お問い合わせはこちら

特集:社会資本整備の現状と未来/国土学総合研究所長 大石久和氏

国全体が陥っている緊縮財政至上主義

――それでも戦後の日本は、道路、鉄道などの社会資本を相次いで整備し、高度経済成長につなげてきました。

大石 米国では1980年ごろ、道路をはじめとしたインフラの老朽化や補修の遅れが進み、〝荒廃する米国〟とも言われました。

 翻って日本は指摘されたように、高度経済成長期のインフラの効果によって、今なお〝荒廃する日本〟とまでは至っていません。ただ、その方向に向かっているのは確かです。現に市町村が管理している橋などは、通行止めになったまま再開できないという例が何百橋も出てきています。これがGDPの足を引っ張っているにもかかわらず、人口減で利用者が少ないから補修の必要なしという意見がまかり通るありさまです。

――なぜ、インフラ投資が軽んじられるようになったのでしょう。

大石 一言で言えば、国全体が緊縮財政至上主義に冒されたと言っても過言ではないと思います。歳出を下げることが正義であるかのような錯覚にとらわれ、その結果、国民が貧困化し、国際社会における日本の経済的地位の低下を招きました。今では東南アジアの要人から、没落し続ける日本の将来を心配されるほどです。

 日本の経済学者は、財政赤字を解消するには増税か歳出削減しかない、と口を揃えますが、解決策としてはおよそ真逆の方向で、これでは全く経済成長に寄与せず事態を悪化させるばかりです。経済成長を図るには、国が投資を行い国内に資金が廻る構図を整備する必要があります。これは乗数効果と言われるように、将来的には国が投資した額以上の価値が生じるのですから、そうした効果の発揮を目指すべきです。それは前述したように、設備投資を抑制し続ける企業についても同様で、発想の転換が不可欠です。

――米政府は、〝荒廃する米国〟にどう対応したのでしょう。

大石 クルマ大国である米国では、ガソリン税を上げれば大衆課税になることから、1ガロン4セントというガソリン税の値上げに長らく踏み切れませんでしたが、レーガン政権時に従来の2倍、すなわち1ガロン9セントに引き上げました。そのうち8セントを道路に使い、1セントを財政再建に充てる決断をしたのです。

 日本では道路整備の財源に関しては現在、トリガー税制などと称されていますが、これは私の現役時代で言うところの暫定税率です。当時、道路整備の速度が車両増加の速度に追いつかず、慢性的に渋滞が発生していたため道路整備の速度を上げることを目的に導入した税でした。しかし道路整備のために作った税ですから理論上は減税せねばならず、これをできるだけ回避するため苦し紛れに設定したのがトリガー税制なのです。

――ガソリン価格が3カ月以上続けて1リットル160円を超えた場合、揮発油税や地方揮発油税を引き下げるという内容ですね。

大石 発動にあたっては1リットル当たり25円10銭分を、そのままもしくは一部を減税してガソリンの値段が高騰するのを防止する、というのを名目に財務省が存置を主張した制度です。とはいえ現実として、ガソリン価格が高騰する現在においてもなかなかトリガーが引けません。それは2011年の東日本大震災からの復興を急ぐため、という大義名分がひも付けされているからです。

DXの基盤は技術開発、それを担う人材

――そうしますと、道路整備の財源はいつまでも目途が立たないことになります。

大石 日本史上、最大の自然災害は関東大震災ですが、被災後、後藤新平をはじめ当時の日本人は昭和道路など現在へのレガシーとなるインフラを次々と、しかも増税なしに建設しました。当時の復興整備によって第二次大戦時の大空襲後でも、高度経済成長時代に首都高などを建設するまで、新たなインフラはほとんど整備しなくてよいほど充実していたのです。まさに現代のわれわれは、過去の恩恵の下に経済・社会生活を送れているのです。

 では現在を生きるわれわれは、未来に対し何らかの資産を残すことができるのか、残そうとしているのか。今一度真摯に考えるべきです。インフラだけの問題ではなく、あらゆる分野で現世代は、将来への継承を重んじているようには到底思えません。

――歳入の方途として国債の発行がありますが、これについてはいかがでしょうか。

大石 大手新聞などはほぼ口をそろえて〝国債は次世代へのツケ回し〟との論調ですが、これはそもそも〝ツケ回し〟にならないので主張が成立しません。また、〝国債は国の借金〟というフレーズも繰り返し紙面に踊りますが、〝国〟とは果たして何を指すのか。国を構成するのは政府と国民であり、国債は国民の債権であると同時に政府においては債務となるのです。つまり国内に〝国〟という主体が無いのですからフレーズ自体が意味を成しません。しかしメディアは思考停止な表現を内省するどころか、逆に延々と連呼するばかりです。

