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【時事評論】縮む日本と異形の大国

中国とどのように向き合うべきか

pixabay
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 日本は、縮んでいる。

 各種統計によると、2023年の日本の名目GDP(国内総生産)は、約4兆2000億ドルとなり、ドイツの約4兆5000億ドル弱に抜かれて世界第4位に転落したという。

 一部には、為替レートの影響に過ぎないという議論もあるが、そもそも円安自体が日本経済の弱さを反映したものだ。

 また、実質で見ても、2000年から22年の実質成長率を単純平均すると、ドイツが1・2パーセント成長であったのに対して、日本は0・7パーセントであった。

 国際的に見て、日本経済が相対的に縮んでいることは否定しがたい。

 数年のうちには、インドにも抜かれて世界第5位となるだろう。

 こうした経済的な縮こまりの背景には、人口動態がある。

 わが国の総人口は2004年をピークに急速な減少傾向にある。

 「将来推計人口」(令和5年推計、国立社会保障・人口問題研究所)によれば、2070年の日本の人口は8700万人となると試算され、そのうち65歳以上人口の割合は38・7パーセントに達する。

 他方で、中国の名目GDPは約17兆7000憶ドル(2023年)で世界第2位である。

 第1位の米国の名目GDPは約26兆900億ドルだから、中国はその約7割の規模となっている。米国の背中が見えたと言っていいだろう。

 日本と比べれば、中国の経済規模は、実におよそ4倍にまで拡大しているのが現実だ。

 人口から見ると、2023年にインドに抜かれたとは言うものの、中国の人口は世界第2位の約14億人で、日本人口の10倍を超える。

 中国でも少子高齢化が急速に進むと見られているが、日本よりは30年ほど遅れての進展とも言われている。

 経済規模から見ても、人口から見ても、巨大な隣人として中国は屹立していると言っていい。

 そして、その巨大な隣人は、共産党一党独裁という政治体制の下にある。さらに言えば、習近平国家主席の異例の長期政権の下にある。

 米ソ冷戦が終結した際に、西側の自由経済と民主主義が最終的に勝利したと主張した「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)という議論は、幻だった。

 それに気付いたからこそ、米国は中国を「国際秩序を再構築する意図と、それを実現する経済力、外交力、軍事力、技術力を併せ持つ唯一の競争相手」と位置付けたのである。

 私たちは、この異形の大国である中国の隣から移動することはできない。

 地理的に移動できないことはもちろん、いまや抜き差しならぬほど深まった経済関係から脱け出すことも非現実的でできない相談だ。

 米国でも、一時期、中国との「デカップリング」(分断)という勇ましいが非現実的な議論が聞かれたが、昨年のG7広島サミットにおいて「デリスキング」(リスク低減・回避)という路線で国際的合意ができた。

 平俗に言えば、「中国は異質だから付き合うのはやめよう」ではなく、「中国はやっかいな異形の大国だが、そうだと認識して付き合いましょう」ということだ。

 この当たり前のことが、なぜかわが国では十分に理解されていないのではないか。

 米国の対中国貿易の動向を見ると、一部の戦略的に重要とされた物資に係る貿易量は減少しているが、全体としての貿易量は減少していない。

 リスクを低減させつつ、貿易を通じた経済的な利得は得ているのである。

 これに対して、日本の対中国貿易の動向を見ると、全く逆で、全体としての貿易量が減少しているのに、一部の重要物資に係る貿易量はむしろ増加している。

 米国が「デリスキング」をしっかりと行っているのに対して、日本は「デリスキング」ができず「中国との付き合いは怖い」というイメージ先行的な貿易減少が起きているのではないか。

 このことは、中国との関係において、日本は不必要に過度に経済的利得を失っている一方で、経済安全保障の観点から、本当はもっと留意すべきところで、甘い認識の下、安直な付き合い方をしている部分があることを意味する。

 これは戦略的な誤りである。

 私たちは、相対的に小さくあろうとも、あるいはそうであればこそ、賢くならなければならない。

 中国という異形の大国が隣にある現実を直視し、その異質性を理解した上で付き合っていくという当たり前のことが、他ならぬ日本のために求められている。

 そうした賢明さをもって、中国に大国としての国際的な責任を求めつつ、自国の縮こまりを乗り越えていく戦略性こそが、今の日本には必要だ。
                                                  (月刊『時評』2024年3月号掲載)

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