
2025/07/08
森信 私は、これらの枠組みを〝日本版ペイアズユーゴー〟と名付けています(笑)。米バイデン政権時のインフレ削減法(IRA法)は、バランスシート上は黒字になるように増税や歳出削減での歳入確保がされています。現トランプ政権においても、これから秋にかけて各種減税法案が打ち出されると想定されますが、その際にはペイアズユーゴー原則に則り、DOGE(政府効率化省)による歳出削減やトランプ関税の収入が財源となり、バランスシートの均衡を保つことになると思います。
一方、わが国はこうしたペイアズユーゴー原則についての意識が希薄なため、選挙を前に、消費税5%減税や食料品ゼロ税率を主張し、財源は赤字国債発行でという意見が与野党から出される状況です。こうした〝財政ポピュリズム〟とも言うべき様相を呈していることを、私は非常に危惧しています。この点、次官はどのようにお考えになりますか。
新川 そもそも財政は、それ自体独立して存在しているわけではなく、国民経済全体から見て、比重は大きくはありますがあくまで一部なのです。従って、あたかも財政だけが独立して経済やマーケットと全く関係なく動いているわけでは決してありません。現実に、放漫財政を繰り返せばいつかはインフレになり、金利の上昇を招いて国民生活に影響を及ぼします。
森信 それらの懸念は、すでに現実になっていると考えてよいですね。
新川 私事で恐縮ですが、私が1987年に旧・大蔵省に入省した当時、国の利払いは年間約10兆円でした。以後、私が局長になる時分まで大体7~8兆円で推移し、今年再び10兆を上回る水準になっています。すなわち、長期にわたり低金利によって、結果的に財政赤字に反応する金利上昇のリスクをそれほど鑑みなくてすむ時代が続きました。
それが、今年1月に1%を僅かに超える水準だった長期金利が、3月末には1・5%まで急激に上昇しています。国債市場に乱れが生じるとすぐに各国政府が反応するのを見ていても、やはりマーケットと財政は非常に密接な関係で結び付いていると改めて実感します。一般的には減税と歳出拡大を急激に進めていくと、最初に金利が変調を来たし、次いでインフレ圧力が高まります。
そうすると、最も影響を被るのは国民生活にほかなりません。ことに生活者においては低所得者層、企業においては価格転嫁もままならない零細企業に直ちに影響が及びます。ならば、インフレも金利上昇もきちんとコントロールしていかねばなりません。
一方でインフレには、国の債務負担を減らす〝インフレ税〟とも言うべき効果がありますから、結果として財政を改善する方向へ作用します。しかしわれわれ財政当局の仕事は、基本的にマーケットによる財政調整に委ねてしまうのではなく、マーケットの動向が国民生活に深刻な影響を及ぼす前の段階で、適切な財政運営を図ることにあります。おそらくは諸外国も、こうした点を念頭に置きながら財政運営していることでしょうし、仮に好ましからざる方向に大きくマーケットが動いた場合には政策を変えざるを得ないはずです。
日本においても金利が動き、また物価もデフレからの移行局面に入ったことで、財政とマーケットの関係性が前面に意識される状況になってきました。その結果、最も影響を受けるのは当然ながら国民生活です。
森信 その点が、肝心の国民に最も伝わっていない点です。あたかも財務省が財政破綻を懸念して財政再建を唱えているかのような発信がなされていますが、次官のご指摘通り、金利上昇やインフレなどが国民生活を直撃することを避けるため財政健全化の努力をしている、この点についてもっと広い理解を求めるべきです。
新川 私が省内職員によく話すことですが、マーケットが急激に変動すると社会的に弱い立場の人にそのしわ寄せが行く、そういう変動による財政効果によって仮に財政事情が改善したとしても、われわれは仕事をしたことになりません。財政当局で働く職員の使命は、そういう事態が起こらないようできるだけさまざまなツールを駆使し、あらかじめ手立てを講じていくことにあります。
森信 この春テレビのドキュメンタリー番組で、財務省は単に歳入と歳出予算だけを作っているのではない、金利の上昇に対するプレッシャーの中で、歳出と歳入の差額ともいうべき国債の新たな買い入れ先を確保するため、職員がアラブ諸国まで行って大変に奮闘している姿が放映されていましたが、多くの国民が知らない財務省の仕事の一端を垣間見ることができて大変良かったと私は評価しています。
新川 おそらく財政と聞くと、税の徴収や予算の査定が想起されるように、国債も無尽蔵に発行できるとイメージされているのかもしれません。しかし発行する半面、消化・償還に向けてさまざまな努力が為されています。
