあることを忘れてはならない。

 日本の「借金」は1200兆円を超え、このうち100兆円は、2020年度だけでの増加だ。GDP比では、太平洋戦争直後の水準を超え、約260パーセントだ。

 確かに、2020年以降、コロナ対策のためもあって諸外国の財政も悪化傾向にあるが、GDP比でこれほどの水準にある先進国は他にはない(世界最大の債務国である米国で130パーセント強、GDP比で日本に次ぐ借金大国のイタリアで160パーセント弱)。

 マーケットで信認を得られる財政再建の道筋を長期的にせよ示さなければ、財政破綻はすぐに発生しても不思議ではない。マーケットは、予測で動く。

 政策的な財政再建ができないとなれば、マーケットの行き着く先は国民を困窮させるインフレである。

 1973年、「日本列島改造論」から始まった財政拡大と民間の投資拡大に、第4次中東戦争をきっかけとしたオイルショックが加わり、消費者物価指数は1973年で11・7パーセント、1974年で23・2パーセント上昇した。「狂乱物価」だ。

 いまや、当時を記憶する日本人が少数派となったが、「狂乱物価」時の国民生活の混乱と困窮を国民的記憶として政治を進めるべきだ。

 実は、コロナ禍から経済社会活動が正常化していく過程で、米国では今年の春先から消費者物価が上昇傾向にある。

 米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長は、9月27日に、年内の債券購入のテーパリング(段階的縮小)開始を表明した。同時に利上げの開始は急がない方針を示したが、それは米国の金融引き締めペースへの過敏な市場反応に配慮したからであって、インフレ警戒モードに入ったことは明らかだ。

 他方、わが国では、9月1日、若田部副総裁が「米国の金融引き締めを理由に日銀は金融政策の調整を行わない」との見解を示している。

 ウィズ・コロナに目算が立つ一方で(経済活動が回復してお金が動き出す一方で)、財政が悪化し、金融が適時に引き締められなければ、「狂乱物価」の悪夢が再来することもあり得る。

 長期的視点に立った財政再建の道筋をしっかりと示すとともに、日本銀行と政府の距離を適切に取って、インフレ・ファイターとしての中央銀行の役割を明確にすべき時だ。

 含蓄のある警句を発する解剖学者の養老孟司氏は、政治家に必要な資質とは何かを問われ、「どのくらい長期の見通しを持てるかどうかが力量を決めますね。とりあえずはこれでいいけれど、ここから先はまずい、と見極められるかどうかです」と答えている(『歳を取るのも悪くない』中公新書ラクレ)。まさに年の功というべき寸言だ。

 政治は、「とりあえずはこれでいいけれど、ここから先はまずい」という見極めを、日本国の財政状況についてしっかり行って、国民とマーケットに示してほしい。

 政権を担う岸田総理大臣は、新自由主義からの転換を主張し、成長と分配の好循環を実現すると言う。

 それが、安易な借金によるカネ配りに陥らないよう、長期的な財政的配慮を念頭に、しっかりとかじ取りをお願いしたい。
                                                (月刊『時評』2021年11月号掲載)