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【森信茂樹・霞が関の核心】厚生労働事務次官 伊原 和人氏

経済環境の変化に対応しつつ、社会保障制度の持続可能性を求めて

いはら かずひと/昭和39年10月22日生まれ、香川県出身。東京大学法学部卒業。62年厚生省入省、平成27年厚生労働省大臣官房審議官(年金担当)、28年大臣官房年金管理審議官、29年大臣官房審議官(医療介護連携担当)(医政局、老健局併任)、30年大臣官房審議官(総合政策(社会保障)担当)、令和元年政策統括官(総合政策担当)、3年医政局長、4年保険局長、6年7月より現職。
いはら かずひと/昭和39年10月22日生まれ、香川県出身。東京大学法学部卒業。62年厚生省入省、平成27年厚生労働省大臣官房審議官(年金担当)、28年大臣官房年金管理審議官、29年大臣官房審議官(医療介護連携担当)(医政局、老健局併任)、30年大臣官房審議官(総合政策(社会保障)担当)、令和元年政策統括官(総合政策担当)、3年医政局長、4年保険局長、6年7月より現職。


 超高齢化が進むわが国において今、税・社会保障制度が大きな変革期を迎えようとしている。長年にわたり導入が待望されてきた「給付付き税額控除」について、高市早苗政権が具体化に向けた本格的な議論を打ち出したのだ。その背景には年々増加している社会保険料負担の軽減をはじめ、再分配制度の抜本的見直しがある。厚生労働官僚として社会保障問題のエキスパートである伊原和人事務次官に、現在の日本の現状、そして制度導入の意義と課題を語ってもらった。





高齢化+経済・物価動向を加算

森信 まずは、令和8年度予算における社会保障関連の予算についてポイントを伺いたいと思います。

伊原 端的に申せば2025年夏に取りまとめられた、社会保障予算に関する「骨太方針2025」で明示された方向性に集約されています。

 平成の時代、社会保障関係費は、65歳以上人口が毎年3~4%の伸びで推移してきたこともあり、「自然増」という形で他の経費と異なる伸びが容認されてきました。もちろん、国家財政として厳しい制約がある中ですから、医療技術の高度化等による経費増は、この高齢化の伸びの範囲内で賄うよう、毎年厳しい「適正化」が求められてきました。

 しかし現在、高齢者人口の増加ペースは大きく低下しています。第2次安倍政権が発足した13年当時は3%を大きく超える増加率でしたが、今ではわずか0・2%ほど。37~38年頃には団塊ジュニアが65歳に到達し、若干増加しますが、それでも1%を超えることはないと見込まれています。

 一方、経済動向を見ると、平成時代はデフレ下でしたが、今はインフレです。私が入省した1987年頃は賃金・物価ともに3%前後で伸びていましたが、90年代に入ると大きく低下し、以降、長らく0%前後が続きました。それが数年前、ウクライナ戦争を契機として上昇に転じ、今では35年前の水準となっています。すなわちデフレ時代のような予算では対応できない状況になったのです。

森信 その対応が前述の骨太方針に表れているわけですね。

伊原 はい、骨太方針では「高齢化による増加分に相当する伸びに経済・物価動向等を踏まえた対応に相当する増加分を加算する」と明記されています。他の省庁でもインフレ対応が最大の課題になっていると思いますが、社会保障は規模が大きく、医療費は1%伸びるだけで全体が5000億円増加してしまいます。賃金・物価動向に対応しつつも、社会保障費全体の持続可能性も考えていかねばなりません。

厳しい医療現場の経営状況

森信 2025年秋の自民・維新連立政権において、「社会保障全体の改革を推進することで、現役世代の保険料率の上昇を止め、引き下げていくことを目指す」旨の合意がされました。政治的決断によって打ち出された内容ですが、この要点はどのようなものでしょう。

伊原 端的に言えば社会保障の伸びを抑制して若い人の負担を抑えていこう、というものです。インフレによる医療や介護現場の困難な状況を改善するのと同時に若い人の負担を増やさない、これをどうやって両立させていくかが大きな課題となります。

 実際のところ医療機関の経営状況は非常に厳しく、100床当たりの損益について、コロナ禍以前の18年とほぼ終息した23年を比較すると、事業収益すなわち売り上げは10%伸びていますが、事業費用は15%増えている、つまり事業利益はマイナスに転じています。24年度に経常利益が黒字だった民間病院は51%にとどまり、ほぼ半分が赤字経営となっています。平均経常利益率も23年度は1・2%のプラスだったものが、翌24年度は一気にマイナス0・2%へ悪化しています。この間に診療報酬を0・88%改定したのですが、その改定率では物価上昇率に追いつけなかったのです。

 その結果、医師以外の医療関係職種の給与水準を見ると、全産業平均との格差が年々拡大しており、24年には4・5万円の差に、さらに介護分野に至っては全産業平均から8・3万円と大きく差が開いています。この結果、年々増加していた介護従事者数が前年比マイナスとなってしまうなど、現場は厳しい状況となっています。財政当局もこうした実態に対して理解を示していただき、26年度の診療報酬は最終的に3・09%という引き上げを認めていただきました。

