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【森信茂樹・霞が関の核心】内閣府事務次官 井上裕之氏

米国への投資は経済安保と表裏

森信 与党税調のこれまでの議論としては、日本の企業は大手も中堅も過去最高益を更新しながらも内部留保を溜め、賃金の引き上げや国内の設備投資には回さず、〝失われた30年〟でほとんど伸びていない、この行動は変える必要があると指摘されるところです。これについては国としてお考えや対策などはいかがでしょうか。

井上 対象が大企業となると、今度は国が助成に乗り出すのは難しい問題になります。ただ、〝骨太の方針〟でも「投資立国」「資産運用立国」を掲げているように、例えばGX(グリーン・トランスフォーメーション)に対しては官民合計150兆円の投資を行う、また先の米国政府との関税交渉で合意に至ったように米国に対して大規模な投資をするのもその一部です。要するに、戦略的に大規模投資を行うことによって、中小企業に限らず大企業でも勝ち筋を見出して生産性を上げていくことが重要です。

森信 そこまでは良いのですが、問題はそこから先、すなわち収益の一次分配が労働者に行きわたっていかないことなのです。

井上 確かに賃上げ税制などはこれまでも実施してきましたが、租税特別措置なども対象を厳密に絞っているものもあれば一方で緩やかな設定としているものも多いので、その点にメリハリをつけていくことも重要ではないかと思います。例えば他社より魅力的な賃上げをする企業には税の対応を考える、という制度設計も一案です。

 また前述の繰り返しになりますが、上流の大企業だけでなくサプライチェーン全体で価格転嫁をしっかり行う、あるいはこれも〝骨太の方針〟に書きましたが、国・地方を問わず長いデフレの年月に存置されてきた予算や制度を、物価上昇の局面に併せて改めていく、これらの手立てを尽くすことで賃上げを促すことも期待できると思います。要するに、賃上げ原資を取れるような転嫁を認める、よりくだけて言うと、賃上げするための費用が必要だからこの商品をもっと高く納入させてください、という中小企業の要望を大企業がきちんと受け入れる、という産業風土の醸成が求められるのです。

森信 〝安いニッポン〟からの脱却、というわけですね。

井上 はい、そして現在では、公正取引委員会も含めて競争政策当局も、そうした構図の推進を目指し、物価上昇を反映した適切な価格転嫁や取引が行われているか、常に監視していますし、公取では監視にあたって適否を判断するガイドラインを作成しています。これもまた、これまで停滞していた賃金構造を変えていく上で効果的かと期待されます。

森信 先ほど米国関税の話が出ましたが、自動車産業をはじめ、関税率が15%に落ち着いたからといって、企業の負担が大幅に増えたことには変わりありません。その影響がやがて価格転嫁等にどう影響するのか、非常に注視されるところです。

井上 その点はまさにおっしゃる通りで、関税の負担分をどこがどう担うことになるのか、政府としてもきめ細かく状況を見据え、万全の対応を図る方針で意思決定しています。

森信 米国に5500億ドル規模の出資・融資などを提供するとの内容ですが、私は日本国内にもしっかり投資すべきではないかと率直に思います。

井上 国内に対しては、先ほどのGXをはじめイノベーションや宇宙政策等、明確なターゲットを定め、しかも官も投資するのでそれを呼び水に民の投資を促す旨、〝骨太の方針〟に明記しています。

 また米国への投資促進は経済安全保障と表裏一体で、日本が米国にとって経済安保上不可欠な国であることを、改めて認識してもらうという重要な意味を有しています。米国にとっても、日本はやはりなくてはならない存在だという認識を高めることが、長期的には日本の国益にかなうのです。

森信 なるほど、全体としてそうした広い日米関係の枠組みの中で考えられている、ということですね。

井上 内外の政情が不安定化する中にあって、こうした投資も含めて日米関係をさらに確固としていくことが不可欠です。

給付の制度設計のために特命室を設置したことも

森信 ところで一つ質問です。岸田政権時の定額給付金の実施は内閣府で担当したと記憶していますが、石破政権が今般打ち出した2万円の給付も内閣府で受け持つことになるのでしょうか。

井上 政策として給付の骨格が確定すれば、これに応じて担当省庁で執行することが想定されます。令和5年度経済対策の給付金の際は、新しい仕組みなので、制度設計は内閣官房に特命室を設置し、執行は自治体に対する重点支援交付金で対応することになったことから、内閣府の地方創生推進事務局で実施しました。

