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知的財産戦略/内閣府知的財産戦略推進事務局長 奈須野 太氏

―IPトランスフォーメーション―

なすの ふとし/昭和41年7月26日生まれ、茨城県出身。東京大学教養学部卒業。平成2年通産省入省、24年経済産業省大臣官房参事官(産業人材政策担当)、26年産業技術環境局環境政策課長、29年同総務課長、30年中小企業庁経営支援部長、令和元年同事業環境部長、2年同次長、3年産業技術環境局長、4年内閣府科学技術・イノベーション推進事務局統括官、5年7月より現職。
なすの ふとし/昭和41年7月26日生まれ、茨城県出身。東京大学教養学部卒業。平成2年通産省入省、24年経済産業省大臣官房参事官(産業人材政策担当)、26年産業技術環境局環境政策課長、29年同総務課長、30年中小企業庁経営支援部長、令和元年同事業環境部長、2年同次長、3年産業技術環境局長、4年内閣府科学技術・イノベーション推進事務局統括官、5年7月より現職。

 知的財産戦略は、今や、国家の経済成長を推進するエンジンであるとともに、経済安全保障の中核として改めてその重要性が認識されている。AIの急速な進展など国際環境が変化する中で、知財戦略は今後の経済活動を大きく左右すると言っても過言ではない。他方で、コンテンツ産業は今や日本の基幹産業にまで発展した。こうした最新動向を踏まえ、わが国の知財戦略の方向性を奈須野太事務局長に解説してもらった。





知財の力で課題を解決し国内外で稼ぐ

 知的財産戦略推進本部は、知的財産基本法に基づき、関係省庁に対する司令塔機能を果たすべく、総理を本部長として2003年に設置されました。事務局を務める知的財産戦略推進事務局では、現在、6月上旬の本部決定に向けて「知的財産推進計画2025」を議論しているところです。今日はその主要論点をご紹介したいと思います。

 今年の推進計画では、知的財産政策の中長期的な方向性についての総論として「IPトランスフォーメーション」を掲げ、各論として、①AI・デジタル時代の知的財産制度、②「新たな国際標準戦略」の策定・ルール形成の推進、③「新たなクールジャパン戦略」の推進・コンテンツと地方創生の好循環の三つを中心に議論しています。

 まず、総論としての「IPトランスフォーメーション」です。これは30年から40年頃を見据えて、わが国が知財・コンテンツを創造し、イノベーション拠点として競争力を維持するための方策・環境整備を検討するものです。

 巷間〝失われた20年、30年〟などと言われるように、わが国の競争力の低下と強化の必要性は長年指摘されてきました。各種指標をみると、特にグローバル化とデジタル化の遅れが顕著で、例えばデジタルスキルは調査対象国67カ国中の最下位に低迷しています。これらの課題解決への新たな発想転換が知財戦略においても必要とされるところです。

 発明や創作活動は、主として若年層から壮年層にかけての年代が担っているものの、わが国の人口動態を見ると、少子化と人口減により、今後は創造的人材が先細りしていくのは確実です。一方で、アジアをはじめとするグローバル市場は急成長しており、AIなど革新的技術も日進月歩で創出・進化し、これからもこの傾向は続いていくでしょう。

 これらの状況を踏まえ、今後の知財戦略の方向性を考えると、人的資源が限られていく中で、技術力、コンテンツ力、国家ブランド力など、今ある知的資本を最大限有効活用し、内外の社会課題を解決してグローバルに稼いでいく、新たな知的創造サイクルの構築が求められます。これがすなわち「IPトランスフォーメーション」です。

イノベーション拠点税制と知財・無形資産の価値向上

 このため、まずは日本のイノベーション拠点としての競争力の強化を図ります。例えば、創造的人材の強化・ダイバーシティの実現、知財・無形資産への投資による価値創造、国際的求心力ある知財制度・システムの実現が挙げられます。

 イノベーション投資は長期的に、かつ、着実に行うことが重要ですが、日本の産業界においては「コスト」すなわち負担として捉えられ、いかに削減するかに傾きがちです。米・中・EUが研究開発費を伸長させているのに比べ、コストカット社会の日本企業の同投資は長らく低位・横ばいを続けています。

 イノベーション投資は、これによって新たな収益の源泉が創出されるのですから、むしろ将来に向けた「資産の形成」という企業マインドの醸成が望ましい。これには知財・無形資産を収益につなげて、これを可視化することが重要です。研究開発により知財・無形資産が形成され、自社の売上げにどうつながっているのかを把握することで、生産性あるイノベーション投資が期待できるのではないでしょうか。

 企業の研究開発費の総額が伸び悩む一方で、社外への委託研究費は増加を続けており、特に海外向けの増加が著しい状況です。その割合は2022年で委託研究費の44%にものぼります。中国向けでは輸送機械、北米向けでは製薬をそれぞれ中心に、委託研究費を伸ばしています。

