
2026/01/06
多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。
不感症という言葉は性的な意味で使われることも多いが、ここでは三省堂の大辞林の説明「感覚が鈍かったり慣れてしまったりして、普通なら感じるはずのものごとに、さして感じなくなること」という意味で用いる。
この言葉を用いるのは、「国民が豊かになっていっているのか」について国政の政治家はその感度を持てと憲法が示しているけれども、最近は大変な勢いで国民が貧困化しているのに、そのことに、あまりにも不感症になっていることに何の反省も見られないからである。過去にも紹介したが、日本国憲法は前文で次のように規定している。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」
福利という言葉はあまり使われないが、これも国語辞典によると「幸福と利益」とか「幸福をもたらす利益」などの説明がある。
国民が年々利益を得て豊かになっていくために政治があり、国政の政治家の存在意義はまさにこの一点にあると憲法前文は規定しているのだ。そこで、この憲法下での政治が行われてきた結果、憲法の精神を生かして最近の国民がどのように豊かになったかを見てみると、愕然とせざるを得ない正反対の実態が見えてくる。
〇実質賃金
2025年8月発表 41カ月連続でマイナス
〇企業の倒産件数
2024年 対前年13・4%増の10070件 11年ぶり1万件越え
〇世帯所得
1995年660万円 2020年564万円 2021年546万円 2022年524万円
(厚生労働省国民生活基礎調査・全世帯)
このわずかな実態だけでも、政治は、特に政権党は国民の貧困化に戦慄して、豊かさの実現に邁進しなければならないし、野党も対案を提案する責務があることは明らかだ。
しかし、政治家から聞こえてくる話は「財源はどこにある」という財源病(高橋洋一氏の命名)にかかった話ばかりだ。何をしなければならないのかという肝心のことを忘れ去っているのだ。そもそも減税に財源など必要なわけがない。知事なども、「地方の財源が削減される」と叫んでいるが、政府の一般会計税収は最近は大きな伸びを示しているのだから、知事が言わなければならないのは「その分地方交付金を増やせ」でいいのだ。
国民との約束からいえば「ガソリンの暫定税率分どころか、ガソリン税そのものについても徴収することに法的根拠がなくなった税になっている」のに、それを取っていることこそが問題なのだ。これに議論が収れんせず、「財源は」と叫びまくっていることなど、この国の国政のレベルを示す「悲しみの漫画」そのものなのだ。
前にも指摘したが、この税はガソリン消費量に比例して納めることになるから、自家用車依存の高い地方ほど大きな負担となっており、最大の鳥取市では東京都の5倍もの「ガソリン税とその暫定税率分」を支払っているが、地方の議員からも「これはおかしい」との声はまったく聞こえてこない。
これは議員が選挙区民の方を見ていないからなのだ。地方から選出されている議員も「地域の人々の暮らしから来る声」を聞いていないのだ。今年の熊本水害で自分の車が水没して使えなくなった人が、「車が使えないということは、ここでは暮らしていけないということなんです」とガックリして語っていたが、まさにその通り。
なぜこうした声が暫定税率分のまず廃止という政策につながらないのか。簡単に言えば、政治家が選挙民の暮らしを見ていない、つまり選挙民の暮らしに関心を持っていないということに尽きる。支配的な大政党がほとんどの小選挙区を席巻して当選できていた時代には、政治家の関心は「次の選挙でも党本部が自分にこの選挙区を与えてくれるか」に集中して、民の暮らしの変化に関心が及ばない。「視覚の学習効果」で、関心が及ぶ必要がないのだ。
国民の政治的意見が二分され、A党とB党が二大政党として政権交代を繰り返すような国柄であればともかく、日本には「保守党と労働党」とか「民主党と共和党」のような、混じり合うことがない、政治的主張が全く異なる、国民を二分するような政治的対立は存在しない。
小選挙区制は、二大政党が政権交代を繰り返すような、政治的意見の二大対立が国民の間に存在する国でこそ成立する制度なのだ。そのような鋭い対立が存在もしないような国柄の日本が、なぜ安易にも小選挙区制を受け入れてしまったのだろう。
この導入のための選挙法改正は1994年のことであったから、まだ記憶も鮮明なのだが、日本の政治的環境や国民性などと絡めた議論が盛んに交わされた記憶がほとんどなく、あったのは「政権交代を可能とする」だとか「族議員排除」とかいう、わが国の状況を正しく踏まえていない議論ばかりだった記憶がある。
結果として、政策立案能力や財政認識などがまるで不十分な政治家から成る政党が政権を担ったりして、専門知識が豊富で経験が蓄積された議員がほとんどいなくなってしまい、結果、財務官僚をはじめとする官僚への依存が非常に強い政治状況が生まれてしまった。日本は人口当たりの議員が多いのではない。議員本来の働きをしていない議員が多いのだ。
この改革に全国の大学の法学部が何かの貢献をした記憶がまったくない。ところが、東京大学法学部のHPには、「法学部では、法学だけでなく、それと政治学とが対をなすものとして研究され、教育されています。(略)法と政治は、ともに不可欠であるだけでなく、政治が法を定め、実現し、そして、法が政治を形づくり、導くという意味で、両者は、相互に支えあう関係にあって、分かちがたく結びついているからです」。
こう述べるのであれば、選挙制度の大転換となる小選挙区制導入にあたって東大や京大の法学部は意見表明をするべきではなかったのか。機能不全の政治システムの導入となってしまった小選挙区制、党本部ばかりに気を遣う議員ばかりとなることが明らかな選挙制度の採用結果としての政治不全に、大学の法学部教授連中は大きな責任を負っていると考える。
(月刊『時評』2025年12月号掲載)