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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第204夜】

マンション建て替え

写真ACより
写真ACより

 私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
 世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

国勢調査百年

 郵便受けに国勢調査の封筒。「行政の基礎となる人口・世帯の実態を明らかにする、国の最も重要な調査」だから、一国民として正確に記入して協力するのは当然。早速取り掛かったが、提出方法が複線化している。インターネットでの回答がお勧めのようだが、昭和人の菜々子は紙への記載を選択。ところが送付用の封筒が挟み込まれ、調査員への手渡しとの選択制。これでは二重、三重提出のおそれはないのだろうか。

 質問項目は性別、生年月日、住居の種類、配偶者の有無、職業。5分もかからず記入を終えた。隣国では、電話やネット交信を録音、録画し、街中の監視カメラで鼻頭のホクロまで登録し、携帯の位置情報で全行程を把握している。比べてわが国勢調査の簡単なこと。プライバシー侵害を主張する勢力があるようだが、どうにも不可解。調査期間中なのに調査員用の手提げ袋がメルカリに出展され、悪事に利用されるおそれがあると総務大臣が懸念していた。だれが横流ししたのか、そちらの対策が重要で、調査項目はもっと詳しくていいのではないか。

 わが国で初めての国勢調査は大正時代の1920年、平民宰相原敬さんの手による。若手外交官としてパリに赴任した際に同国の国勢調査を見聞し、わが国を近代国家に押し上げるに不可欠の基礎情報と認識したそうだ。今年はそれから100年の節目に当たる。この間のわが国の国政の変化を概観すると、

 〇総人口

  5596万人―1億2709万人

 〇65歳以上人口割合

  5・3%―26・6%

 〇一世帯当たり人員

  4・89人―2・36人

 〇外国人人口

  7・8万人―175・2万人

 〇平均寿命

  男性42・06歳―80・75歳

  女性43・2歳―86・99歳

 〇第一次産業就業者の割合

  54・9%―4・0%。

 農業等就業比率は10分の1以下に、そして女性の寿命は2倍超になっている。社会の基礎構造の大変化を目の当たりにすれば、構造改革すなわち社会システムのイノベーションの必要性を否定できないだろう。国務従事者の奮起を願うこと大だ。

老後の住まいはマンションに限る

 東京は地価が高い。サザエさん一家のようなちゃんとした庭付き平屋の家は庶民には絶対に無理。戸建てに執着すれば、1階はガレージと玄関、お風呂、2階がキッチン、リビング、トイレに3畳の和室、3階に主寝室と子ども部屋(もしくは客間)の縦長住宅になる。日常生活は階段を上がったり下りたり。壮年層では体力づくりになるが…。

 「終の棲家のつもりだったが、階段は腰にこたえる」。菜々子のマンションの新住人になったOさん。引っ越しの挨拶に来られて仕事を聞かれた。正直に教えたら、久寿乃葉の通い客になった。

 「同じ広さなら断然マンションだ。バリアフリーだから転ぶ心配がない。管理人、セコム、防犯カメラで空き巣、強盗の心配をしなくてよい。ママともお近づきになれたし」。最後部分はお愛想として聞き流すが、前の方は実感がこもっている。

 Oさんも国勢調査の記入を終えたばかりのようだ。「住居の種類の欄だが、“持ち家”とあるだけで、“戸建て”と“分譲マンション”に区分されていないが、政府が把握する統計情報として不十分ではないのか」と疑問を提示。「他の選択肢は“公営住宅”“公社住宅”“民間賃貸”“社宅”“間借り”“独身寮”など“賃貸”で括れる。数では圧倒的な“持ち家”項目を細分すべきだ」と注文をつけている。

 分譲マンションの不都合

 “持ち家”か〝賃貸〟か。他人に知られたくない人はいるかもしれない。でも明らかになって不都合なのは、他人の豪邸を自分の家と偽って詐欺の舞台に使おうとする手合いくらいのものだろう。庶民の日常生活では、「家を買うのよ」、「うらやましい。ウチも頑張って頭金貯めるわ」といった具合で、“持ち家”か〝賃貸〟を隠す風習などない。

 国がなぜこの分類統計を必要とするのか。住宅ローンを改善するとか、地価対策に乗り出すとか、都市再開発の指針をまとめるとか、老人ホーム政策の参考にするとか、統計の活用先について語ってほしい。それがないと集めたデータを癒着業者に横ながしするのではないかと余計な憶測を生む。

 「菜々子ママは人生の終末をどこで迎えるつもりだい?」。Oさんが唐突に話題を変えた。「マンションの一人暮らしだと、人知れず死亡して一月後に腐乱状態で発見なんてことになる。そうするとマンション全体の価値が下がることになりかねないが、弁償してくれる遺族はママにはいないのだろう」。普通、ここまでズケズケ聞くか。でも超高齢社会での現実である。分譲マンション居住では菜々子が先輩。管理組合理事の体験を呼び起こす。