 昨年、各地の選挙でSNSの発信力が問われる事態が続きましたが、情報源として虚実入り混じる発信の方が影響力を持つということは、事実を伝える力について既存のメディアが敗北していることを示します。国債についての論調然り、国民生活を豊かにしない政策の放送塔のような役回りをしていては、国民から早晩忌避されるようになるでしょう。24年はそうした一つの転換の年だったようにも思います。肝心の大手メディアに、その認識が欠けている点が問題です。

――各方面で深刻化する人手不足への対応としてDXが期待されていますが、日本ではむしろ、IT投資もまた諸外国に比べ後れを取ってきました。

大石 Dはデジタルの意でよいとして、Ⅹがトランスフォーメーションであるならば、それは〝やり方〟を変えることを意味します。しかし現在のDXは、〝やり方〟を変えているようには思えず、言わばDだけ、つまり手段だけデジタル化するのにとどまっています。IT投資の低迷然り、そもそも〝やり方〟を変えることに産業界がどれほど真剣に臨んでいるのかが問題なのです。

 一方で、建設業界など現場を担う人々が急減していますから、やはりIT化の推進は不可欠ですが、複雑な自然環境と地形を有するこの国土で、どこまで機械やデジタルが人間の臨機応変な判断を補い得るのか、まだ難しい部分が多々あるのではないでしょうか。技術者が高齢化しても、その部分を各ツールが補い、当人ならではの知見やノウハウは現場で活用できる――そういう技術開発が求められますが、そのベースとなるのはやはり教育に基づく人材開発ですから、結局のところ人への投資を増やしていかねばなりません。一方、建設分野に関しては女性の活躍を推進しておりイメージがだいぶ向上しているとのこと、他の分野を問わず女性参画の流れは大いに歓迎すべきです。

将来に対する世代責任を問う

――社会資本という点では、病院、学校等の公共施設の活用や維持についてはどのようにお考えでしょう。

大石 まさに地方自治体ほど、それらの整備・存続が大きな課題として問われています。小泉政権時代に地方交付税交付金も削減されましたから、今はより一層、財政難が深刻化していると思われます。

 私は自治体における人口の減少率に応じて、国が逆数分の手当を講じるべきだと考えています。年5%ずつ人口が減っている自治体には、5%ずつ交付金を増やしていくことで、少子化抑制の手立てを打つことができるのです。人が5%減ったのなら予算も5%少なくて済む、という考えではとても地方は維持できません。

――やはり少子化人口減の影響は甚大ですね。

大石 生活が豊かになっていくという希望が持てなければ、若い夫婦が子どもを持とうという気になるでしょうか。出産や育児を応援するための手当てなどに頼る前に、未来は今より豊かになれるという希望が持てる社会を形成することが大事なのです。戦後、明るい未来を目指した当時の国民は多くの子どもを産みましたが、1995年に合計特殊出生率が1・5を切って以後、30年近く漸減を続けています。

 この1995年は同時に生産年齢(15~64歳)人口がピーク、すなわち日本史上最大の生産力を迎えた年で、しかし、この年、財政危機宣言が発せられました。

――良くない意味で大きな転換の年となりましたね。

大石 あの当時、後の時代のために生産年齢人口減を抑制する政策、生産性向上に向けた各種投資が為されていれば、冒頭で示したような現状には至らなかったかもしれません。

――最後に、誌面を通じてご意見、ご提言などございましたらお願いします。

大石 最も声を大にしたいのが、この国の政治家が、〝インフラという言葉を使えない〟という点です。かつて宮澤喜一元総理は、ストックとしてこの国の経済をけん引するという意味で、「社会基盤」との表現をよく用いられました。まさしくインフラそのものです。ところが、現在はインフラを語ることできる政治家が皆無なのです。

 これに対して米国では、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻発生直後にバイデン大統領が、米国は今インフラ投資を積極的に行うべきだと宣言しました。国際社会の危機に臨んで、それ故に国内生産性向上のためにはインフラが重要であるとの姿勢を明確化したのです。さらに遡って第一次トランプ政権時にも同様のインフラ投資を明らかにし、トランプ大統領は米国民はその恩恵を享受する権利があるとさえ明言しています。

 日本国民も同様に、インフラの恩恵を受ける権利があるはずなのですが、その権利は侵害され続けています。これをおかしい、と政治家、経済学者、メディアが声を挙げないのが不思議でならず、一様に思考が停止しているか、インフラの問題から目を逸らし続けているのではないかと思うほどです。国を担うべき立場の人々が、将来に対して何を遺すべきか、世代責任というものをどう考えているのか、今こそ問うべきであると言えるでしょう。

 1月末に埼玉県八潮市で県道の大陥没事故がありましたが、これは「荒廃する日本」の始まりの兆候と見えて仕方がありません。われわれがこれを克服していけるのか、まさに正念場を迎えているとの覚悟と決意が必要だと考えます。

――本日はありがとうございました。
                                                (月刊『時評』2025年4月号掲載)