森信 私は以前から給付付き税額控除の実現を諸方に訴え、近年では与野党問わず議論が盛り上がりを見せつつあるのですが、問題は仮に実現したとして、霞が関のどの官庁がこれを担当するのか目途が立たない点です。実施するなら制度設計をする官庁と、インフラを整備するデジタル庁とが協力する必要があります。制度とインフラどちらが先行すべきか鶏卵前後論争になりがちです。

井上 インフラに関しては、過去のこうした経済対策を打つたび、デジタル技術はその都度進化しています。普及が進んだマイナンバーカードをもとにコンタクトしてもらえれば、早ければ数日で給付が口座に振り込まれる仕組みもつくりました。個別の自治体で開発するのではなく、国で共通システムを作って提供したため可能となったもので、これはデジタル庁の努力の所産です。ただ全ての自治体にこのシステム使用を強制することはできませんし、規模の大きな自治体では既に独自のシステムを構築しているケースも少なくありません。

森信 そうですね、中堅の自治体が共通ソフトを最も活用されたと聞きました。

井上 そのシステムを導入する経費も、国で補助したと記憶しています。また24年6月、国民1人当たり所得税と住民税を合わせた4万円の定額減税を実施した際に、減税しきれない人には差額分の給付を行いました。が、所得税の額を利用するにあたって自治体は住民税の情報を活用するほかなかったので、住民税計算の情報を使って所得税をみなし計算するなどの実績があります。

明確なメッセージに基づく情報収集を

森信 デジタル庁によると、ガバメントクラウドの構築で各自治体のシステム標準化が進み、住民税を基にした全住民の所得データが管理できるようになったとのことです。

井上 所得など個人情報をさらにどう活用していくかについての意志決定も、制度を踏まえながらいずれ行う必要があると思います。前回は住民税非課税の低所得層の方々には一律給付しましたが、確かに低所得の方などへ給付額を段階別に線引きする仕組みは、今のところありません。これはシステムの機能というより、国としてどう制度の在り方を意思決定するかという問題だと思います。

 先ほどの鶏卵前後論争に戻ると、そういう意味ではやはり制度が設計されて、それを実効あらしめるために必要な情報を活用させていただく、という順序になるかと。そしてその情報が、現在集めている情報で足りるのか、あるいは公平性などさらに多様な観点に基づき追加で情報をいただかなくてはいけないのか、そして実施にあたっては政府として目指す社会像の実現に向けて必要な情報をお願いします、という明確なメッセージの発信が求められるのではないでしょうか。所得情報は個人のプライバシーに直結するデリケートな事案なので、確たる目的無く国・行政が情報を収集・保持するというのはなかなか国民的合意が得られにくいと推察されます。やはり国民生活向上に役立つという明確なメッセージを発し、だから情報が必要なのですというコンセンサスが欠かせないと思います。

森信 石破現政権は参院選前に2万円の国民給付を掲げましたが、国民全員への給付はバラまきだとして国民の反応はいま一つでした。バラまきにならないよう高所得者は対象から除外する、低所得者は手厚くする等のメリハリがつけられれば、国民の反応も異なったと考えています。現に、段階別給付を叶えるシステムも整備されてきているのですから、早く所管官庁を決めて検討を開始すべきだと思います。

井上 制度はまさに検討中で、これから構築する形になるのでは。

森信 次官は週末に気分転換されるようなご趣味などありますか。

井上 ずいぶん前から、土日は私が料理をしています。主にパスタやカレーなどですが、食材や調味料を変えてバリエーション豊富に作れるのが楽しいところですね。料理することで週末は、昼からワインを飲むことが家内から許可されていますので(笑)。あと、時々ピアノを弾きます。もともと娘の練習用にグランドピアノを買ったのですが、娘が独立した後はもっぱら私がこれを弾いています。

 また、各地の鉄道に乗るのが好きで、先日も近鉄線の名阪特急『ひのとり』や観光特急『しまかぜ』に乗って、記念グッズも購入してきました。

森信 本日はありがとうございました。

インタビューの後で

 井上次官は、財務省で主税局や主計局の要職を歴任されており、大変経験豊富で聡明な実務家官僚である。インタビューでは、わが国に不可欠な賃上げの必要性について、熱弁を振るわれ、また給付の問題についても懇切丁寧に説明をいただいた。今後の一層の活躍に期待したい。
                                                 (月刊『時評』2025年10月号掲載)