 「賃貸では大家さんが合鍵を持っているから、腐乱するまで死体が放置されることはない。『管理組合に合鍵を預けることにしましょうよ、希望者の分だけでも』と提案したのだけど、組合管理規約にないからと却下。『だったら改正しましょう』と再提案したら、国土交通省のモデル規約に載ってないから書き方がわからないだって。結局、今は孤独死しそうな居住者はいない。その必要性が出てきた時点で議案にすることになった」。

 Oさんが頷いたのを確認して、「今がその必要時よ。ウチのマンションの住人はみんな若い。私が見るところOさんが突出した高齢者。次の総会で理事に立候補して、合鍵の件を含めて、わがマンションの高齢化対策を考えようと提案してよ」。

リバース・モーゲージ

 軽いジャブのつもりだったのに、Oさんその気になった。理事は居住の長い者の独占ポストと思っていたらしい。理事に立候補する手続きを聞いてきた。報酬は出ないし、理事会の後の懇親会も会費制。区議会議員のような役得もない。ていねいに実情を教えたのだが、「PTAの役員よりはおもしろいだろう。次の総会で立候補するから、菜々子ママも一緒にやろう」。

 Oさん夫婦の一人娘は結婚してこの近くに住んでいて、孫娘が生まれた。とも働きで子どもの昼間の世話にOさんの奥さんが必要とされている。通いや泊まりがけはしんどい。それならとOさん夫婦がマンションを買って越してきた。その際、先祖伝来のお屋敷を売った。建物は壊され、跡地にマンションが建つらしい。準文化財級の由緒ある明治の建築物に愛着はないのか。菜々子の辛辣な問いへの回答は、「娘や孫娘は将来ともその屋敷に住む可能性はない。屋敷のまま買い取りたい人もいない。地元自治体が買い取って使用する計画もない。もったいないがこの建築物の寿命を終えたと考えるしかない。ならばデベロッパーの手で更地に戻せば、新たな利用価値が生まれる。現に分譲マンションが建つことになった」。ヒトと同じく屋敷、マンション、コミュニティにも寿命があるとOさん。

 菜々子は独り者。身の回りのことに不自由になったら、日常生活や安全管理面のサービスが行き届いた有料老人ホームに入るつもりだ。その入居一時金をいかに工面するか。マンションを売って代金が入ってからホームと契約すればいいが、通常は新居を契約してから現住居を売る。このタイムラグをどうするか。

 「理事会で提案したい案がある」とOさん。リバース・モーゲージを知っているかと問う。東京都武蔵野市の公社が始めたのが最初だが、契約対象は戸建て住宅に限定されていた。理由は公社が取得した後、更地に戻して処分することになるから。古くなった建物が乗っかっていると、かえって買い手がつかないのだ。マンションも同じというのがOさんの考え。菜々子が老人ホームへの住み替えるのを20年先と仮定すると、その時点でのわがマンションは築50年くらい。菜々子の部屋の売値はずいぶん下がっているだろう。老人ホームの入居一時金に足りないかもしれないと脅された。ではOさんのアイデアは?

マンションの寿命をあらかじめ設定する

 「マンションの築年数、区分所有者の年齢のどちらも若い時点で、マンション建物の除却と敷地の売却時期を設定してしまうのさ」。古くなったマンションの建て替えが各地で懸案になっているが、法律の要件である5分の4の賛成を得られず、頓挫する事例が多い。

 「区分所有者が超高齢になってからではまとまらないのは当然だ。だから今の時点で先決め決議するのさ。そしてもう一つ、修繕積立金の使途に、建物除却費用も含めることにする」とOさん。修繕積立金の値上げに、区分所有者がすんなり賛成するかしらと菜々子。

 「敷地を高く売るには更地にする必要がある。除却費用を分担できない区分所有者がいると話がもつれる。そこで除却費用もあらかじめ積み立てておく。そうするとどうなる?」。謎かけされた。

 「所定の時期が到来すると、区分所有者は高く売れる更地の売却代金の分配を受け、それぞれ新居を買って引っ越すことが可能になる」。つまりマンション・コミュニティの解散。

 マンション建て替えで難しいのは、同じ場所に建て替えられえる新マンションに居住しようとするためだ。そこで費用のほかにも、部屋の割り振りや建て替え中の仮住まいなどの難問が生じて、調整が困難を極める。今住んでいる分譲マンションに「終期」が設定されていれば、それをベースに各自が引っ越し時期を考えればよいということらしい。

 菜々子がその時期より5年早く老人ホームに転居することになったら?それも簡単とOさん。

 「除却費用が積みたてられているから、菜々子ママの部屋を買う人は宝くじに当たったようなことになる。その人は5年間区分所有権を保持することで、敷地売却の分配金をまるまる得ることができる。ということは5年前にママが部屋を売る代価も、周辺の築年数が同程度のマンションよりはかなり高値になるわけだ」

(月刊『時評』2020年11月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。