
2026/07/06
日本のインフラはいま、大きな過渡期を迎えようとしている。各地で老朽化が進む一方、その整備にあたる人材は不足し、安全・安心はもちろん経済活動にも暗い影を落としている。メンテナンスに限らず、陸海空のインフラとその関連産業は国民生活の向上には欠かせない。長年にわたり公共・公益事業に関わってきた水嶋智次官は、いまこそわが国の将来のために、公益資本主義の観点から社会システムの在り方を問うべきだと指摘する。
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造船業が花形産業だった時代
森信 4月に、高市政権として初の予算が成立しました。その過程において、意思決定の在り方などに独自色が反映されていると思われますが、そうした点について次官のご所感はいかがでしょう。
水嶋 ある意味での変化がみられるというのは霞が関においてほぼ共通した意見だと推察します。政権が打ち出した「17の戦略分野」のうち、われわれ国土交通省は造船と港湾ロジスティクスを主に所管していますが、この造船の予算措置において高市政権のダイナミズムが反映された、と認識しています。貿易の圧倒的比重を占めているのは海運であり、今回の中東情勢にみられるように船舶が無ければエネルギーも輸送できません。そうした船舶建造の重要性を、今回の17戦略分野は再認識させてくれました。
森信 私が驚いたのは、造船が戦略分野として位置付けられたことです。このことの背景について教えてください。確かに昭和の時代には、造船は日本の花形産業の一つでしたが。
水嶋 経緯を振り返ると、かつて太平洋戦争の時代に日本は船舶をほぼ失い、船をゼロから建造するところから復興をスタートさせました。島国で資源の乏しいわが国では、貿易で活路を開く必要があることから、海上輸送力の確保が急務だったのです。その背景の下、大手重工各社は戦後長らく造船を基盤とした事業を展開し、その結果昭和30~40年代には、日本の造船業は世界シェアのトップを占めるに至ったのです。
しかしその後、韓国が国策として造船業の振興を図り、シェアトップになったと思ったら、今度は中国が大規模な造船所を建設するなど急速に生産力を拡大してきました。
森信 これら両国に対し、鉄鋼が行ったような日本企業からの技術支援はあったのでしょうか。
水嶋 韓国・中国が伸長した最大の要因は、造船が極めて労働集約型産業だったという点にあります。確かに一時期は、日本と比べ人件費の差が大きく作用しました。ただ、現在は日本も円安、対して韓国の賃金も上昇しており、かつてほどの人件費の優位性は解消されつつあります。
と同時に、韓国や中国がふんだんに設備投資を行い、生産性を上げてきたことも認めざるを得ません。例えばLNG(液化天然ガス)船の造船はかつて日本の十八番でしたが、現在LNG船は日本では一隻も造られていません。韓国にLNG船建造の比較優位性を取られたままです。
森信 日本で造船業が縮小したのはどのような理由からでしょうか。
水嶋 建造の主力だった重工各社において、労働集約型の造船から、時代が下るにつれてより付加価値の高い他分野産業へ資源をシフトさせ、その結果、造船は主力から一事業部門へ縮小していったのです。さらに近年は造船を分社化して、グループ内の一会社になるというケースが多数みられます。
森信 労働集約型という特性が、そもそもの原因のように思われます。
水嶋 鋼材を正確に切り抜き溶接して組み立てる、その技術的巧拙が船舶の省エネ性や安全性を左右する以上、機械化、自動化を図ることは容易ではありませんでした。自動車のように機械が機械をつくるという方式に移行できておらず、設計段階も含め、熟練の職人による現場の暗黙知が品質を大きく左右しているのが造船の現状です。労働集約型の産業の場合、一般的には人件費の安い国に比較優位が移っていってしまいます。
ただ現在、今治造船のように造船専業メーカーが生産性を向上させているのは、非常に明るい兆しです。今治造船は現在の日本で最も世界に伍して戦える造船企業の一つだと言えるでしょう。また端緒に付いたばかりですが、一部で溶接ロボットが導入されるなど、自動化への取り組みも徐々に始まっています。
そして、米国から日本に造船に関する協力を求められていることも、造船が戦略分野として重要な産業であることを示しています。