 欧米では国外向けの委託研究費について研究開発税制の対象外とする国が多いものの、日本では海外向けについても対象としています。国民の血税を使って日本企業の海外での委託研究を促すという、半ば国富流出的な状況を招いているのが実情です。このため、国内の大学等の研究開発設備・人材が遊休化して有効活用されず、最先端の研究が海外で行われることで技術流出も起きています。

 そこで、本年4月より7年間の措置として、「イノベーション拠点税制」を設けました。日本国内で研究開発された成果からの所得、具体的には特許権やAI関連のプログラム著作権のライセンス所得や譲渡所得等に対し、30%の所得控除を行うというものです。これにより日本国内での研究開発を促すことになればと期待しています。諸外国では、知財を組み込んだ製品やサービスの売り上げも本制度の対象所得としているので、いずれ日本もこれらの分野にも拡大していきたいと考えています。

 この施策の目指すところは、企業が有する知財・無形資産と収益をひも付け、企業価値に反映していくことにもあります。米国では、無形資産が企業の時価総額の9割を占め、中国・韓国でも5割前後あるのに対し、日本は3割程度に過ぎません。日本企業の無形資産が安く、企業価値にあまり貢献していないのです。今回の税制創設をきっかけに、知財と収益の関係を把握し、投資家に説明できるようにしてもらえればと思います。

AI技術の進歩の促進と知財の適切な保護の両立

 各論としては、まず一つ目のAI・デジタル時代の知的財産制度について説明します。現在、知財分野のAI利用については、例えば、自動的に特許調査を行うこと、発明内容を出願書類に変換すること、またAI自体を発明に使うこと、コンテンツ産業ではラフデザインからキャラクターを自動生成することなど、多方面に活用の幅が広がっています。

 今後のわが国経済に欠かせないのは、このようなAI等先端技術の利活用推進です。人口が減る以上、その分はデジタルや機械で補うほかありません。特に、進化が著しいAIについては、権利関係や利用に関するルールを明確化し、安心して使える環境を整備すべきです。

 こうした背景の下、政府はAIに関連したガイドラインをいくつか公表しています。この中で、生成AIと知財を取り扱っているのは、知財事務局が取りまとめた「AI時代の知的財産権検討会中間とりまとめ」です。

 AI技術と知財の関係では、著作権法が課題になります。著作権法は、アイディアや労力を保護するものではなく、英語で「コピーライト」と言う通り、人の思想感情の具体的な表現が複製的に再現されているかどうかが問題となります。これは学習段階と生成・利用段階の二つに分けて整理されます。

 まず、学習段階では、コンピュータ内で複製が行われるものの、それは人間には知覚できず、情報解析目的の一時的なものなので、権利者の許諾が原則として不要とされます。ただし、情報解析の目的と著作物を人間が享受する目的が併存する場合や、商業販売されているデータベースの読み取りなどは、許諾が必要となります。

 次いで生成・利用段階では、「類似性」と「依拠性」の二つで判断されるのは通常の著作権侵害のケースと同じです。ただし、機械学習が行われていれば、たとえ利用者本人が意識しなくても「依拠性」が推認できてしまいますから、実質的には「類似性」のみが認められれば侵害となり得ます。

 生成AIにより著作権法を逸脱する行為が発生することを防ぐには、法律だけでなく、技術および契約の両面が必要です。技術面では、電子透かしやフィルタリングによる出入力の抑制、自動収集プログラムによる機械学習の拒絶等が考えられます。契約すなわち対価還元の面では、生成AIの学習に役立つ高質なデータが有償で提供されるような機械学習データのライセンス市場が形成されることが望まれます。

 これらにより、優れた品質のデータを提供した人には適切な対価が還元され、それをもとに新しい創作活動の源泉になるというサイクルを目指していきます。法律、技術、契約の三つは補完関係にあります。法律をもって威嚇するのではなく、技術や契約による対応をバランスよく展開していく必要があります。

 しかし、知財侵害で権利者が生成AI開発者や提供者に対し裁判を起こそうにも、対象の生成AIがブラックボックスでデータの内容やアルゴリズム等の開発プロセスが分からないため、裁判では不利に働くという問題が発生しています。利用者にとっても、海賊版コンテンツをデータとして利用していた場合など、予期せぬトラブルに巻き込まれるおそれがあります。

 EUでは、機械学習のプロセス等を開示するよう法律で義務付けており、米国でも請求に基づき裁判所が機械学習データの開示を命令できる法案が議論されています。そこで日本でも、AI開発の透明性を確保することで、権利者、利用者双方が安心できる環境を整備していくべきだと思います。

 4月下旬現在、国会に「人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律案」が提出されており、同法案が成立した後には基本計画やガイドラインが策定される予定です。これらの中で、AI開発の透明性の確保について規定していく考えです(法案は令和7年5月28日に成立しました)。