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大石久和【多言数窮】

関東大震災から100年

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)

――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 2023年は関東大震災から100年という年であり、今年の防災の日である9月1日は、このことを深い思いで迎えなければならない日であった。日本の大災害は政治が混乱しているときなどに頻発したが、国民の貧困化に有効な政策を何も打てない今が心配なのだ。

 江戸末期の安政時代はわずか5年ほどの期間であったが、ロシア船が現れたり、ペリーが艦隊を率いてやって来たりして混乱していたし、安政の大獄から桜田門外の変につながる騒動が徳川政治の終焉を醸し出し始めていた時代だった。

 そこに大災害が頻発したのである。安政伊賀上野地震、安政東海・南海地震(30時間間隔)、飛騨白川地震、遠州灘地震、安政江戸大地震、八戸沖大地震と続き、膨大な人命が犠牲となった。安政3年には江戸大風災と呼ばれる大低気圧が江戸城近くを通過し、10万人にも及ぶ死者(多くは溺死)と築地本願寺の崩壊などが江戸の町民に大衝撃を与えたのだ。

 国民の多くが敗戦の予感と空襲に苦しむ戦争末期にも地震は頻発した。1944年の東南海地震、1945年の三河地震がそれぞれ数千人規模の犠牲者を出している。

 敗戦後の食糧不足で飢えに苦しむ日本人を襲ったのは1946年南海地震、1948年福井地震、台風も1945年9月の枕崎台風に始まり、カスリーン、アイオン、ジュディス、キティ、ジェーンと大台風が各地を襲ったのだった。

 神様とは何と残酷なのかと嘆かざるを得ない。関東大震災は、加藤友三郎総理が死亡して、次の山本権兵衛は指名はされていたものの組閣はできていないときであったし、阪神淡路大震災は矛盾のかたまりのような自社さ政権の村山富市総理の時だった。東日本大震災も不幸なことに政権担当能力のない民主党政権時で、それも混乱を引き起こした菅直人が総理を務めていた。マイナカードやインボイスで混乱するばかりの今の政権に、再来する関東大震災(=首都圏南海トラフ大地震)を乗り切っていける能力があるのだろうか。

①首都圏への集中が1923年時の比ではないほど大きいのだ。人口で見ると、現在の首都圏への人口集中は全国比約30%だが、当時は約13・7%程度だった。首都圏崩壊の日本全体への打撃は2倍以上になっているのである。地方分散はかけ声だけだったのだ。

②今度の大地震が東日本大震災のように大津波を伴うことがあれば、東京湾岸に立地している火力発電所が長期にわたって壊滅的な被害を受けることになる。ここには500万kw級などの大発電所が林立するように立地しており、全体では約2200万kw程度にもなっている。

 これに代替できる原子力発電所など稼働できる状況にないから、日本の産業は崩壊するし関東の家庭では夏場のエアコンも使えないことによる大惨事も予想されるのだ。

③東京には、いざという時に使える大空間、大公園が人口に比しても大幅に不足しているから、防災や災害救助部隊の集結や避難民の収容、避難住宅の建設、ガレキの一時保留などに困難を極めることになる。ガレキ用地については未確保率が80%と言われている。

 東京の大きな公園の象徴は中心部では日比谷公園だが、16・2haしかない。皇居外苑を使うとしてもせいぜい115ha。上野公園も53・8ha程度の大きさだ(不忍池を含む)。一方、ニューヨークの中心にはセントラルパークがあり、341haの広さを持つが、それでもこれはNY市内で5番目の大きさで、他にペラム・ベイ・パーク1122ha、フラッシング・メドウズ・コロナパーク508haなどがニューヨークには存在している。

 今後とも地震など来ることがないニューヨークと必ず近い将来大地震が襲うに決まっている東京。話があべこべなのだが、何の用意もしないのが日本なのである。

④東京にはいまだに広大な木造密集地帯が存在しており、先の地震の時のような同時多発火災の発生の可能性が解消されていない。環状7号周辺などでは木密地域は減少しつつあるともいわれているが、解消にはほど遠い状況だ。江戸川区、江東区などにも広い範囲に存在している。延焼を防ぐための広幅員区画街路が提案されているが、住民の反対で多くの建設がストップしている。

⑤近年の公共事業費の削減などにより、地方の多くの建設会社が廃業して建設労働者が大きく減少してきた。現在、建設就業者は約480万人にまで減少しており、これは20年前の約80%のレベルである。このことは全国の建設事業を全面的にストップでもさせない限り、東京・関東に発生した倒壊ビルや落橋した橋などがガレキとなったまま、相当長期にわたって放置され復興が始まらないことを意味している。

⑥関東大震災の時も、根拠のないガセ情報が駆け巡り大きな混乱を引き起こした。個人対個人の情報のやり取りが対面でしか行えなかった時代でも歴史に残るほどの騒動があったのだ。現在は、個人が皆「デマ発信器」を持ち、不特定多数にデタラメ情報を大量に流すことができる時代である。無責任情報を疑ってかかるという情報耐性がなく、デマを信じやすい人びとによる大混乱や大騒動の懸念が1923年当時よりはるかに高まっている。

⑦それに加えて、現在は地域コミュニティが崩壊している時代である。マンションの郵便BOXに名前を出すことすら忌避している人びとが、いざ災害というときに「ご近所の助け合い」などできるわけがない。スリム化ばかりしてきた「公共」に負担がぐっとのしかかるのだ。

⑧その行政が運転手など各種業務を外部化するなど、民間支援能力を大きく毀損してきた。

⑨東京首都圏は、全国のどこよりもあらゆる物資の他地域依存が大きいが、道路鉄道寸断後の食糧など生活必需品の首都圏への供給は可能なのか。餓死が出る心配はないのか。

⑩大問題となるのは自動車の氾濫で道路が埋め尽くされ、まったく使えなくなる心配である。東日本大震災時も東京では道路が駐車場状態となり、長時間まるで動けなかった。1923年には街中にほとんど自動車はいなかったのだ。(今全国に8260万台/当時全国に12800台)

⑪東京臨海部のタワマンも発災後には孤立して、餓えに至る災厄を引き起こす可能性がある。

 関東大震災を上野で経験した物理学者の寺田寅彦は「日本国民の災害に対する科学知識の水準をずっと高める必要」という。氏が指摘するように、科学的姿勢こそ重要なのだが。

(月刊『時評』2023年10月号掲載)