
2025/10/03
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
政治家の決意本
「この本には呆れた。当人の口述をだれかが脚色したか、それともゴーストライター任せのいずれかだ」
カウンターでJさんが怒っている。顔がみるみる紅潮、そうでなくても暑さの盛り、熱気が室内に充満してしまうよ。手元を見ると名が売れている壮年政治家の著作だ。〝日本改革〟と並んで、〝日本を福祉社会として世界に売り出す〟趣旨のサブタイトルが見えた。郷里の高校の後輩だとかで、東京住まいの彼には選挙権がないけれど、同窓会などでは熱心に支持を呼びかける隠れ後援会を自負してきた。
「だが、こんな考えでいたとは!」。続けての「久寿乃葉に来る前に表通りの書店で買ったばかり、まだ斜め読みの段階だが…」でちょっと安心。政治家批判は自由。民主主義国日本人の権利。お隣の某国のように指導者の批判は即、銃殺なんてことは金輪際ないから安心。でも、批判は政策に関してであって、不確かな情報を基に批判するのはルール違反。久寿乃葉がその巣窟だなんて風評が立っては困ります。
「今日はさわりだけにする。正確な論評は全部読んでからだ。そのときはママ聞いてくれよ」。「はいはい」と答えたものの、その日が来るかどうか。だってこの人は引退商社マン。これからは読書三昧だと宣言している。ということは飲む機会はトンと減るはずだ。
それはさておき、どんなお客さまにも調子を合わせるのがこの商売の鉄則。優しくビールのお酌をしながら、Jさんの憤慨のポイントを尋ねる。
待ってましたと一気に話すのを整理すると、いくつかのポイントが浮かんでくる。
人口問題
日本列島は有史以来、わが日本民族が住み続けてきた。これが菜々子の基本認識。それを変えなければならないと、後輩衆議院議員は主張しているという。
「『日本列島は日本人だけのものとの狭量な考えを改める必要がある』と叫んで大顰蹙を買った元総理大臣がいてほとんどの国民の膝の力が抜けたことがあったが、彼もこれに近い。オレの眼鏡違いだった」といきり立つのを宥める。まだ、読み始めて30分かそこらではないの。全部読めば気持ちが違ってくるかもよ。
そうだなと一呼吸おいたJさん。三つの改革主張のうち「列島解放」にざっと目を通したという。冒頭で日本人の減少は必然と断定している。地球資源は有限との立場に立てば、これ以上日本人が国内に増えるのは問題との考えはあり得るが、それと「日本人は減るのが当然」は結びつかないし、まして「外国人に置き換える」は論理が飛び跳ねている。
そりゃそうだ。ほんとうにそんなことを主張しているのだとすれば非国民だが、Jさんが精読していないからではないか。60万人台に落ち込んだ日本人の出生数を反転倍増させるには、発想の逆転が必要だ。その場合に「生殖をしない方が長生きする」などの根拠曖昧論文を読者に刷り込もうとするのは誤解を招いても仕方がないと菜々子も思う。国民に呼びかけるのであれば、90歳、100歳まで生きた場合に、子がいず、その結果、必然的に孫もいない暮らしは本当に理想なのかという将来に思いを馳せさせることのはずだ。
教育費で苦しむ人に補助金を出したいが、政府財政も限度があるから…と歯切れが悪いのが気に入らないとJさん。もっと国民所得が低かった時代から、日本人は月謝を払って子どもを寺子屋に通わせた。子どもの養育費は国の責任といった時代は一度もない。親の経済負担を減らすのであれば、塾などに通わなくても学力が付くよう学校システムを改善する、養育世帯の税負担を子なし世帯に振り替えるなど、実効性ある政策は素人でも思いつく…。あなたが政治家になればと言いかけて止した。軽口が通じるムードではない。
社会保障
わが国は世界に誇る「国民皆保険・皆年金」。その基本は全国民による社会連帯の制度化。これは政府の公式表明であり、1961年以来すでに3分の2世紀、まるまる二世代を経て育んできている。
ここで「皆」とは日本国民のことであり、「保険」とは事前に保険料を払い込むことで給付の権利を得ることである。Jさんの言うとおりで、ボンクラ菜々子にもストンと落ちる。ところがこの議員は、外国人を労働力として、留学生として、観光客として限度なく受け入れるのがよいし、日本で事業活動をして稼ぎ、本国に持ち帰るのを推奨するという。
「国籍の意味がなくなるではないか」。Jさんが言わなくても、前述の元総理の発言が思い出される。国籍法を詳しくは知らないけれど、日本語を主言語とし、天皇陛下を自分たちの象徴として尊敬するのが日本人である基本条件だろう。そうでない者に新たに国籍を与えるのは心得違いであるし、国内での無条件滞在ももってのほか。この原則を守るのが独立国家としての矜持のはずだ。そのことを世界に向かって発信しても批判される筋合いはないし、変な国が言いがかりをつけてきても「内政干渉するな」で終わるはずだ。