経済安保の要と、米国の要請
森信 経済安保という観点から米国側が協力要請した背景は、どのようなものでしょう。
水嶋 率直に申せば、米国の造船業は低迷しており、外航用の商船はほとんど造れず艦船の生産力も著しく低下しています。北極の氷塊を砕いて進むような砕氷船は、米国は自前で造れません。他方で他国が建造能力を向上させているのを目にして、造船についても日本に技術の提供、あるいは投資を求むという形で要請をしてきたのです。
森信 しかし、要請はされても応諾可能なものでしょうか。
水嶋 現実的にはなかなか難しい面があると業界は考えています。米国に工場を建設しても、現場で働く現地の労働者の確保が難しく、一方で人件費は日本よりさらに高い、こうした諸要素を鑑みると、米政権の期待に応えられるかどうか課題が多いところだと思います。まずは技術協力や共同開発等を進める、という可能性も考えられます。
森信 経済安全保障上の観点はいかがですか。
水嶋 もともと経済安全保障推進法における特定重要物資に、スクリューなど一部の舶用品は含まれていましたが、船舶そのものは入っていませんでした。そのためわれわれ国交省は、船舶自体を特定重要物資に位置付けるべきだとかねがね申し上げてきました。かつてはWTOの協定に基づいた自由貿易によって各国はサプライチェーンを効率化してきたわけですが、今般の国際政治情勢でサプライチェーンそのものの脆弱性が懸念されるようになり、半導体など自国での製造が重要になってきています。船舶もある意味で同じように自国で造る重要性が再認識されていると言えるでしょう。
森信 そうすると、造船において対米投資する話と国内建造を盛んにする話とは、別個ということですね。ともかくもその流れの中で、日本の造船業も再起を期すべきであると。
水嶋 ある意味では、米国からの要請を奇貨として、また経済安全保障面での高まりも鑑み、わが国造船復活に向けた契機にはなると思います。日本の造船が再び活況を呈せば、やや迂遠ですが米国の艦船建造にもプラスに作用するでしょう。
森信 米国以外への、造船の売り込みはいかがですか。
水嶋 豪州から護衛艦を受注しました。ただ、日本においても艦船を建造しているメーカーが事実上、三菱重工と他1社のみとなっており、製造能力に限界があるのも事実です。従って最終的には、豪州現地での建造が視野に入ってくると想定しています。
森信 お話を聞くと、高市政権が掲げる戦略分野で造船が選ばれた意義は非常に大きいですね。
水嶋 おっしゃる通りです。従来からわれわれ国交省が抱いていた問題意識に光を当て、背中を押していただいたと認識しています。今後、造船復興へ向けて10年間で1兆円規模の官民投資の実現を目指し、そのうち2分の1は国費で賄うこととなっています。その中で、造船業再生基金において、10年間で3500億円の支援を行うべく、その第1期分として今回の補正予算では、造船分野に対しすでに1200億円を付けていただきました。これは財政投融資ではなく真水の注入となります。これまで旧運輸分野の中でも、海事関連はなかなか真水の予算を手当てされず窮乏していた分野ですので、海事の関係者は大いに喜び、かつ再興に向けて意気込んでいるところです。
森信 船を一隻つくるとなると、裾野はかなり広いのでしょうね。
水嶋 まずは鉄鋼を調達する必要があるため、私自身大手鉄鋼会社を訪れ鉄鋼の増産と供給を、また需給の均衡を取るためにも造船と鉄鋼、業界同士の連携も密にするようお願いしてきました。この流れの下、鉄鋼連盟と造船工業会、中小型造船工業会、船主協会、舶用工業会がトップレベルで意見交換する枠組みを立ち上げました。
担い手不足のインフラメンテナンス
森信 国内における喫緊の課題として、各地で老朽化が進む各種インフラのメンテナンス問題があると思います。25年1月に発生した、地中の下水道管の腐食に伴う、埼玉県八潮市の道路陥没問題などはその代表的事案です。これは完全復旧まで実に5年の年数を要するとか。インフラ損壊への対応は大変な難事なのですね。
水嶋 損壊部分を迂回するバイパスを通す作業が大変で、かつこの下水道管は人間で言えば大動脈にあたり、これほど大規模な下水道管は実は各地にそれほどありません。
森信 破損の原因は何でしょう?
