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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第200夜】

仮想高級クラブ

たべごと写真より
たべごと写真より

 私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
 世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

コロナ後の社会

 コロナ騒ぎで巣ごもり状態が続く。庭付き豪邸に住む人はいいけれど、4畳半に簡易キッチンとユニットバス付きのワンルームマンションで暮らす者には外出規制は苦痛そのものだろう。この国の居住スペースは年齢に逆比例しているから、若くて精力を持て余している者ほど、狭い居住空間に閉じ込められるのである。

 「独房に閉じ込められる生活を体験していると思えばいいじゃないの」

 口が悪いM子はそう表現したけれど、重大な違法行為などしていないのに拘禁暮らしなど好んで経験したいとは思わない。

 「“三密”を防止して感染を防がなければならないのだから、違反者は国民や国家に対する反逆よ。独房に閉じ込めて、自身が起こした身勝手な反社会行為を深く反省させ、般若心経の写経でもさせればいいのだわ」

 だれもがストレス漬けになっているのは認めるけれど、外出規制の自粛要請に反しただけで重罪扱いとはいくらなんでも。共産党の独裁社会でもあるまいに…。

 「理念もなく、ただただその場の雰囲気で大衆迎合の財政バラマキを続けているうちに、国力は落ち、国民の独立心は雲散霧消。チベットやモンゴル、ウイグルのように中国共産党の弾圧下で息をひそめて暮らすようになる可能性が高い。そうなったら菜々子なんか、一番に強制収容所に放り込まれるから」の託宣を受けた。

 ウイルスの撲滅なんて無理。インフルエンザのように共存していくしかない。そのための近道は大部分の国民が抗体を持ってしまうこと。感染防止策はそこに至る期間をいたずらに延ばすだけ。この集団免疫説という考えを吹聴したことをM子は指しているようだ。集団免疫政策では経過的に相当数の犠牲者が出ることをあらかじめ盛り込むことになる。そのような施策はこの国では絶対に受け入れられないとM子。

 「コロナ後にどのような政変が起きても生き残ろうと思うなら、まわりと歩調を合わせることだわ」

 M子の電話は切れたが、政府や都の唱える“三密”運動でイライラが嵩じているのは、菜々子よりもM子の方だろう。M子の日常はヨガ、ハワイアンダンス、プール、アスレチックでびっしりだった。だがそのすべてが中断の余儀なしの状態である。

三密を防げ

今や流行語大賞候補間違いなしと感じられる“三密”。集団感染を防ぐ必須要件とされるようだが、密閉空間を作らない、密集集団に加わらない、密接場面にならないよう人との距離を取るということだ。満員電車での通勤などもってのほかということになる。先日、やむを得ない用向きで地下鉄東西線に乗ったのだが、通勤時間帯にも拘らず車内が空いていて席に座れたのには驚いた。この路線の込み具合はつとに知られていて、「深川は好きだが、住むのは通勤電車に乗らなくて済む定年後にするよ」という久寿乃葉のお客様の証言があるくらいだもの。

 ところで“三密”という言葉はだれの発案なのかしら。本来の“三密”は弘法大師が唱える身密(身体・行動を整える)、口密(言葉・発言を整える)、意密(こころ・考えを整える)のことだとされる。すなわち実践すべき事項であったのだが、コロナでの“三密”はしてはいけないことになっている。正と否の価値観が逆転しているわけで、密教系の僧都は説教がやりにくくないのだろうか。

仮想茶会

 翌日の午後M子からまた電話だ。

 「よほど暇なのね」と軽口を叩いたら、「菜々子が今、忙しいのならまたにするわ」

 これにはこちらが慌てる。暇を持て余しているのはみんな同じ。即座に詫び、用向きを尋ねる。H子も呼んで三時のお茶をしようという。

「さっき“三密”政策に心ならずも従うと言ったばかりではないの?」

「同一空間に群れてペチャクチャしゃべるなというのが、お触れの本質だと思うのね。いっしょにお茶を飲んではいけないとは言ってない」

 理屈はそうだが、して方法はあるの? 

