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大石久和【多言数窮】

ブラック霞が関・崩壊の危機

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す (老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 2021年3月、24の法案に130カ所もの誤りがあることがわかり、霞が関や永田町に衝撃が走った。法制局などの厳格な審査を経た法案にこれほどの数の間違いがあることなど、少し前までは考えられもしなかった事態であるからだ。

 コロナを経験してみると、この国はあらゆる面で国家の体をなしていないことがよくわかった。科学技術研究のための投資を長年にわたっておろそかにしてきた結果、ワクチンも開発できない国に転落してしまったが、それはかつて子宮頸がんワクチンの副反応をめぐってメディアが過剰な反応を示して政府を批判してきたことも効いている。(そのため、ほとんど日本人だけがこのワクチンを打ってこなかった)

 誤りの財政再建至上主義を信奉して予算や人員の削減に励んできた結果、霞が関という国の大黒柱の一つが損壊し始めていることを、冒頭の法案問題が象徴している。

 『ブラック霞が関』は、最近、千正康裕氏が著した新潮新書のタイトルである。彼は18年間勤めた厚労省を2019年に退職したが、霞が関の公務員の労働の実態に強い危機感を持ち、このままで本当に国民のためになる仕事ができるのかを心配して本書を出版した。

 かつてこのコラムでも紹介したが、日本の公務員数についておさらいをしたい。2018年版のレポートによると、中央政府機関行政職員数は、人口千人あたりで、日本2・7人、イギリス5・4人、フランス25・2人、アメリカ4・4人、ドイツ2・7人となっており、日本はこれら先進国のなかで最低レベルとなっている。

 連邦に大きな権限を持たせ中央政府機関職員は少なくていいはずのアメリカよりかなり少なく、アメリカと同じ連邦制であるドイツと同数となっている。つまり、担っている業務量で判断すると日本の中央政府機関行政職員数はメチャクチャ級に少ないのである。

 「中央政府職員は少ないが地方は公務員が多い」と勉強もしないで述べた大会社の社長がいたが、地方の公的部門で働く公務員数を見てみよう。これも人口千人あたり見ると、日本26・8人、イギリス23・4人、フランス41・7人、アメリカ51・0人、ドイツ46・7人となっている。

 連邦国家の地方公務員が多いのは当然としても、日本はきわめて少ないことがわかる。役所の窓口に人が多くいるように見えるが、多くは非正規職員である。イギリスよりは多いが、イギリスは政府企業等に36・0人も抱えている。(日本では5・3人・すべて人口千人あたり)

 千正氏は、霞が関公務員の悲惨な勤務状態を紹介し、いくつもの問題指摘をしており、そのいくつかをランダムに紹介するが、是非、この新書で全体を把握していただきたい。

〇(国家公務員の定年延長について)「その結果、起こることは、高齢でもない、子育てや介護などの事情も抱えていない、健康にも不安がない、そういう『霞が関的フルスペック人材』の20代、30代の職員が減ることである。」定員を増やさなければ、必ずそうなるのだ。

〇国会質問の通告のタイミングは与野党の申し合わせで原則2日前の正午までに行うこととされているが、その期限が守られることはほとんどなく…(内閣人事局調査では、質問通告がすべて出そろった時刻の平均は前日の20時19分である)

〇質問主意書は、2000年度以降激増して若手官僚の業務を圧迫している。内閣法が7日以内に答弁をしなければならないと規定するため、きわめて短時間で内閣法制局の厳格な審査を受け、大臣までの決裁を取って閣議決定をしなくてはならない。

 この質問主意書の連発は霞が関公務員を非常に疲弊させている。閣議決定を要するため、答弁作成に関係省庁協議が必要となると、これに恐ろしく手間がかかるのだ。

 氏によると一人で数十本の質問主意書を出してくる議員もいるし、中には「首相官邸に幽霊は出るのか」とか「セクシーと発言した大臣はいるのか」といったものまであるという。

 イギリスの同様の制度は各省大臣が答弁者だという。質問主意書の提出本数を制限するなど、この制度の見直しが必要だという彼の意見は正解だと考える。

 民間では残業規制が以前に比してかなり厳しくなってきているが、霞が関はその外に置かれている。残業代が支払われずサービス残業になっていることも大問題だが、もっと問題なのは、残業がとんでもない長時間になっており、それが常態化していることだ。

 官僚本人にアンケートした結果では、霞が関公務員の65・6%が労働基準法の年間上限である720時間を超えていたというし、1000時間超えが42・3%(過労死ラインは960時間)、1500時間超えも14・8%となっているという。政府が法律を犯しているのである。

 これでは、氏の言うように国家公務員の総合職試験を受けたいという学生が減少するのも当然だ。総合職試験申込者数の推移を見ると、2012年の23881人が2020年には16730人に激減したが、2021年はさらにマイナス14・5%と急減し14310人となった。また、近年では若手官僚の退職も大きく増加してきている。

 これは国家の基本インフラというべき公務員制度の崩壊であり、それはつまり国家の危機なのだという認識が政治になければならないが、どうもそうした危機感が感じられない。

 ところで霞が関のブラック化防止策には、国会議員の政策能力向上が不可欠だと考える。アメリカの上院議員には一人あたり30~50名のスタッフが国費で採用され(下院でも14名ほど)、議員による調査や立法提案等の原動力となっている。これは強力な大統領府に対抗するためなのだが、日本でも官邸に対する議員の対応力が必要だ。霞が関にぶら下がるように依存しすぎている議員の政策能力を向上させ、霞が関の過剰負担の軽減を図るのだ。

 こうしたスタッフの大増強によって議員と官僚との関係に真の意味での緊張感を醸成し、政策のための調査、検討、立案をより深みのあるものにしていかなければならない。

 さらに人口あたりの公務員数を他の先進国並みに増員することが欠かせない。イギリス並みの公務員数にするためには、中央政府機関行政公務員を倍増する必要がある。一旦、定数削減と決めると限界も見極めず際限なくそれを進めるという愚を捨て、公務員の増強計画を定めて少しずつ人員を拡充しなければならない時期に来ているのである。

(月刊『時評』2021年7月号掲載)