森信 財務省という顔のないモンスターが社会から遊離して存在しているわけでなく、そこでは生身の人間が数多く働いているわけですからね。
PBバランス黒字化、その先に
森信 歳出改革をしっかり実行できれば、2026年度にはPB(プライマリーバランス)の黒字化を達成できる、そういう段階に到達しているようですね。そうすると今度は、PB黒字に代わる新しい財政規律をどうするか、という論点が生じます。私は、まず前述のペイアズユーゴーの原則を取り入れることが重要な規律になると考えています。財務省では、PB黒字に代わる新しい規律、目標について、いかがお考えでしょうか。
新川 PBとは平たく言えば、利払い費がゼロ、さらに言えば利払い費を度外視した時の財政バランスです。しかし考えてみれば、利払い費を考慮しない財政運営というのも本来あり得ません。
しかし私が入省後、金利が低下したこともあり、利払い費は増えませんでした。結果として、この間の経済動向を背景に、利払い費を度外視したPBの達成が求められたのは、結果的にはそれなりに整合性があったということになります。しかし国債発行残高が1000兆円超という現在、今後金利が1%上がればシンプルに言えば利払いは10兆円増えるわけですから、これから先はわれわれが経験したことのない領域に突入します。
森信 既発債が数年かけて新たに金利の高い国債に振り替わっていくので、利払いは数年スパンで重畳的に増えていくのですね?
新川 おっしゃる通りで、すぐには金利上昇の影響は表れませんが、5~10年単位で捉えると膨大な規模の負担になります。10兆円というと、公共事業関係費よりも防衛関係費よりも文教および科学振興費よりも巨額で、わずか1%の金利上昇によってそれほどの予算が利払いに充てられることになるのです。
このように利払いが今後確実に増えていくことを前提にすると、利払いを度外視したPBが仮にバランスしたからといって、これで大丈夫ということにはまったくなりません。つまり今後の金利上昇も加味した上で、PBにおける一定幅の黒字を維持していくことが不可欠となります。
森信 単に黒字化するのではなく、例えばGDP比1―2%のような定常的なPBの黒字幅を保持していくことが新たな財政規律になり得る、ということですね。
また、利払いを含めた「財政バランス」に変えていけばよいのでは、という意見もありますが、これについての見解はいかがでしょうか。
新川 PBは財政収支よりも手前の言わば一里塚のような目標なので、諸外国では財政収支を財政目標のターゲットに据えている場合の方がむしろ主流です。
ただ留意すべきは、EUのように今年もしくは来年の財政収支目標をマイナス3%という具合に設定したとしても、日本の金利上昇局面の影響が出るのは繰り返しになりますが少し先の将来なので、仮に今年は目標内に収まったとしてその後一切財政拡張しなくても、たちどころにマイナス5%、6%となってしまう、今の日本はそういう構造になっています。
なにしろGDPの250%の債務残高を抱える国は世界で日本しかありませんから、欧州等で主流となっている基準を、即そのままの水準でわが国に当てはめるのはやや課題が多いと認識しています。
財務省解体論主張の背景とは
森信 今般、本省前の路上で財務省解体論なるデモが盛んに行われています。従来の発想では、財務省は一般から存在意義を理解されなくても黒子に徹し悪役を担えばそれでよいという考え方もありますが、このソーシャルメディア全盛の時代では、財務省の人間的な側面も含めて仕事の内容や役割を発信すべきではないかとも思います。そうでなければ働いている職員の士気も落ちます。一言申し上げたいのは、財務省サイドにも、本来専門性で勝負するという官僚の則を超えて、政治的関与が過ぎた面など反省すべき点もあると思いますが、次官の所感はいかがでしょう。
新川 解体論の背景には、やはり物価高や負担の高さに対する不満が高まっていることがあると認識しています。この点は謙虚かつ真摯に耳を傾けていかねばなりません。
他方、財政をめぐる主張の中には、日銀が多数の国債を買っているので、政府と日銀、両者を統合すれば債務の残高は非常に小さくなる、あるいは税は財源ではなく国債こそが財源であり、これが経済学の標準的な考え方であるといった事実に反する主張や、自国通貨建ての国債はどれだけ発行しても国はデフォルト(債務不履行)しないので何の問題もないといった、全体のごく一部一面のみをとらえた主張も少なからず含まれています。こうした主張に対しては事実なりデータを、明瞭かつ分かりやすい形で発信していくのが有効であろうと考えています。
森信 実際に、そうした発信やアピールを既にされていると?
