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【時事評論】マルクスの亡霊

資本主義を否定する静かな革命?

pixabay
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 岸田政権が誕生したのは、2021年10月であった。改造を経て、丸2年超が経過し、3年目に入ったことになる。

 岸田政権が誕生するに際しての自民党総裁選挙においては、「新しい資本主義」の実現が公約として掲げられた。

 現時点においても、「新しい資本主義」の実現は、岸田政権の取り組みと成果の一つとして位置付けられている。

 具体的に「新しい資本主義」とは、「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」という二つを意味するとされていた。

 「新しい資本主義」を目指すという考え方の背景には、市場に任せればうまくいくという新自由主義的な考え方への批判がある。

 ありていに言えば、政府の介入によって分配を行い、成長へとつなげていくという発想だ。

 こうした方向性が支持されたのは、日本経済の閉塞感がいっこうに打破されないことへの国民の苛立ちがあったからでもあろう。

 企業は内部留保を増加させる一方で、国民の所得は上がらない。経済的な格差は拡大し、教育格差へとつながり、格差が再生産される。

 マクロでは、GDP規模は中国のはるか後塵を拝し、勤労者所得は韓国を下回る。

 こうした閉塞状況において、市場にすべてを任せず政府の役割を重視する議論は、十分に説得力があるものだ。

 2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツは、市場か政府かという議論ではなく、最大の利益を引き出すために両者をいかに組み合わるかが重要であると指摘している。

 大企業による市場支配力の拡大、大企業に有利な誤ったグローバル化、機能不全にある金融業界(不労所得の追求)、等に起因する成長鈍化や格差拡大と社会の分断に対して、政治が取り組むべきだと彼は主張する。

 スティグリッツが主張する通り、政治ないしは政府の役割を重視することはよいとしても、この2年間における岸田政権の「新しい資本主義」に関する取り組みは、残念ながら成長につながる分配として評価することは難しい。市場と政府の組み合わせ方として、疑問があるからだ。

 例えば、この間の数々の給付金や補助金は、人々の一時的な苦境をしのぐために必要であるという側面と同時に、現状維持的な効果を持つ。そのため、本来であれば市場において淘汰されるべきものが温存される一方で、新たな成長の芽はなかなか生まれてこない。

 本来想定していた「分配」とは、分厚い中間層を復活させる形での当初所得の分配や政府による再分配であったはずだ。

 しかし、現実には、目先の対応に追われて、むしろ市場機能を過度に押し込めているのではないか。

 そして、人々は、政府の責任を叫ぶことで、無自覚にその生活を政府に委ねようとしているようにも見える。

 かつてカール・マルクスは、著書「経済学批判」の序言において、次のように述べた。  

 「人間は彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した関係、すなわち、彼らの物質的生産力のある一定の発展段階に照応する生産関係を結ぶ。これらの生産関係の総体は、その社会の経済的構造を形成する、すなわち法制的および政治的な上部構造がそのうえにそびえ立ち、一定の社会意識諸形態がそれに照応するところの、現実の土台を形成する。物質的生活の生産様式は、社会的・政治的・精神的な生活過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」

 マルクスのいわゆる唯物史観の「公式」とも称される言説であり、「下部構造が上部構造を規定する」という形で整理されることが多い。

 マルクスは、さらに続けて、次のように述べている。

 「社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、それまでそれがその内部で動いてきた既存の生産諸関係と、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる」

 いまさらマルクスを持ち出したのは、わが国の「既存の生産諸関係」がきしんでおり、無自覚なままに、静かな社会革命が進んでいるようにも見えるからである。

 市場機能を発揮させることで豊かさを実現することが無自覚に放棄された経済の上に、将来世代へのつけ回しによって現状維持を図る政治が乗る形は、決して健全だとは思われない。

 いつの間にか、私たちはマルクスの亡霊に導かれてはいないだろうか。

 いま一度、初心に戻って、分厚い中間層復活に向けて、市場と政府とのベストな組み合わせを実現する「新しい資本主義」の実現を、岸田政権に期待したい。
               
                                              (月刊『時評』2023年11月号掲載)