お問い合わせはこちら

菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第218夜】

GoToキャンペーン

写真ACより
写真ACより

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

コロナは終わったか

 菜々子が不思議に思うことの一つがコロナ報道。「本日の新規感染者は○○人でした。重症者は△人に減り、死亡者は都内ではゼロでした」。定時のニュースはこれから始まる。一日の感染者が1万人を超え、重症者が入院できずに野垂れ死に、感染死亡者で火葬場が混乱していれば、なんとかしなければならない事態であり、報道機関が政府に対策を求めるのは当然だ。だが、このところの状況は、コロナに関しては平穏そのもの。

 政府はコロナに重点を置いた史上空前規模の経済対策を講じるという。いったい、いまごろ、なんで?カウンター席でAさん、Tさん、Mさんが議論している。酒席での他愛無い与太話であるのだが、本質をついている点もあるのではないか。今日の菜々子は、話題を投げかけるだけにして、後は岸田総理をまねてもっぱら聞き役に徹しようとしたのだが…。

「終息したと判断するのは早計」とするのがAさん。根拠とするのが、第6波の襲来懸念を述べる専門家の存在である。オミクロン株もあると彼は付け加えた。

 これに対しTさんは、「ロックアウトなどの強制措置なしで乗り切れた。それは国民がマスク着用や手指消毒徹底という行動変容を徹底したから。これが強制施策を繰り返す他国と違うところで、海外との人的往来を不用意に開かないかぎり、再襲来はないだろう」

 中間がMさんで、「相手は変異を繰り返す微生物。その流行予測は、ファッション動向予測や台風の進路予測よりも、もっと当たる確率は低く、分からないものと腹を括って対策を講じることだ」

 さて3人の議論が文殊の知恵になるかどうか。

GoToトラベル

 コロナで逼塞していたのでは国民の暮らしは成り立たない。業種によっては日銭が入らず、コロナ感染しなくても、経済的に日干しになる。その典型が旅行、飲食関連業界。久寿乃葉もその隅に連なる。

 政府が準備しているのがGoToキャンペーン。冷え切っている国民の旅行、外食、催し物参加、ショッピング機運を盛りあげるべく、消費費用の一定割合を政府が財政支援しようというものだ。これってどの程度、意味があるのでしょうね。

 早速始まる甲論乙駁。やるからには国民の消費熱が本格回復するまで規模無制限にとの主張と、それではコロナ再流行になりかねないと慎重を求める主張がぶつかり合う。さらに国内需要だけでは不十分で、外国旅行者を呼び入れることの是非にまで論点が拡大する。しかし、論じているうちに焦点が絞られてくるのが、自由討議のよいところ。

「政府の方策では手続きがややこしい。仲介事業者を通しての予約などの複雑な仕掛けが必要なのだろうか」とTさん。「不正受給はどのみち防げない。緊急、即時にカネが回ることを優先し、悪党は後でじっくり取り締まり、国家反逆罪並みの重罰で対応すればよい」とAさん。一つの方向性が見えてきた。それをMさんがまとめる。

「消費を抑え込んでいるのは、政府のコロナ危機扇動への国民の順応性。政府に必要なのは『今こそ消費して関連事業者を応援しよう』とのメッセージだけ。政府がカネをバラまくのはかえって逆効果。旅行に行けば政府報奨金ということになれば、その後は『報奨金が出ないなら旅行には行かない』ことになりかねない」

「でも、きっかけ作りは必要なのでは」と菜々子は食い下がってみた。

 3人でまたガヤガヤやっていたが、Tさんがこういう案はどうだと提案した。「住宅ローン減税を真似て、『GoTo推進減税』を臨時に実施する。政府が統一領収証の規格を定め、来年5月までと期限を区切り、その期間中に事業者から発効された領収証を添付すれば、無条件でその半額の税額控除を認める。これなら給付金支給のためのシステムはいっさい不要だ」

 菜々子は聞き役には徹しきれない。悪い癖だ。また質問してしまった。「税額控除だと、低所得で非課税の人には恩恵が行き届かないわよ」

「政治の政策目的は簡明をもって旨とすべき。この場合、旅行、飲食等の事業者の売り上げ増が達成目標。低所得者に旅行させるのが目的ではない」3人が口をそろえた。

 数年前まで海外旅行者を引き込むインバウンド政策が採られていた。これについてどうするか。国内に税を納めない外国人では、税額控除方式は誘因にならない。

「強硬措置を採らず、国民の連帯意識で感染を防ぐのがわが国の方式。そして新型病原菌によるコロナ級のパンデミックはこれからも起きるのだから、外国人旅行者の旅行代金に期待するのは、きっぱりと諦める。日本人の国内旅行意欲を盛り上げることですね」とTさん。

