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【時事評論】政治はトップとして責任を取る覚悟があるか

(写真:Pixabayからの画像)
(写真:Pixabayからの画像)

 いよいよ今年の夏、2020東京オリンピック・パラリンピックが開催される。7月24日(金)にオリンピック、8月25日(火)にパラリンピックが開会式を迎え、アスリートによる最高峰の競技・演技に対し、日本国内はもちろん、世界中の熱い視線が集まるだろう。
 まずは大会を無事に運営し、成功に導くことが不可欠だ。何より、夏の盛りに開催されるため、選手、スタッフ、観客それぞれ暑さに対する備えが欠かせない。熱中症対策は開催決定段階から指摘されてきた。その結果、オリンピックのマラソンと競歩の会場を急きょ札幌に移すという想定外の展開を招いた。この決定については賛否が分かれたが、決まった以上は円滑な実施を目指すほかはない。同時に、台風の襲来や集中豪雨の発生が近年相次ぐことから、開催期間中の災害対策にも万全を期さねばならない。治安面の対策は言うまでもない。直接的なテロ行為の脅威はもちろん、各種国際大会などで急増しているのがサイバー攻撃だ。これは2012年ロンドン大会から顕在化しており、東京大会もその例外ではない。関係省庁・機関はまさしく、〝オールジャパン〟でスクラムを組み〝ワンチーム〟として対応にあたるべきだ。
 今年は、昭和95年を数え、終戦から75年を迎える。1964年の前回大会は、敗戦を経て経済発展目覚ましい日本の姿を世界に発信するという目標があった。では今大会はどうか。2011年の東日本大震災後に、各国から寄せられた手厚い支援に対し、復興の状況を発信するという意義がある。と同時に、成熟経済に移行し人口減時代に突入した国における国際競技大会とはどのようなものか、今大会が一つの指針になるかもしれない。
 その意味では、大会の成功だけでなく、ポスト・オリ・パラの社会、経済の在りようも見据えておくべきだろう。オリ・パラ特需が過ぎればこれといった経済活性の目玉もなく社会全体が〝燃え尽き症候群〟となって、物心両面で停滞する危惧が従来より指摘されてきた。まさにオリ・パラを最終目的とするのではなく、契機と位置付け持続的な活力に結び付けなければならない。
 政府は昨年12月5日、「安全と成長の未来を拓く総合経済対策」を閣議決定した。中核となる〝3本の柱〟の一つに「未来への投資と東京オリンピック・パラリンピック後も見据えた経済活力の維持・向上」があり、Society5.0の加速と社会実装、外国人観光客6000万人、生産性向上を支えるインフラ整備、などのメニューを列挙、総額で11・7兆円程度の事業規模としている。子育てしやすい生活環境の整備やコーポレート・ガバナンス改革の推進など、オリ・パラ開催効果の維持継続に直接つながるとはやや考えにくいメニューもあるが、確かに「経済活力の維持・向上」の基盤となるだけに、その実効性に期待したい。
 問題は、これも繰り返し指摘されるところだが、首都圏の盛り上がりをいかに地方に波及させていくか、という点にある。東アジアを中心に高齢化が進み、都市と地方の活力の差異に悩む国は今後少なくないと思われる。国際イベントが開催都市だけでなく周辺地域にも活力をもたらす、この夏がそんな事例になることを願う。

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 前掲の総合経済対策でも明記されているが、コーポレート・ガバナンスについては、国民の多くが大企業に見直しを求めているのではないだろうか。近年、自動車やエネルギー、流通などの各分野で日本を代表する大手企業の不祥事が相次いで表面化し、トップが謝罪するとともに辞任あるいは給与減額など一定の責任を取るケースが増えている。改めて、産業界の自助努力による綱紀粛正を望みたい。
 ただ、トップが責任の所在を明らかにすべきなのは、民間企業ばかりではない。国民の負託を受けた政治においても同様だが、特に近年は政治の疑惑に対して自ら身を処すどころか、むしろ行政や官僚にその責を負わせている傾向があるのではないか。昨年も、官庁の幹部が国会で政治の疑惑に関し、苦しい答弁に追われる姿が何度となく発信された。メディアの取り上げ方にも問題があるが、一般視聴者には、官僚が疑惑の一端を担いでいるかような印象を与えるものも少なくない。
 しかし、これらの答弁は官僚本来の仕事では、もちろんない。まして官僚に問題の責任を追及するのは明らかに筋が違う。幹部クラスが業務外の答弁に時間を割くのは、政策立案や行政運営上の時間と労力がそがれるという意味で国損以外の何物でもない。民間企業と同じように、やはり政治においてもトップ自らが問題対応の最前線に立つべきであろう。田中角栄・元総理が「最終的な責任は自分が取る」と語っていた人物像が今に伝わるのは、疑惑の対応に限らず、より幅広い意味で政治家の在るべき姿勢を表す象徴的な言葉であるからだ。
 この機に、政治は官の使い方を見直すべきだ。他の先進国に比べて人口対比の公務員数が少なく、かつ長時間労働が常態化している日本において、官僚の能力発揮機会をこれ以上奪ってはならない。官僚の能力を最大限引き出す方策を考え、その公益を国民に還元するのが政治の役割であり使命だ。林幹雄・元経済産業大臣は、「官僚イコール、シンクタンク。しかも、世界を見回してもこれほど優秀なシンクタンクは無い」と語り、現在、政治がシンクタンクを活用しきれていないとしたら、それは直していかねばならないと指摘している。政治は、官僚の能力を存分に引き出しているか、自らトップとして責任を取る覚悟があるか、そして官は政治の期待に応え得るか、年頭にあたって改めて問われる命題だ。

(月刊『時評』2020年1月号掲載)