2024/10/04
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
Tweet民主主義が専制主義に対抗するには
7月4日の都議会議員選挙。あなたはだれに入れた? そしてその候補は当選した?
えっ、投票に行かなかった? どうして?
お客様にも棄権した人が少なくない。
「だれに入れても世の中、変わりそうにない」はTさんの口癖。
そこが問題なのだ。アメリカのバイデン大統領は、「現代世界は民主主義と専制主義との闘いである」と宣言した。G7諸国の足並みがそろい、英、仏、独もはるかヨーロッパから、極東の日本近海にまで海軍艦艇を派遣することになった。「民主主義陣営の最前線に位置する日本よ、頑張れ」とのエールであり、本気の支援である。
その前提は、わが日本で民主主義がほんとうに実践されていること。そのイロハのイが、選挙が正しく行われているかである。有権者の半分も投票しない選挙で、「民意が反映されている」などと強弁しても説得力に乏しい。
「そうは言っても、意中の候補、なにがなんでも当選させたい候補がいないもの」とOさん。「投票率を上げたいなら、1万円の商品券を渡すくらいの配慮をしなければ」
「あなたねえ。おカネを渡して投票を求めるのでは、主権在民ではなくなるわ」と菜々子。
俄然、選挙をめぐる論戦になった。
Tさんは、おカネで投票所に行かせるのは邪道という点で、菜々子に同調。民主主義を守るのは国民の義務という観点から、「投票参加を義務制にするしかない」と言い出した。棄権した者を刑務所に入れるのはさすがに行き過ぎとしつつも、「罰金として翌年の住民税に一選挙1万円の一律加算をすればよい」。
早速Oさんに「低所得を理由に住民税が非課税になっている者にも賦課しなければ不公平になるが、政治的に実行できるだろうか」と批判された。「いまのこの国では、低所得者を優遇することこそ政治家の役割という風潮だからな」と追撃する。
菜々子に発言の順番が回ってきた。「両方の説とも大いに問題」と先制パンチして、理由を追加する。民主主義を守るのは、義務ではなくて、権利なのだ。民主主義を維持する価値なしとする者が多数になれば、自動的に機能しなくなる。そうして中国共産党の日本支部が強権支配するようになるのを座して見ていればよい。それでは困るという者は、命とカネをかけて行動しなければならない。
結論を告げた。投票を有料制にすべきである。Oさんとは真逆、有権者は投票するために1万円の印紙を購入するのだ。政府は印紙売上げ収入で選挙事務費をねん出し、政党助成金を公布する。投票者が少なくなれば、選挙を実施できず、政党も活動費を失う。
投票は消去法で
「正論だとは思うが、国民がついてくるか」。Oさん、Tさんの最初の反応。「投票権は一人一票。自分の政治信条とまったく同じ候補者などめったにいるものではない」
それには菜々子も反対しない。人はそれぞれ考えが違う。その違いを認めるのも民主主義の心髄。そこが「独裁政党の主席とまったく同じ考えを持つべき」とする共産主義との違い。
ここで菜々子の秘策を公開した。といっても落語家の春風亭一之輔さんの受け売りを実践しただけだが。彼は一門の弟子に、選挙を棄権するような者は破門すると宣言しているそうだ。「どの候補者も似たり寄ったりだし、信用できそうにない。どうやって選ぶのか」という弟子に対してこう答えている。「候補者の中でこいつだけは絶対に嫌だ」という人を決めて、絞って、「最後に残った一人に入れろ」。ご本人もそうしているという。
菜々子はこれを今秋の都議選で実行した次第。わが江東区での都議会定数は4人。これに8人が立候補している。名前をAさんからHさんの8人とする。配布された選挙公報をじっくり読んで〝×〟印をつけていくわけだ。
その過程を紹介しよう。江東区の特徴は、東京オリパラ大会の地元中の地元であること。もっとも誘致活動中、区民の反応は総じて冷めたものだった。喧騒は願い下げといった感じ。だが、今はそんなことを言っていられないというのが菜々子の思い。
①間近に迫った東京オリンピックを中止せよと主張する者2人がまず脱落。東京は開催都市。オリンピックには地震、津波という災害を乗り越える力があると訴えて、開催都市の権利を勝ち取ったのではなかったか。コロナごときで返上すれば、世界の人はどう受け取るか。「最初から候補地に手を挙げるべきではなかった。日本人、日本政府は信用できない」との悪評を後世に残すだけではないか。後先考えず、目先の損得計算だけの人に政治を任せてはいけない。AとBに〝×〟印がついた。
菜々子は実子がいない。でも、子孫にとんでもない借財を背負わせるには大反対。自分たちは耐えても、次の世代にはよりよい生活と資産を残すべきだ。
