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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第259夜】

四月一日の新聞記事

写真ACより
写真ACより

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

新聞にエイプリルフールはない

 ドタドタと乱暴な足取りで傾斜60度の階段を駆け上がってきたGさん。今日一番乗りのお客さまだ。いつもは先に現れる連れのFさんはまだ来ていない。

 Gさんカウンター席に座るなり、手にしていた某新聞朝刊の一面を示した。これを読めということらしい。紙面の記事は三つ。①「南海トラフ地震で30万人死亡を政府が想定」、②「参院修正で新年度国家予算成立」、③「フジテレビの性暴力が業務の延長上と認定」。

 さてどの記事から読めばいいのか。

「どの記事もケシカラン。今日はエイプリルフール。これらの記事内容が読者へのいたずらであればよかったのだがね」

 駆けつけビールを一気に流し込んだ。

国会に予算編成権があるのか

 最初にやり玉に上がったのは②の新年度予算。Gさんが機関砲のように打ち出す憤慨事項を要約すると、国会による政府予算案修正がケシカランの最右翼のようだ。

 与党が議席の過半数を占めていれば、内閣が与党と協議して作成した予算案が国会で修正されることは、非常事態が起きない限り基本的にあり得ない。だって内閣総理大臣は与党の党首でもあるのだから。これが「議院内閣制」の基本中の基本。

 ところが今の石破内閣の与党は少数派だ。野党勢力を説得できなければ、予算を修正されても仕方がない。そして案の定というか、野党は所得税の基礎控除など減税を要求した。

「〝同意なくして課税なし〟という国民の意思が議会の出発点だから、内容はともかくとして野党が減税を要求するのは筋が通る」とした上で、Gさんが問題にするのはそれ以降のいきさつ。

 減税すれば歳入が減る。ならば内閣はその減収分に見合う歳出削減案を提案協議しなければならない。それで医療保険での高額療養費支給節減を打ち出したが、ただのポーズだったようで、医師会等既得権益の反対を奇貨として取り下げた。逆に降って湧いた感が強い高校授業料無料化という一部野党の生煮え要求を丸呑みした。これは国会と内閣による共謀的な憲法逸脱であり、国民背信の茶番田舎芝居である…。

 ポンポン言われてもついていけない。菜々子が理解する範囲での法律知識を動員する。

「歳入に関する国会修正は可能だとあなたはさっき言ったわね。なのに歳出に関する国会による修正は許されないと言うのは矛盾だわ」

 Gさんの目が光った。

「そう思っている国民が少なからずいることが問題なのだ」。

 Gさんの説明で、「三権分立」という学習事項を思い出すことになる。民主国家の基本は法の公平かつ例外なき厳格適用。そして国会は唯一の立法機関として、内閣の行政権を制約している。その代償として憲法は、国会には予算編成権を与えず、内閣の専権事項としている(73条5号)。国会は審議議決を持つが、自ら予算案を作成する権限を持たない。

 なるほどと言いたいところだが、今のように内閣与党が少数派で、その提出予算を多数野党が否決したら国政がマヒしてしまうのではないかしら?

 Gさんの目がさらに強く光る。民主主義未成熟時点での憲法では、正常な与野党協議ができない場合に備えて「前年度予算暫定執行権」が内閣に与えられていた(ⅰ)。だが国民と政治家が成熟していれば、国政をマヒさせることを望まないから、とりあえず合意できる事項で「暫定予算」を作成することになり、現に何度も実施されている。予算編成権が内閣にある以上、国会での修正はその一部否定、すなわち減額修正のみが可能というのが論理的な結論になる。

「それで減税修正はよいが、歳出増はダメというわけね」。

南海地震への対策

 近年の国家予算についてのGさんの注文は続いた。返す目途もない赤字国債の発行は将来国民への冒涜だ、予算は年1回が原則なのに毎年増額補正予算を組むのは憲法違反だ、人口が減っているのに逐年予算総額が増えるのはおかしい、配分予算が政策効果につながっていない項目が多い(例えば少子化対策)、利権や給付を要求する一部の声に迎合するのは納税国民への裏切りだ、公金に群がるチューチュー組織が多い…。

 折よく遅れていたFさんが現われた。おデコが赤く腫れている。電車が急停車して手すり棒に額をぶつけたという。

「若くないのだから電車の揺れにも用心しなければ」となったところで、話題を①の南海地震に振った。新聞記事を読んだFさんが発言する。

「政府が研究成果を発表するのは当然だが、ではどういう対策を講じるのか。それなしでは騒ぎ立てるだけの〝オオカミ少年〟ではないか」

 Fさんも言い出したら止まらない。南海トラフ地震は前世紀から言われていた。そのときも数十年以内には起きると言っていなかったか。そもそも地球上の地殻は絶えず動いているのだから、大地震が〝絶対に来ない〟地域はない(ⅱ)。要は頻度の問題。仮に周期性が確実なものと仮定しようとFさん。

