
2025/12/02
多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。
この両国とも、日本から見ていると順調にインフラ投資を増やしてきているようだったのだが、政権が交代したこともあって、最近になってさらなる投資増大を打ち出してきている。
イギリスは、2024年7月には14年ぶりの与野党政権交代となり、労働党のスターマー政権が発足した。そこで財政ルールの見直しでインフラ・公共サービスへの投資拡大を模索してきたが、25年6月には「UKインフラストラクチャー:10年戦略」をまとめ、今後10年間で、7250億ポンド超のインフラ投資計画(1ポンド200円として約145兆円)をまとめたのだった。これは端的に言えば、長年国民を苦しめてきた緊縮財政からの解放なのだ。
この戦略の柱は、「経済」「社会(保険・教育など)」の両方を対象に、投資の継続性と予見性を確保する点にあると言われ、これにより官民の投資や事業計画を促進して、生産性と雇用、生活水準の向上を目指すとされている。
社会的なインフラとして、学校・病院・刑務所・裁判所の維持改修を行い、経済インフラとして、都市圏交通への資金確保、既存橋梁・道路の修繕を含む構造物基金への投資、水道インフラなど水関連投資を4倍にし、住宅整備では国家住宅銀行を通じた58万戸以上の建設支援などを行うこととしている。
また、この執行を担う機関として25年に「国家インフラ・サービス変革局」を設立して、インフラ実行の司令塔として機能させることとしている。イギリスではインフラ投資の重点分野は鉄道になってきており、過去にも話題になったことがあるが鉄道再国有化が議論されている。
ドイツでも新しい動きが活発化してきている。25年2月の連邦議会選挙で、CDU/CSU(キリスト教民主・社会同盟)が勝利して、同年5月にはその党首であるメルツが、SPD(社会民主党)と連立して新首相となった。
ウクライナ情勢をめぐる危機感がヨーロッパ諸国を財政拡大に向かわせていることも背景に、25年には憲法改正を行い、債務ブレーキ(財政均衡ルール)を緩和して、①国防費のうちGDP比1%超を債務ブレーキ適用外とし、②12年間で総額5000億ユーロ(1ユーロ=173円として86兆5000億円)のインフラ投資特別基金を創設、③州政府の赤字をGDP比0・35%まで容認などなど、これらの施策を決定したのだ。
5000億ユーロの特別基金は、実施期間は12年で、1000億を気候転換基金に、1000億を州政府へ、3000億を連邦インフラ投資に充てるという計画になっている。今後の交通インフラ関連投資は、橋梁の近代化、鉄道網の補修・デジタル化が重点とされており、予算配分も鉄道に相当な重点化が予定されている。
日本でも、ドイツの交通インフラの老朽化が社会問題化していると報道されており、24年9月にドレスデンのエルベ川に架かる橋(1970年架橋)の一部が崩落するなど社会問題化してきているし、ドイツ運輸省も「高速道路の半分、鉄道網は4分の1超に改修が必要」と発表している。
インフラ投資を主張する人々は「債務ブレーキが深刻化させるドイツのインフラ危機」と叫び、「崩落した橋と遅延だらけの鉄道、ぼろぼろの道路」と非難している。24年には定刻より15分遅れで到着した長距離列車は約4割にもなったと言われるし、近距離列車も6分以上の遅れが約1割に及ぶという。
従って、債務ブレーキに疑問を投げかける声がドイツでは大きくなっているとも報告されている。ドイツのシンクタンクの報告でも、ドイツの経済学者187人の半数が債務ブレーキの改革、または廃止を望んでいたというのだ。日本の経済学者との違いに愕然とするのである。
こう見てみると、世界は財政再建至上主義から、国民の暮らしと安全を守るために必要な投資は行うという方向に転換してきていると感じる。米国はすでに数年前には、あの犬猿の仲の民主・共和両党が結束して「一世一代」の形容詞がつくほどの大規模なインフラ投資を法律化しており、これが世界の潮流なのだ。
ところが、日本では財政再建至上主義に拘泥して、国民生活がどうなろうとも(1995年の国民負担率36・8%、2024年は45・8%、世帯年収中央値は1994年505万円、2023年351万円)、老朽化が進むインフラなのに投資を削り続け(1996年100として2022年は日本60、アメリカの22年は244)、世界がインフラ投資を増やし続けてきたのに一人減少させ続け、道路でいえば「解消の見込みのない暫定2車線の高速道路」や「ミッシングリンクだらけで、いつまで経ってもつながらない高規格道路」という惨状を世界に曝し続けている。
つまり、端的な結論は日本の国会議員は国民の方を見ていない、国民生活を見ていないことに尽きるのではないか。その証明は以上に示してきたインフラ投資の実態、過去からの推移であるし、最近のガソリン税の暫定税率分の減税議論である。
ガソリン税の本則税率部分も同じことなのだが、特に暫定税率分は「道路整備を急ぐための財源が足りないので、一時的に(暫定的に)増税させてください」と自動車利用者にお願いして設けたものなのだ。つまり、道路の整備管理にこのお金が回らなくなった瞬間に「課税の根拠を失っている」のである。課税してはならない税になったのだ。
それをこの国の政治家やオールドメディアは「財源はどこにある」と叫びまくり「減税などとんでもない」との姿勢なのだ。当然のことだが減税に財源など不要なのだ。
紹介してきたイギリスもドイツも財政規律との狭間で苦しみながらも、インフラ整備の遅れやインフラの老朽化から国民の経済活動を維持回復するために呻吟して、債務ブレーキとの戦いに挑戦してきているではないか、日本は何をしているのか。
八潮の事故を見ても、日本のインフラはこのままでは老朽化による利用停止という「荒廃する日本」の時代を迎えつつある。現世代の論理ばかりが優先する今の日本だが、若者たちが「日本で住み続けたい。この国でわが子を持ち、育てたい」と思える国にしなければ、それこそ次世代に面目が立たないではないか、とは両院の政治家は誰も考えていないのだ。
(月刊『時評』2025年11月号掲載)