新川 しているのですが、その方法はもう少し工夫を凝らした方が良いかもしれません。例えばわれわれ財務省自身も、もっとネットメディアを活用し、しかも膨大なデータや分厚い報告書を読んでもらうだけではなく、できるだけ短いフレーズでシンプルに発信するなどの努力も必要かと思われます。
さらにデモで聞かれる声の中には在留外国人の問題を早く解決するために財務省を解体すべきとか、感染症ワクチン接種に関し財務省が暗躍している等、陰謀論に近い内容も混在しています。これらに対してはデータや正論で対応を試みるだけではあまり効果が期待できません。
なぜ今、給付付き税額控除なのか
森信 実務を担う中堅管理職などに、マスコミやSNSで財務省の仕事内容を発信してもらうと効果的かもしれませんね。
新川 はい、まずは解体論を主張する人に主張の多くは誤解もあることや、事実関係に耳を傾けてもらえるようになることが重要です。例えば政府は増税ばかりしているとの主張がありますが、現実として前政権から相次いで減税しており、直近の予算でも所得減税を打ち出しています。しかし、いかに事実を列挙しようとも、まずは聞き入れてもらうことが重要で、伝わらないことには意味がありません。
森信 そうですね、そもそもまず話を聞こうとしないし、事実を説明しても、即否定にかかりますからね。財務省は増税ばかり考えていると言われますが、安倍政権時代の2019年10月に消費税を8から10%にした後は法人の賃上げ減税や岸田政権のときの定額減税などを行っています。にもかかわらず増税ばかりしているかのような印象操作が行われています。
新川 データと事実による説得にも限界が感じられます。
森信 それ故に、これまでと違った形での発信に期待したいところですね、特に若手を中心として。
新川 デモをしている人を見ても若い世代が結構多く、社会に対する若年層の不満が表出しているように思います。
森信 アベノミクスの結果、中間層の二分化が生じています。昨今のインフレで、収入の低い層が生きづらさを感じていることの表れでしょう。だからこそ私は、消費税減税に代えて新たなセーフティネットとしての給付付き税額控除の導入を長年主張しているのですが(笑)。
新川 税・社会保障一体改革における議論は、まさに給付付き税額控除か軽減税率か、という選択の議論であって、その結果軽減税率が採用されました。
森信 所得の少ない真に困窮している者に給付するのはバラマキではありません。マイナンバーを活用し、この機会に給付付き税額控除の導入に向けて、収集した所得のデータを給付に反映させる仕組みを作った方がいい。デジタル庁でも、制度ができればインフラの構築は可能とのことです。
新川 以前に比べて、インフラが整備されつつあるのは確かです。特に給付は、国と地方がうまくつながる仕組みを構築できることが肝要です。
森信 私は国のみで対応する方が効率的だと考えます。英国を見ても給付付き税額控除は国だけで実施しています。
新川 いろいろ論点を整理していくことが大切だと思います。
森信 政策の枠組みが変わらないと大きな議論はできないとも言えます。一方で国債を取り巻く市場環境は変わりつつあり、残された時間は少ないですね。
新川 トランプ米大統領がマーケットの動向に敏感に反応していくつかの場面で翻意したように、諸外国ではマーケットが変動することの脅威が深く認識されています。オオカミ少年の寓話で少年の話が信じられなくなってしまった村人が最後に財産である羊をオオカミに食われてしまったように、オオカミをマーケット、経済を羊、財務省を少年になぞらえると、オオカミの襲来を軽視した結果、大きな経済的損害を被るのはほかならぬ村人自身、すなわち国民なのです。
森信 オオカミ少年の話は、嘘つきを戒める話として伝わっていますが、最後にオオカミが来た、準備ができてなくて村人は大きな損害を被ったという点が重要ですね。本日はありがとうございました。
新川次官とは30年以上前に同じ部屋で勤務したことがある。その時から極めてシャープな発想でさっそうと仕事をこなす姿が印象に残っている。話をしていても、笑顔を絶やさず気さくに自由闊達な議論の展開となっていく。財務省のイメージを人間的なものに変えるには最適任者ではないだろうか。今後のご活躍、ご健闘をお祈りしたい。
(月刊『時評』2025年6月号掲載)