 インターネットを使って多人数でミーティングできるソフトを自分のパソコンに導入したのだという。M子は中小企業の人事労務をサポートする個人事務所を運営している。相談内容は微妙かつ機微に触れる事項がほとんどだから、社長さんたちとの面談抜きでは仕事がはかどらない。そこに降ってわいた対面自粛要請。

 菜々子世代はこの種の技術にお手上げだが、若い世代は違う。「テレビ会議を導入すればいいのですよ」と息子のお嫁さんがチャチャチャッと必要ソフトをインストールしてくれた。おそるおそる使ってみると意外と便利。先方に出向いたり、来訪を受け入れたりがなくなるから、移動の時間を節約できる。訪問の空振りを防ぐためのアポイントやスケジュール手帳も不要になる。

 「何々の件で打合せたいが、社長さん、時間大丈夫?外出中でパソコンを使えない?ならばスマホでも大丈夫ですよ。ではこれからミーティング招待メールを送るから、画面で出る必要部分をポチッと押してくださいな。それでテレビ会議画面になるから」

 相手の社長さんたちの反応はというと、M子所長が現代のメカに通じていることに感心し、信用度が高まるのだそうだ。

 それでねとM子は本題に入った。「同じ空間にいなくても、顔がみえるし、資料をパソコン画面に映し出すこともできる。しかも複数の場所を回線でつなぐことができるの」

 昨日の電話の後、M子は顧問先でのコロナに起因する業務時間短縮に伴う賃金圧縮の案件に取り組んだ。経営側と労働側の主張をどこで折り合わせるか、双方納得の妥結案ができればM子の仕事は完結する。落としどころを探って、あっちとこっちに出向くことが再三再四になると、アポイント設定や往復の時間捻出でたっぷり時間がかかる。

 ところがテレビ会議導入により、業務時間が一挙に減じたのだという。あらかたの合意が取れた段階では、「いっそのこと関係者全員でテレビ会議しませんか」となった。

 そこでとM子が「仕事で使えるなら、個人ベースでも活用しよう」。これがM子の提案。「菜々子が賛成なら、H子に連絡する。彼女もOKなら、二人のパソコンに招待メールを送る。それにアクセスしてくれたらいいのよ。スマホにも送るから、都合がいい方で応答してくれればいいわ」

 こうして仮想茶会が始まった。三人それぞれが好みのお茶とお菓子を準備してインターネットのモニター画面に向かう。そしていっときおしゃべりを楽しむのだ。お互いの家を訪問するのに比べれば手土産が不要。喫茶店で集うのに比べれば、まわりの耳を気にして声のトーンを調整する気遣いが要らない。

商売に活用できないか

 M子のビジネスはインターネットのミーティングをうまく利用できたが、菜々子のような接待業ではどうか。いわゆるおさわりサービス付きのバーでは難しいだろうが、ママやホステスとの会話を楽しむお店の場合を考えてみよう。

 仮想ミーティングの仕組みを勉強してみた。便利なソフトがいくつも提供されていて無料のものが少なくない。ミーティング参加者がさほど多くなければ十分に対応できる感じだ。菜々子が考えた仮想バー・クラブはざっとこんな感じ。

 予約のあった顧客に対して招待メールを送っておくと、顧客は三々五々仮想入店してくる。そして自分で用意したお酒とおつまみを飲み、食べるのだ。

 「客がすべて顔なじみならいいけれど、そうでない場合はどうするのよ。男は初対面ではなかなか打ち解けない生き物よ」とM子が茶々を入れる。

 でもそこが女将あるいはママの腕の振るいようだろう。久寿乃葉でもやっていることだが、見知らぬ同士のお客様をさりげなく紹介することがある。もちろん知り合いになることで双方にメリットがあろうと菜々子が推測した場合である。

 H子もテレビミーティングについて少し勉強しているようだ。

 「そのシステムではホスト役が常に中心になるようだわね。そうするとグループで仮想来店した者だけで内輪の話をしようとするときは、いちいち退室しなければならないのかしら。実際のお店ではうちわ話はボックス席でひそひそやれる。わざわざお店の外にいったん出るなんて興ざめになるわよ」

 ソフトにもよるのだろうが、チャット機能というのがあり、特定の人だけの間でも文字でやり取りできる。

 「でもメイン画面はママや女将中心に話が進む。ママだけに伝えたいことがあるという客は困るわね」とM子。この点も調査済み。ブレイクアウトルームという機能を使えば、ママは一定時間特定のお客とだけ仮想空間を共有することができる。銀座などのクラブで美人ママが、「ちょっとあちらの席に行ってくるのでごめんなさい」と常連客の間を遊泳するのと同じことができる。

 「面白いシステムね。わが家にいるのだから『帰りが遅くて心配』なんてこともない。うちの夫にお勧めだわ」とH子。だが現実派のM子は違う感想を述べた。

 「男なんて下心があってクラブやバーに通うのよ。それに奥方が監視している自宅のリビングで仮想入店しようなんて者はいないわよ」 

 コロナ騒ぎを機に国民の生活様式を変えるのだと安倍総理は言っている。有名クラブのママさんと国会議員諸先生の協力を得て社会実験をしてみてはどうか。

 「今日はここまで。仮想喫茶室は閉店。次回は菜々子がセットしてね」

 菜々子は現実に顔を突き合わせての会合の方がいいなあ。

(月刊『時評』2020年7月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。