水嶋 埼玉県の原因究明委員会の最終報告書によりますと、下水道管の硫化水素による腐食が原因とされています。
現在、高度経済成長期に整備した各種インフラが一斉に老朽化の時期を迎えており、このメンテナンスをどう行うかは非常に大きな命題です。一方、事業主体が地方自治体という場合が多く、対策へのプロセスを複雑にしています。
森信 道路なり下水道なり、県などが管理している場合ですね。
水嶋 インフラは、国が直轄している超大型インフラもあれば、住民の生活に近い部分のインフラは都道府県が事業主体という場合も数多あります。八潮の事故の場合、下水道は埼玉県が事業主体として管理責任を負っています。
そしてインフラ関連で最も悩ましい問題の一つはメンテナンスに従事する担い手の不足です。国が土木の職員を採用するのが難しくなっている昨今ですが、自治体においてはもっと深刻です。学生レベルの志願者も減少の一途です。
森信 採用難の背景は、少子化に加え労働環境や給与面でしょうか。
水嶋 はい、まさにその点です。しかもこうした広い意味での公共事業は、時の政治状況や世論の風向きによって不要論の対象になる場合も多く、職業としての魅力や将来展望を毀損する結果を招くこともあります。個別にみれば、効率化等の検証を要する事業はあるかもしれませんが、マクロでみれば社会や経済を支えるインフラへの更新投資は必要であり、それには国民の理解が不可欠です。そしてその一方で、老朽インフラへの補強・修繕の需要は高まるばかり、という悪循環に陥っています。
整備新幹線による利便性向上に期待
森信 インフラ関連で他の政策についてはいかがですか。
水嶋 私見としては、インフラ整備にしても安全・安心の確保はむろんですが、同時に成長のためのインフラもまた、非常に大事だと思っています。その代表的なプロジェクトが、リニア、整備新幹線、成田空港の三つです。いずれも私自身、これまで深く関わった政策であり、何とか事務次官を務めている間に進捗を図れるよう意識してきました。
森信 リニアについては一時期の政治的膠着が解消されて、円滑に進むようになったようですね。
水嶋 本年1月、JR東海と静岡県との間で、大井川の水資源に関する補償確認書が締結されるとともに、本年3月には、両者の間で環境に配慮しながら進めていくことがようやく合意に至りました。静岡工区については、これから本格的な工事に着手する見通しが立ちました。
森信 一方、整備新幹線は函館から札幌までの延伸予定が後倒しになっています。こちらについては。
水嶋 主因としては、技術的にこの区間の工事難度が高い点にあります。距離としても約210キロメートルに及ぶ大工事ですが、雪害を回避するためトンネル区間がその8割に及び、また火山帯特有の岩石の多い地質でもあります。さらに、既に市街化された札幌に、新たに大規模な新幹線駅を建築するのもなかなか容易ではありません。もともと概ね2035年度末頃の工事完成を掲げていたところ、政治サイドからは前倒しの要請があり、他方で現場は難工事に苦しんでおり、その結果、現時点では概ね38年度末頃の開業を想定しています。現場では日本の土木技術の最高水準を結集していますが、それでも苦労しているのが実情です。
森信 これらプロジェクトの予算内訳はどうなっているのでしょうか。一般会計の支出などは?
水嶋 リニアには、一般会計からの支出はなく、財政投融資で3兆円が投じられました。整備新幹線には、一般会計から当初予算で年間804億円が入っています。私はこの点も指摘しているのですが、当初予算で見ると、道路が年間約2兆円、河川整備が同約1兆円であるのに対し、鉄道は年間約1000億円しかありません。そのうちの概ね8割が整備新幹線に充てられているのですが、大まかに言えば整備新幹線は公共事業全体の予算のうち、わずか1%程度しかありません。整備新幹線が大型公共事業の代表のようにイメージされることも多いですが、国の予算全体からすると微々たるものなのです。
整備新幹線の仕組みは、(独)鉄道建設・運輸施設整備支援機構(JRTT)が新幹線施設を整備・保有し、JRに貸し付けるというものですが、JRは受益の範囲内で貸付料をJRTTに支払っています。整備新幹線の整備財源については、この貸付料とそれを除いた額を国と地方公共団体が2:1の割合で負担することが法令で定められています。この国の負担分となる804億円が毎年度当初予算で確保されています。
森信 需要見通し、すなわち運行するJRにとって採算の問題はどうなのでしょう。
水嶋 国が整備新幹線の整備といったプロジェクトを進めていますが、この整備新幹線の着工の条件の一つとして、営業主体であるJRの同意があり、それを確認した上で、着工するという仕組みになっています。JRは採算性も考慮して同意するかどうかを判断することになります。つまり東京から札幌までつながれば、受益の見込みがあるという想定で成り立っているわけです。
札幌まで開業すれば、現在4時間かかる函館~札幌間が約1時間に短縮されます。東京~札幌間も5時間を切る可能性があり、さらに言えば大宮や北関東の利用者が羽田空港へ出て空路を介さず札幌までダイレクトに行ける、この需要は少なくないと思われます。空路の場合、新千歳空港から札幌市街までもそれなりに距離がありますので、北関東の人々が4時間+α ほどで札幌に行けるのは、大きな競争力になるのではないでしょうか。
もりのぶ・しげき 法学博士。昭和48年京都大学法学部卒業後大蔵省入省、主税局総務課長、大阪大学教授、東京大学客員教授、東京税関長、平成16年プリンストン大学で教鞭をとり、17年財務省財務総合政策研究所長、18年中央大学法科大学院教授。東京財団シニアオフィサー。著書に、『日本が生まれ変わる税制改革』(中公新書)、『日本の税制』(PHP新書)、『抜本的税制改革と消費税』(大蔵財務協会)、『給付つき税額控除日本 型児童税額控除の提言』(中央経済社)等。日本ペンクラブ会員。