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【時事評論】歴史の中の2022年

「おカネ配り」は国家衰亡の印か

Pixabay
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 12月9日は、夏目漱石の命日だが、かの文豪が2022年の日本を見たら、何と言うであろうか。

 小説「三四郎」で、天然自然の富士山以外に日本が自慢できるものはないと言う髭の男(広田先生)に対して、主人公の三四郎は「しかし、これから日本もだんだん発展するでしょう」と言う。これへの返事として、男は一言だけ「滅びるね」と答える。

 日清戦争、日露戦争に勝利して「一等国」の仲間入りを果たした日本は、その予言どおり、1945年に破たんを来した。

 そうした歴史的洞察力に優れた漱石であれば、2022年の日本を見て、同じく亡国の気配を感じないだろうか。

 ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は、10月13日の決算会見で、今年8月までの1年間の売り上げは2兆3011億円、純利益は2733億円と、ともに過去最高だったと発表した際に、「小手先のお金を配ることだけ。こんなことで良いんですかね。民間企業とか個人が頑張っていかないといけない。そういう時代になったんじゃないかなというふうに思う」と述べた。

 同氏は、日本の状況にあきれ果てているが絶望はできないとして「このままでは日本は滅びる」と警鐘を鳴らし続けている。 

 「小手先のおカネ配り」とは手厳しいが、確かに、2022年をふり返れば「おカネ配り」のタガが外れたと後世において歴史的評価が下されるかもしれない。

 2020年に「コロナ禍への対策」を理由として、飲食店への給付金やら、国民一律の10万円給付やら、政策の名の下にお金を配ることが増えたが、そうした「おカネ配り」に私たちは慣れてしまったようだ。

 残念ながら政策の中身に知恵を感じることは減って、「おカネ配り」政策に依存する傾向は加速している。

 こうした「おカネ配り」には、住民税非課税世帯への5万円給付(緊急支援給付金)やガソリン価格上昇抑制のための石油元売り会社への補助金などがあるが、さらに0~2歳児のいる世帯への「出産・子育てクーポン10万円」(自治体判断により現金)、電気・ガス料金の引き下げ(電力・ガス会社への原資支給、ガソリンとあわせて標準世帯で4万5000円相当)などが加わる。

 補助金や給付金にクーポン、まさに「おカネ配り」は百花繚乱だ。

 もちろん、困窮する同胞を助けることは必要だが、それは社会のセーフティネットとしての生活保護制度をまっとうに再設計して機能させることで対応すべきだ。

 また、少子化対策としても、10万円を配れば喜ぶ人ももちろんいるだろうが、それで出産が増えるとは思えない。

 古代ローマの詩人ユウェナリスは、同時代の世相について、国家権力から「パンとサーカス」を無償で与えられて政治的関心と公益的視点を失った人々を批判した。

 歴史をふり返れば、「パンとサーカス」は、口を開けていれば国から何かもらえると考える人々を増やすこととなり、共和政の終焉につながる亡国の印であった。

 こうした政策も、もちろん当初から亡国を目指したはずはなく、ポエニ戦役の勝利後に拡大した支配階層とそれ以外との格差問題への対策として打ち出されたものだ。

 しかし、結局、支配階層としてますます富んでいく人々と、国家に依存して生きることで底辺に残されていく人々とのさらなる格差拡大をもたらし、かかる社会の歪みがローマの滅亡につながったとされている。

 柳井氏が「民間企業とか個人が頑張っていかないといけない」と述べたのは、「パンとサーカス」の警句のとおり、国家に生活を依存することの危険性を指摘していよう。

 一部には、このまま「ベーシック・インカム」を導入すべきとの主張もあるようだが、究極の「おカネ配り」政策の導入については、人間の本性について深く洞察し、よほど慎重に考えるべきだ。

 歴史的に、市場競争を否定して国家が人々の生活まで保障ないしは管理する壮大な社会実験を人類は数十年かけて行ったことがある。その結論は共産主義国家ソ連の崩壊という形で明示されたはずだ。

 10月に閣議決定された「総合経済対策」(第2次補正予算で約29兆円)に続き、今月、来年度予算の政府原案が閣議決定されることになるが、それらの中身を私たちはよく吟味して、後世からどのような歴史的評価を受けるかを想像してみるべきだ。

 「2020年代、コロナ禍を契機として、さまざまな補助金、給付金、クーポンなどの形でお金を人々に配布する政策が常態化し、国家財政がさらにひっ迫する一方で、多くの国民が国家に生活を依存するようになった。少子高齢化はいっそう進み、経済活動は衰え、中間層が下方に没落していく形で社会の歪みは拡大し、日本は先進国の地位から脱落するに至った」

 そんな歴史の教科書を将来世代に読ませることになる未来を想像することは、とても辛いことだ。

 しかし、そうした想像が「自己破壊的予言」となって人々の反省と努力を生み、未来を良い方向に変える力にもなり得る。

 今こそ、私たちは、目先の損得勘定よりも、この国の未来に対する責任を真剣に意識して政策を見直すべきだ。
                                                (月刊『時評』2022年12月号掲載)