人手不足と賃上げ問題

 外国人の入国規制で困っている業種に大型専業農業もある。菜々子はこの日の新聞記事を見せた。コロナで規制されていた外国人技能実習生の入国が緩和されることになり、担い手不足を実習生で補ってきた農家が安堵の声をあげていると記されている。

「自分はコロナの再流行はあり得るとの立場だ。安易に実習生を受け入れるのは反対。労働力不足は国内で解決すべきだ。幸か不幸か、コロナで職を失った人は多い。失業者の再就職先として農業分野を開拓すればよいことだ。職業訓練で農業分野はどのように扱われているのだろうか」と口火を切ったのはAさん。

「国民生活の安全保障の観点から見ても、食料自給は重要事項。コロナを機に、こうした側面に国民の目が向かうのはいいことだ。農業に限らず、製造業分野でも、企業が生産拠点を海外に出してしまい、その結果として、国内の雇用が失われている側面がある。マスクのような必需品まで国内では製造できなくなっていて、アベノマスクのような事象になってしまった。今は給湯器がなくて、お風呂を使えない家庭もあると聞く。基礎的生活素材の国内供給ができない企業に存在価値があるのか。それらの生産は地場の中小企業の業務になるだろうが、彼らが補助金などなくても事業継続できるように仕組みを整えるのが、ブランドを有する大企業の使命だし、産業政策の課題だろう」とTさん。だんだん話が大きくなってきた。

「岸田総理が産業界に3%の賃上げ要請と報じられているが、彼のいう『新しい資本主義』とは社会主義への移行なのかね」とMさん。

「賃上げするにはその事業のしっかりとした収益が前提になる。赤字でも構わないから賃上げせよでは、国営企業に対する共産国家の指導そのものだ。事業が回るようにし、かつ人出不足状態ならば、ほっといても賃金は上がるのが経済法則。政府の使命は、その基盤を整備することだけだ。カネのばらまき混乱とモラル低下を巻き起こす」

 論理的にはそうだが、具体的にはどうするの?例えば、低賃金が過ぎる介護分野などでは?またしても口出ししてしまった。

 Tさんが言う。「介護事業者が儲かるようにするには、介護報酬の単価を上げること。しかし介護保険の財源は限られている。ではどうするかと女将は聴きたいのだろう。介護保険の給付対象行為を絞ることだ。方法はいろいろあるが、分かりやすいものとしては、例えば、保険給付を要介護3以上に限定し、それ以下は全額自費負担にする」

 Mさんが付け加える。「わが国の特色は、貧富の差に対する国民の目の厳しさです。労働に対する不当な低賃金と同様に、不当な高報酬も排除すべきです。ただしそれを法律等で強制するのは、わが国の手法ではない。例えば、介護事業を営む法人の幹部の報酬が一般介護職員の3倍を超えるのは感覚的にいかがなものでしょうか」

 介護の事業に並外れた新規性があるわけがない。制度でがんじがらめに縛られているのであり、事業者幹部に求められるのは、職員の士気を維持し、定款に定めるサービスをきっちり提供することに尽きる。公務員とほぼ変わらない。

 Aさんも付け加える。「一般企業でも基本は変わらない。チョンボを繰り返してトップ交代に追い込まれたみずほ銀行の役員報酬はどうなのか。元日産のゴーン社長への同情が起きないのは、彼が10億円超もの報酬を得ていたことだろう。岸田総理が分配を強調するのであれば、経営トップ層の報酬に対する自覚を促すメッセージを発するべきだよ。わが国独自の資本主義とは『トップ層経営層が企業を社会の共働資源と認識することである』と宣言すればよいのだ」

コロナ後の日本社会

 日本はアジア大陸の近縁にありながら、中華の歴代国家とは異なり、専制、独裁の政治体制の伝統がない。「和を持って尊し」とする国柄である。島国で肩を寄せ合い、国民はみな同胞との心がけで世代をつないできた。この生き様を無理して変える必要はないのではないか。それがコロナでの教訓とするのはおこがましいだろうか。

 一にも、二にも、国民連帯。これは国民年金法などにも明記されている法律用語。心を一つに国民全員の幸福を追求する。それがこの国のあり方であると再確認できれば、コロナ禍にも意味があったことになる。

 最後は三人の意見が一致したのだが、それは彼ら全員が同じ野球チームのファンだったから。この日(11月27日)、前年ビリだったチームが日本シリーズで優勝した。監督は「自分たちが信じたことを貫いたことが勝因」として、選手全員を讃えた。この監督を総理にしたらいいのではないか。菜々子はそう思ったけれど、口にはしなかった。

(月刊『時評』2022年1月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。