中国人が日本の医療保険を食い物にしているという話はマスコミでも報道されている。難病を抱える者が留学その他の名目で入国し最先端医療をほぼ無料で享受する。国民健康保険の資格を保持したまま帰国し、中国内で受けた治療やお産の経費をそっくり日本の自治体に請求する。費用を取って誘導する組織もあるようで、元手がかからず日本の社会保障を食い物にするボロ儲け構図になっている。
国民年金の将来負担
「碁仇である年金事務所OBに聞いたのだが…」とJさんが話題転換。国民年金保険料の納付率向上は年金機構トップが国会で叱られないための最優先事項。それで末端事務所に号令が降りてくるのだが、その一つが外国人の国民年金加入奨励なのだという。
「年金なんて遠い先のこと、加入すれば保険料を請求されるのだから、勧誘は難しいでしょう」と答えた菜々子は実情知らずだった。年金機構のトップの考えは違うようだとJさん。国民年金保険料は月額1万7510円の均一額。ここまでは周知だが、この保険料には「免除」という仕組みがある。簡単に言えば、「前年の所得は低い」と証明すれば、1年間保険料が免除される。そして免除された期間分については、半分ではあるが終身の年金権が保障される。該当者には元手なしのウハウハ年金である。
Jさんの説明でピンときた。来日者の母国での所得把握は難しい。そのとおりとJさん。それで母国での所得は一律ゼロとみなすことになっている。ということは入国初年度については、無条件で国民年金保険料は全額免除になる。では翌年度からは?「免除は単年度限り」の原則が徹底されていればよいのだが、かつて当人の申請がないのをよいことに「職権免除」していた悪例がある。外国人では言葉の壁から事務処理が面倒として、形式的に免除が継続されている事例がないと断言できるか。年金機構は調査をしているのか。Jさんの碁仇は口を濁したという。
学生の場合は保険料特例納付という後払いの仕組みがあるが、外国人留学生の申し込みが低い。なぜか。菜々子の推量だが、学生としての後払いではなく、一般外国人同様に無所得を理由に普通の免除を受けた方が、半額の年金権が保障されるから得との判断がされているのではないか。日本への留学生は母国ではおおむね高所得層に属する。しかるに母国の家族所得をカウントしないのだから、保険料免除の承認を自動的に得られるのだ。
「内外人不平等ではないか」とJさんが指摘した。もちろん外国人が日本人より有利に扱われているという意味だ。「政府の仕事になんでも噛みつくいわゆる〝人権派〟の弁護士などはなぜ日本国民への人権侵害を追及しないのでしょうね」と菜々子。聞いても無駄か。
入国管理の問題
国民対象の社会保険になぜ外国人を加入させるのか。ベトナム戦争後に追い出された華僑を難民として受け入れよう。その一環で国民年金や国民健康保険が外国人に門戸を開いた。その趣旨に照らしても、今やすべての外国人をたった3か月の滞在予定で加入させ、しかも事実上保険料を免除してしまう方法はどう考えてもおかしい。彼らを加入させることで国民年金保険料滞納率は下がるが(免除は統計上納付率を引き上げる)、年金制度に保険料は入ってこない。逆に彼らが歳をとる数十年後に海外送金年金の爆発的発生という時限爆弾を抱えこんでいる。「公的組織のトップは将来の国民に対する責任感を持て」と発言して職場で辛い目に遭う機構職員が少なくないと碁仇が耳元でつぶやいたそうだ。
議員の本では外国人観光客が数千万人になれば兆円単位のカネを落としてくれるから歓迎との項があるとJさん。だが、その金額の2割程度に過ぎない利益を過大評価していいのか。押し込み強盗、銅線や畑の栽培物盗難、振り込め詐欺に加えて昨今は有価証券口座乗っ取り。保険なしの悪質な交通事故に遭う国民の泣き寝入りも忘れるな。それらによる被害との比較を議員はしているのか…。
運転免許の外免切替に話が及んだ。Jさんは現役時代に外国駐在をしている。アメリカでも韓国でも、外国人への運転免許交付は厳格で、基本的に出国した外国人の免許は即時に期限切れ扱い。「日本語ができない外国人が日本国民より容易に日本の運転免許を取れるなんて非常識ではないか」。ひき逃げされたが犯人は母国に逃げ帰って日本人被害者は泣き寝入り。それが国際交流だなんてお断りです。腹が立つ。菜々子も今夜は飲むぞ!
(月刊『時評』2025年9月号掲載)