ということで②バラマキで有権者に媚びる者も選外。例えば「医療費無料化を高校3年生まで」。嬉しいが財源はどこに?歴史的なバラマキであった昭和時代の「老人医療費無料化」を東京都は先導したが、財源が足りなくなると政府に押し付けた。社会保障が政府の財政窮屈の主因になったきっかけである。Cに〝×〟印。同じ理屈で進む。
③「高齢ドライバー安全運転装置に9割補助」が目につく。法律や条例で装置設置を義務づければ済む話。それに加えて補助金を出す必要がどこにある。自動車保険料を都が肩代わりする主張に等しい。なんでも行政に経済負担させればよいとの低次元で、とても公費の運営(予算議論)に口出しさせたくない人物だ。Dにも〝×〟印。
さらに、④都民に「一律10万円の給付金支給」の公約者もアウト。東京都にある資産を活用してと、一応財源に触れているが、ほんとうにそのような余裕財源が東京都にあるのか。それにコロナでの疲弊は全国ベースの話。都民だけに給付金支給すればよいとの発想には、国民連帯精神を感じられない。政治家として、日本国民としても落第だろう。Eに〝×〟印がつく。政府や自治体は、公共財産。その財政基盤が強固であれば安心感が増す。その意味で、財政規律感に乏しい者に議会を任せられない。
⑤「消費税廃止」の公約、「都民税20%、事業所税50%減税」の公約候補も落としたい。減税には賛成だが、行政が機能しなくなっては困る。何々をこのように効率化して経費を減らすから減税できるのだとの代替政策が示されないのでは、言うだけの無責任。人間性すら疑われるから、政治を任せられない。FとGにも〝×〟印。
ここまで来て残り一人になった。これ以上検討すると「入れる人がいない」ということになり、金で釣られるか、罰金で脅されない限り、棄権しようとなってしまう。春風亭一之輔さん流で、残ったHさんに入れることになる。
取捨選択基準は人さまざま
菜々子のふるい落としの思考順路はこうだった。同じような政治信条の有権者でも、選別基準の適用順序を変えれば、最後に残る候補者は変わるだろう。菜々子の場合は、政府や自治体の財政基盤への関心が高い。
Oさんが財政理論の蘊蓄うんちくを述べ始めた。菜々子が国等の赤字財政を批判していることに反対してのことだ。
「菜々子ママのように財政健全化にこだわっていては、機動的な政策を展開できない。コロナがその適例。国民が疲弊している今こそ、積極的に国債を発行して、それを財源に国内にばら撒く。そうでもしいないと行動自粛で国民経済が縮小してしまう」
難しい財政理論は菜々子にはわからない。ただ、言えるのは、借金は返さなければいけない。国債の場合は長期に渡るので、返すのは借りた世代ではない。無責任の極み。
Oさんが持ち出したのが現代貨幣理論(MMT=Modern monetary Theory)。その要点は、国債の過剰発行の副作用はインフレになること。インフレ懸念が見えたら新規発行を停止すればよい。政府に信用がある限り、その国の通貨建ての国債に発行上限はない。信用して投資(国債購入)する者がいるから。現に、従来理論ではとっくに財政破綻し、悪性インフレに陥っているはずのわが日本で、国債は順調にさばけているではないか。
MMT日本語読み
立て板に水のように解説され、迷いが生じたところでTさんが菜々子に助け舟。
「国債信用の背景はその国内の貯蓄状況。今の日本は過剰貯蓄なので国債がさばけている。一つは前期高齢者が老後資金をしっかり持っていること。でも後期高齢者に重心が移っていくと、貯めるより吐き出すほうが多くなるから、貯蓄総額は縮小する。二つは日本の企業が設備投資をせずに社内に蓄えていること。しかし巣籠すごもりでは競争に勝てなくなる。投資が復活すれば企業の社内貯蓄はなくなる。この二つで、国債購入の資金がなくなり、国債は売り傾向になる。政府に買い戻すための自己資金がなければ財政破綻が現実化する」
TさんがMMT理論の訳語を発見。「まったく」「もって」「トンデモ」理論。「インフレ気配での即発行中止」など政治的に不可能。菜々子は納得した。Oさんは憮然。
政府財政規律回復の約束
政府にも財政健全化の意識はあるらしい。1983年度の「予算マイナスシーリング」、1997年の「主要経費の量的圧縮」、2006年の「2011年度に基礎的収支黒字化」、2015年の「2020年度までに基礎的収支黒字化」、2018年度の「2025年度までに基礎的収支黒字化」の政府方針。一目瞭然、議会(国会)の圧力、後押しがなければ、政府は安易に流れ、ずるずる先延ばしするだけなのだ。
秋の衆院選では、政府に放漫財政を促す候補者、財政再建に消極的な候補者から順に切り捨てることになろう。
(月刊『時評』2021年9月号掲載)