 一方、診療報酬が上がれば、その分、必要となる保険料も増えます。そこで、あわせて、保険料負担抑制に向けた社会保障制度改革を取りまとめました。

森信 その主たる内容を教えてください。

伊原 まずは「OTC類似薬等の薬剤自己負担の見直し」です。医師の処方箋が無くても薬局で購入できるようなOTC医薬品と似たOTC類似薬など保険給付としての必要性が相対的に低い医薬品について、通常の3割負担とは別に患者さんから薬剤料の4分の1の負担をいただくという内容です。

 次いで、「高額療養費制度の見直し」を行うこととしています。

森信 25年春の通常国会で、患者団体から強く反対された構想ですね。

伊原 改めて検討の場を設置し、患者の方々にも参画いただき、何度も議論を重ね、新たに年間上限を設定する一方、低所得者の方にはむしろ負担額を引き下げるなどの見直しを加えました。あわせて、引き上げ幅も縮小しています。

 また、この二つの見直しのほか、医薬品流通市場での実勢価格に応じた薬価改定等を行うこととしています 

 これらの改革の結果、保険料負担で見ると、OTC類似薬等の見直しにより約1000億円、高額療養費の見直しで1600億円、このほか薬価改定等で2000億円それぞれ削減できると試算しています。

(資料:厚生労働省)
(資料:厚生労働省)

金融所得を賦課の対象とするために

森信 今回の社会保障制度改革では「金融所得の反映などの応能負担の徹底」が打ち出されています。後期高齢者医療制度の窓口負担割合や保険料等への金融所得の反映を盛り込んだ内容で、この26年通常国会で法案提出する予定だと聞きました。

伊原 従来の社会保障制度改革は公費の制約がある中で、財政とのバランスを取ることを主眼に議論してきたのですが、近年、給与明細を見ても、所得税や住民税など税の負担よりも、社会保険料の方が大きい状況にスポットが当たり、現役世代の社会保険料の負担を何とかしなければならない、という議論が高まりつつあります。

 現役世代の大部分が加入している被用者保険の場合、保険料は給与だけが賦課対象となっていますが、高齢者医療の場合には、自治体が運営する地域保険となっており、所得全般が賦課対象となっています。その中で、金融所得は、分離課税とされていることもあり、本人が確定申告した場合だけ保険料に反映される仕組みとなっています。つまり、確定申告しない場合には賦課対象になりません。これでは不公平であるし、そもそも、金融資産は総じて高齢者が保有している場合が多く、そこから生じる所得を保険料にも反映すれば、高齢者の間で、持つ者と持たざる者との負担の公平を図ることができる、さらには、高齢者医療制度に対し、若い世代が負担している保険料負担の抑制につなげられるのではないか、という観点から、新たなスキームを導入することとしました。

 ただ、この金融所得の反映は、仮に法案が成立しても、その実施は数年先のことになります。

森信 私は前からこの主張をしており、やっとできるかという感じですが、なぜ数年も要するのですか。

伊原 一定の準備期間を要するからです。まずマイナンバーが証券口座にしっかり付番されていないと実施できません。また、証券会社とデータベースを運用する法人、そして、保険者との間を結ぶシステムを新たに構築する必要があります。その上で、システムの稼働を開始しても、保険料に反映できるのは、1年分の金融所得が把握できた翌年からとなるからです。

森信 インフラが整備されれば、そのデータベースを活用して介護保険料の見直しなども可能になると思われます。介護保険料の負担抑制は以前から議論されながらなかなか進みませんが、このインフラをもとに見直しが進むものと期待されます。

伊原 はい、今回の金融所得の反映は、まず高齢者医療制度において導入することとされていますが、介護保険への適用も検討課題であると考えています。また今後、検討が本格化するであろう給付付き税額控除の論議においても、金融所得の取り扱いが課題となる可能性があります。

森信 自民と維新、片や高齢者に手厚い社会保障、片や改革を目指し社会保障にも切り込む。この政党間の協議によって、社会保障制度が議論される、この点について次官の所感をお聞かせください。

伊原 政党間の考えやベクトルの相違というよりも、現実としてどう合意されたかが重要ではないかと思います。政治状況やタイミングの問題もあるでしょうが、まさに合意された中身がどういう内容であるかではないかと。

森信 その結果、まとまった令和8年度予算ですが、私は一般会計ベースでのプライマリーバランスの黒字など、それなりにまとまった予算だと評価しています。次官はどのようなお考えでしょうか。

伊原 官僚が評価することではないと思いますが、当事者の一人としての感想を申し上げれば、さまざまな条件がある中で、何とかまとまったなと思っています。



もりのぶ・しげき 法学博士。昭和48年京都大学法学部卒業後大蔵省入省、主税局総務課長、大阪大学教授、東京大学客員教授、東京税関長、平成16年プリンストン大学で教鞭をとり、17年財務省財務総合政策研究所長、18年中央大学法科大学院教授。東京財団シニアオフィサー。著書に、『日本が生まれ変わる税制改革』(中公新書)、『日本の税制』(PHP新書)、『抜本的税制改革と消費税』(大蔵財務協会)、『給付つき税額控除日本 型児童税額控除の提言』(中央経済社)等。日本ペンクラブ会員。