「周期が1万年であれば準備すること自体がバカバカしい。では30年であればどうか。確実に現存住民の命に限らず、生活資産全面に関わる。しっかりとした対策を講じなければならないが、今回の政府発表ではどのように示されているのか」

 後者の場合どのような対策を講じるべきなのか。菜々子が反撃がてら質問をぶつける。Fさんはビールをグイッと飲み、自身のスマホで別の記事を示した。

「台湾有事に備えて南西諸島の国民を九州に避難させると政府は言っている。これは一つの対策だ。いったん日本国民が去れば中国軍が入り込み、自国民を入植させる。二度と領土は戻ってこないが、島民の命だけは助かるかもしれない。評価は別にして、領土を放棄するという一つの具体策を示している。これとの対比で南海地震の想定地区を無人にして全住民を他地域に移住させるのであれば、一つの対策にはなり得る」

「非現実的だ。地震予知では被害規模は想定できても、肝心の地震発生時期については無力と断定されている。不確かなのに住民に移住要求しても納得するはずがない」とGさん。

 Fさんはその疑問を想定していたかのように続けた。

「まさにそこが問題。起きうる事態を明確化しなければ準備は不可能。関西万博も開催時期というタイムリミットがあったから曲がりなりにも準備が進んだ。いつ、どの規模の地震や津波が来るのかを仮定し、それに十分な準備をする。それが公的な施策である。だからこそ災害想定を超えても『仕方なかった』として、復興に頭と心を切り替えられる」

 菜々子も納得できる。地震や津波の発生自体は防げないのだから、政府がするべきことはその規模と時期について国民の〝予測合意〟を形成することなのだ。

 今度はGさん。「自然災害と違って台湾有事の方は人間が起こすこと。政府がすべきことはまずそうした〝有事〟を起こさせないことだ。そのために政府があり、外務省があり、さらに防衛省がある。『すべてを捨てて逃げましょう』では国家の使命を果たしていない」

 Gさんの議論は予算に戻りそう。

「なぜ国民政府が存在するか。21世紀になって、国際社会は専制政体の独裁者による侵略を止めることができなくなっている。ならば日本など民主主義政体としては、国民主権と平和(侵略反対)を国是とする国々と強固な連携を確立して、力には力で対応すると腹を括るしかないと思う。そうすると国家予算の重点使途はおのずから定まり、今のような人気取りのバラマキ事業をやっている余裕はない…」

 菜々子は自宅ポストに投げ込まれていた都議選候補のチラシを思い出した。全都民に7千円のポイント付与、防犯機器助成、無痛分娩10万円補助、奨学金返済肩代わり、都費海外留学制度創設・・・。バラマキ公約のオンパレードだが、「財源はどこにあるのよ?」

大手マスコミ企業の性暴力

 Gさんが取り上げた記事の三つ目にも触れてみよう。Fさんが頷いた。

 テレビタレントの意を迎えるため自社の花形アナウンサーなどを差し出したのではないかという事件で、同社が委嘱した第三者委員会が報告書を公表したことを報じている。

 これまで連日、各媒体が報じていたから事件の概要は老若男女がことごとく承知しているだろう。報告書の骨子は、「全社的にハラスメント被害がまん延しており、今回の性暴力事件後においても思考停止に陥って責任を回避しようとした」としている点だろう。

 渦中の女性の「こういうことは二度となくしてほしい」とのコメントがあったが、ほんとうに再発はないと断言できるか。ブラック企業は他にいくらもあろうが、社会正義や人権を振りかざして糾弾してきた大手マスコミの社内実態はこんなものだったという二重基準が真の問題点だとFさん。

 元タレントを叩いている全マスコミがかつて彼にひれ伏し、虚像を広げていたのではなかったか。迎合はマスコミ人のモラルに反すると抗議し、退社した幹部社員が何人いたのか。

 「国民のマスコミ不信は当然だし、放送許可取消しを要求すらしない内閣や政党のバランス感覚欠如にも国民は怒っている。国民は怒りをどういう形で示せばいいのか」

 Gさんらしい突っ込みへのFさんの答えは、「選挙の投票に行かないなどは愚策。有効なのは〝江戸の仇を長崎で〟ではないが、このテレビ局にコマーシャルを出す企業商品の不買運動。もう一つはNHK受信料不払いでマスコミ全体に自制を促すことだ」

 でも本質は同社への鉄槌だろう。放送免許更新の条件として、役員と管理職全員の3年間報酬全額没収(強制寄付)して「性暴力対策全国基金」を作るのはどうだろう。無給労働は嫌という者は退社すればいいのだから抵抗は大きくないだろう。

ⅰ 大日本帝国憲法(明治憲法)71条

ⅱ 地球表面はいくつかの大きなプレートが移動しつつ、ぶつかりあっている。その際にプレートにひずみが生じたり、沈み込み最前線で端っこが跳ね上がったりして地震になる。日本に地震が多いのは、複数のプレートが押し付け合いをする交差点にあるため。

(月刊『時評』2025年6月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。