
2026/10/05
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
国旗損壊罪法案が成立
「国旗の損壊等の処罰に関する法律」が制定公布された。国会での議論中、マスコミは賛否両論を連日大きく取り上げていたが、可決制定されてしまえば、「そんなことがあったの?」といった感じ。いったい何のための大騒ぎだったのか、菜々子自身の備忘録代わりに某日の久寿乃葉でのやり取りを採録しておこう。
議論は唐突に始まり、ワッと盛り上がり、ほどなく他の話題に移ったのだった。
自宅に旗を立ててみた
Tさんの一言がきっかけだった。彼曰く、新法制定の報を聞いて、20年ほど昔に通販で買ってあったままの〝日の丸〟を袋から取り出した。
「今日は海の日という国民の祝日だ。玄関前に掲揚する(ⅰ)のはどうだろうか?」
実はこの提案、Tさんは以前にもしたことがあるという。そのときは奥さんから断固拒否された。
「まわりの家はどこも日の丸を掲揚していない。わが家だけ目立つことをして目をつけられ、近所から浮くのはごめんです」
しかし今回は違った。「あなた、いいものを買ったわね。せっかくだから表門前の目立つところがいいわ」。これにはTさんが驚いた。奥さんは以前のやり取りを覚えていないのだ。国旗も新たに買ったのだろうと思っている。ともあれ二人で、以後は祝日には掲揚する方針を確認、気分よくリビングで新聞とコーヒーを楽しんでいるところにチャイムが鳴った。息子夫婦が孫を連れて遊びに来たのだ。
オヤジの身辺が心配だ
その息子が開口一番。「玄関前の国旗は目立ちすぎる。オヤジの気持ちはわかるが、もう少し周囲の様子を見てからにしてはどうか」
かつて奥さんとしたやり取りの再来だ。これに対しTさんの代わりに反論したのは奥さんだった。「国民が自国の国旗を掲げるのは当然でしょう。あんたが以前、駐在していたアメリカでは、どの家も国旗を掲げていたわよね。なぜ反対するのよ!」
「でもここはアメリカではなくて、日本だぜ。〝日の丸〟を目の敵にする活動家が少なくない。政府が『祝日には国旗を掲げましょう』と強く言い出すまで待つのが身の安全だ」
「日本男児がそんな弱腰でどうする」、「オレはオヤジ・おふくろが襲撃されないか心配しているのだ」――いっとき応酬があって、息子の嫁さんは孫を抱いてオロオロ…。Tさんは大げさに語ったが、家族内のことだからほどなく和解が成立。しばらくは門扉の内側に目立たなく掲揚することで決着、その作業は息子が請け負った。
外国国旗と自国国旗
どうして今頃になって国旗損壊処罰法が必要であると政府は判断したのか。逆に言えば、なぜ野党の一部は執拗に反対したのか。
Tさんの解説をかみ砕くことにしよう。犯罪取り締りの大本は刑法だが、その92条に外国国章損壊罪があり、侮辱を加える目的で損壊すれば2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金になる。法文で外国旗を対象としているから、反対解釈で日本国旗は対象外。それはおかしいではないかというのが、今回の新法制定の理由の一つ。
そりゃ、おかしいわ。一般庶民の代表として菜々子は質問する。だが、その議論はいささか底が浅いのだそうだ。
刑法で外国の国旗に限って特別罪を設けたのは、弱小国だった明治政府の欧米列強へのおもねりという。他人の物を壊せば器物損壊罪が適用され、3年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金もしくは科料となる。これに対し、外国国旗の場合は、壊すには至らずただ汚した程度でも、その国が怒ってくれば日本政府が行為者をきっちり処罰しますから、外交問題にしないでくださいね(ⅱ)、というわけだ。
内心の自由の絶対性
ここで間違った主張を唱える者が出てくるとTさん。それが「日本国旗に限っては、破ろうが燃やそうが勝手次第であり、その根拠は憲法の表現の自由(21条)に基づく」という主張。一見、もっともらしいけれど、ちょっと考えれば整合性がない。
「自国政府の政策に反対する権利はいかなる国の国民にも保障されている」とするのが日本をはじめとする国民主権国家の基本理念。政策は主権者である国民の総意で決めるのだから、決定の前に賛成、反対で討論するのは大前提。そのために言論や表現の自由が絶対的に保障される。
ただし表現の方法には、おのずから限界がある。刑法には「内乱罪」(77条)とか「外患誘致罪」(81条)があり、原則が死刑であるなど厳しく罰せられる。しかも未遂のほか、予備や陰謀段階でも罪に問われる。ここで内乱がどう定義されているか。「国の統治機構を破壊し、…憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的」とする暴動と書かれている。ここで言う統治機構とか、統治の基本秩序とは、わが国の場合、国民主権の運営システムということになる。
