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大石久和【多言数窮】

一年間何をしていたのか

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す (老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 表題は、3回目の緊急事態宣言が出る直前の2021年4月24日に日本経済新聞一面に掲載された記事の見出しである。「政府、自治体首長、そして医療界はこの1年あまり何をしていたのか」で始まるこの論説は編集委員の大林尚氏によるものだが、実に本質を突いた正論である。

 まず、いくつかの彼の指摘を引用したい。「感染第一波の昨春から、まん延防止等重点措置を適用したこの4月までを通じ、結果としてこれら3当事者が責を果たしたとは言い難い」「感染増大地域の知事らが責任をもって効果的で効率的な医療体制を急ぎ再構築すべきだ」「病院間の連携がいまだに貧弱な地域がある。当地の医師会と病院団体は当事者意識をしっかりもって欲しい」

 「都内の大学病院長は『ICUを重症治療に特化させたいが、ある程度回復した人を近隣の他院へ移す仕組みがまだ十分整っていない』という」「病院や病床に関する責任は一義的に知事が負っている」「都内の医療資源は本来、十分な能力と供給を備えている」

 日本の人口あたりの病床数は世界一の水準にあり、医師数も看護師数もG7各国に見劣りするものではない。また、増えてきたとは言ってもヨーロッパなどとは桁違いに少ない感染者数レベルにある。にもかかわらず、医療崩壊と叫んで飲食業者を廃業の危機に追い込むほどに営業自粛させ、経済に大きな負荷をかける緊急事態宣言を繰り返し出している。

 大きなデパートが多くのフロアを締めざるを得ない状況に追い込んでいるのに、1店舗あたり20万円という馬鹿にしたような協力金支給(延長にあたって若干改善された)で、「損失補償」や「粗利補償」といった措置には見向きもしない政府であるし、知事たちは政府に「補償措置」を強力に要求すべきなのに、それをしようともしない。

 民間のPCR検査が増加しているから、検査陽性者が増えているのであってこれを感染者急増とするには統計学的な意味はない。民間での検査数も把握できないでいるのに、感染者と称する人数の増減数を報ずるのはいたずらに国民の不安を煽るだけなのだ。

 メディアは不安感を煽って自粛させることで感染者の減少につながると思っているのなら、それは報道権力のおごりというものだ。

 コロナという感染症はどういうものなのかよくわからなかった一年前とまるで何も変わらず、感染者が増えたといっては店を閉めさせて貧困化していく人びとを増やしているのだが、最初の緊急事態宣言から、3回目の緊急事態宣言は対応施策について何か進歩したのだろうか。

 80年ほど前に何度シミュレーションしても日本が勝利するとの解に至らなかったにもかかわらず、米英との全面戦争を始めるという愚かな勝負を始めてしまったが、その開戦前の雰囲気もかくあったのではないかという感じなのだ。

 つまりわれわれは、政府や知事が醸しだしている「欲しがりません勝つまでは」という気分に身を委ね、彼らの指示や指揮が正しいかどうかを疑うこともしない。

 政府や知事の仕事は、頻繁にTVに出演して危機を煽り続けることではない。大林氏の指摘するように病床、病院、医師、看護師を状況に応じてどのように機動的に運用するのかを決めることこそが行政の長としての職責を果たすということだろう。

 医師会も知事と同じように危機を煽り続けているが、では1000床を抱える東京大学病院がコロナ患者に病床を配分するように医師会は動いたのか、各方面に働きかけたのかということなのだ。医師会が責任を果たすということは国民の恐怖心を煽ることではない。

 ワクチン接種についても、案じていたようにいろいろな混乱が起こっている。ワクチン接種の計画は、その手順においても規模においてもワクチンの入手量に依存する。しかし、その肝心の入手計画がはっきりしないのである。ファイザーはいつまでにどの程度の量をわが国に分け与えるのか、具体的で明確な数字がまるで聞こえてこない。

 高齢者の接種完了の時期も、5月、6月へとどんどん後にずれてきて最近では7月完了を確実にという始末だ。開始した市町村もワクチンの確保量に合わせて接種対象者の居住地範囲を決めることもしていないから、予約が殺到して大きな混乱が各地で発生している。

 都道府県は基礎自治体にワクチン接種が混乱なく円滑に進むようにキチンと指導をしたのだろうか。また、政府は巨大会場を東京・大阪に用意してファイザー種とは異なるモデルナ種のワクチンを用いるようだが、ファイザーとモデルナではワクチンを打つことができる年齢も1回目と2回目の接種間隔も異なる。

 このような状況の下で、誰がいつどこでどの種類のワクチンを接種したのかを基礎自治体である市町村は住民全員について確実に把握し管理することができるのだろうか。

 感染者数が少ないのに医療崩壊だと騒ぐのであれば、ワクチン接種を急がなければならないが、接種開始は最先進国クラブであるG7の最後となったし、OECD加盟国(感染者数が特に低い国を除く)でも抜群に低い人口あたりの接種人数となっており、直近の接種率(2021・4)では世界の60番目という有様なのだ。

 1995年頃には、世界の名目GDPの約2割近いという高い水準にあった日本のGDPは、いまは遠い昔で見る影もない5%程度の国となって、経済力で途上国を支援することなど夢のまた夢の国となったから、どの国も日本になど関心も払わない。

 これは、1995年の財政危機宣言以来のありえもしない財政危機の恐怖から、デフレ経済下であるにもかかわらず、「これも縮減、あれも歳出カット」を繰り返してきた結果、経済は成長せず国民は貧困化していったが、現在の混乱はそのなれの果ての姿である。

 ワクチンを開発するどころかその調達もできず、計画的で円滑な接種もできない国となり、これを打開するためのまともな処方箋が議論されているのかといえば、外出禁止と自粛という恐怖感の煽りしかない国となった。

 まさに、この国の政府と都道府県はこの「一年間何をやってきたのか」ということなのだ。

(月刊『時評』2021年6月号掲載)