Tさんが学生の頃、ヘルメットをかぶり、火炎瓶を投げまくって暴力革命を叫ぶ集団がはびこっていたそうだが、内乱罪の予備や陰謀に当たるとなぜ当時の検察当局は考えなかったのか。「悪い芽は小さいうちに潰さなければ、除去できなくなる。体内のガンと同じだ」とTさん。その視点で言えば、わが国の領海やEEZ(排他的経済水域)への侵害を繰り返す国におもねる行為を国家に要求する国内勢力は外患誘致罪の予備段階と言えるのではないか。これは菜々子の心内の声。
自国国旗への損壊行為
さて日本国旗に対する損壊に対する罪に戻ろう。刑法とは別に新法が制定された。反対者の主張は総じて、国旗を大切に思う国民感情は大事だが、刑罰をもって強制されるべきものではないという。それは正しいとTさん。
自分は国旗を掲揚するが、しないことは罪ではない。法律が罪に問うのは「国旗の損壊等」であり、しかも「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法」での場合と限定されている。国旗への敬意の表明方法はさまざまなのだ。
討議の中で「レストランのお子様ランチに飾られたミニ日の丸を捨てたら罪になるのか」とか「持っていた日の丸を落とし、水たまりで汚れたら刑務所行きか」という問いかけがあったとされる。その質問者は、それを見かけた自分は著しく不快になると言うのだろうか。菜々子が庶民の見解を代表して答えるならば、「まさか!」が答えである。
ポイントは、主権者である日本国民の大多数が国民主権の基本を護る観点から、「それは許しがたい」行為であると判断するか否かである。そのことは制定された法律の附則で、「国旗を大切に思う国民感情」への配慮が明記されていることからも窺われるとTさん。
国民国家の象徴
世界には国民主権以外の政体の国が多数存在する。国籍を持つ国民が政治の決定権を持つ国ばかりではないのである(ⅲ)。例えばイスラム教の戒律が国家の根本であるとするイラン・イスラム共和国では、女性がヒジャブなしで外出すると鞭打ちとか、同性愛が判明すると石礫で殺害することが正義とされる。また個人崇拝で成り立つ北朝鮮では、独裁者の私生活暴露ですら機関銃銃殺の十分な理由になる。
これに対し国民主権の国での最大の犯罪は、その政治システムの脆弱性を突き崩そうとする行為である。民主政体は国民の意識が薄くなると、一部の煽動家や外国政府の手先や利権集団などによって容易にひっくり返される。それを防ぐための基本であり、最大防御手段であるのが、「自分たちが命を張って国民主権を守るのだ」という一体感である。
菜々子にもぼんやり見えてきた。国民主権は教義ではない。政治決定の方式(プロセス)なのだ。自分たちの国がどこに向かうのか。それが吉か凶かは分からない。ただそれを決めるのは国民の総意。よってその結果責任を負うのも国民すべて。決定に参加しておきながら、都合次第で「それには従わない」は言いっこなし(ⅳ)。決定参加には責任が伴う。
法の執行者の責務
ただし国民それぞれが主権者であることは、その総意を決定する前提として共通の基盤が必要になる。それが文化であり、言語であり、民族であり、共通の祖先であり、伝説である。例えば学校でクラス替えがあった場合でも、クラスの一体感が醸成されるまではその運営はうまくいかない。一国の政治決定となるとなおさらだ。
そうした一体感の一つとして国旗がある。だから自国旗が悪意を持って損壊されると国民は憤激する。その怒りは自然なものであり、「損壊行為は表現の自由です」では収まらないのである。でもそれは刑罰の威嚇でなければ解決できないのか。これがTさんの疑問。
「ママはどう思う?」と聞かれたから、端的に答えよう。
「悪意を持って国旗を損壊しようとする者は国民主権国家における政治に参加する資格がない」。憲法をパラパラめくると、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とある(10条)。「刑務所送りよりも、国籍返上をさせる方が理屈にかなっているのではないかしら」
Tさんは話題を江戸三大祭りの深川八幡祭りに変えた。「今年も盛況だったね」
ⅰ 〝日の丸〟と〝君が代〟を正式にわが国の国旗および国歌とする国旗・国歌法の制定は1999(平成11)年。
ⅱ 刑法92条は親告罪とされ、当該外国政府の申し入れが捜査開始の前提になる。
ⅲ 日本国憲法はその前文で国民主権は「人類普遍の原理」と言い切っている。
ⅳ 議論の場が保証されていて多数決で正当に決定された事項では、反対票を投じた者も結果責任においては「賛成者」として扱われる。
(月刊『時評』2026年9月号掲載)