
2025/12/05
政府が掲げる「資産運用立国」の実現は、金融庁はじめ関係機関の施策により、確かな過程をたどっている。一方、多様な暗号資産の相次ぐ登場により、税務面も含めた対応が望まれる。国民生活と常に一体不離な金融行政、その役割はさらに拡大し、高機能化が求められている。広範な所掌のうち、伊藤豊長官に、これらのテーマに焦点を絞り現状を解説してもらった。
Tweet
企業の〝稼ぐ力〟を高めてこそ
森信 政府は岸田文雄政権時から「資産運用立国」を掲げ、その推進を図ってきました。その背景にはわが国の資産が現預金に偏り、なかなか投資に回らないという問題意識の故だと思います。現在、概況などはいかがでしょうか。
伊藤 この数年、「資産運用立国」のパッケージは人口に膾炙した感があり、私たちも手応えを感じております。特に2024年1月に新NISA(少額投資非課税制度)がスタートしたことが、大きく作用したと思います。
ただ「資産運用立国」実現においては、インベストメント・チェーンの確立と好循環が不可欠だと私たちは捉えています。
森信 インベストメント・チェーンとは。
伊藤 企業、家計、アセットマネジメント、アセットオーナー、各種仲介となる金融機関等、関係各者間を、投資が円滑に循環する状態を指しています。特に、家計部門における投資への意識がだいぶ高まってきたと言えるでしょう。これはNISAの定着や、私たちも頻繁に実施しているさまざまな金融経済教育が功を奏しつつあると思われます。
やはり家計に資産運用の果実、すなわち投資の利益が還元されるようになるには、日本企業の〝稼ぐ力〟が高まり株価が上がることが重要です。これについては遡ること15 年に私どもと東証がコーポレートガバナンス・コードをつくり、以後10年間コーポレートガバナンス改革を進めてきた結果、近年になって企業経営者に受け入れられ、投資家との対話が進むようになりました。それに伴い企業の資産活用や経営戦略が以前と比べて格段に進んできたと認識しています。それが株価に反映され、投資家にも評価されている、というのが現状の構図だと認識しています。
この、企業の〝稼ぐ力〟が高まることで、従業員の賃金や株価が上昇し、家計に余裕が生じて次の投資に回る、そのサイクル確立のためにも、引き続きコーポレートガバナンス改革を進めていかねばなりません。
森信 アセットマネジメント、つまり資産運用に関してはいかがでしょう。
伊藤 アセットマネジメントは家計と企業をつなぐという重要な役割があり、資産のうち例えば年金については、積極的に投資に回して資産を増やしていただくのが望ましいわけです。そこで「資産運用立国」推進において、内閣官房が、24年夏に「アセットオーナー・プリンシプル」(アセットオーナーの運用・ガバナンス・リスク管理に係る共通の原則)を策定しました。
要するにアセットオーナーは単に年金を給付するだけではなく、資産を増やしてもらわなければいけない、これは言ってしまえば当然のことながら、さらに進めていく必要があります。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の改革もその一環で、潤沢な年金積立金を有用に運用し、マーケットのプレイヤーとして活躍してもらいたいと考えています。また国内外の資産運用会社も、ともに発展していくべきです。発展によって年金積立金の運用や個人が買った投資信託を増やし、利益を還元する、こうした構図が目指すべきインベストメント・チェーンの好循環となります。
森信 近年になって、その循環の成果が表れ始めたと捉えてよいでしょうか。実際に株価も上昇していますし。
伊藤 成果が出ているのは確かですが、株価上昇に関しては複合要因の所産ですので一概に喜ぶのは難しく、また株価の上下に一喜一憂するのは控えるべきです。しかし、コーポレートガバナンスや家計の投資に対する認識の高まりなどは不可逆的な流れであり、非常に重要な変化が足下から起きている、こういう状況だと捉えています。
株式報酬の普及を推奨
森信 巷間、〝失われた30年〟と言われ続け、その間に実質賃金がマイナスになる等々と指摘されてきました。この点諸外国などでは、賃金だけではなく自身の貯蓄を投資に回し、その金融所得で家計を補うというのがごく一般的に見られます。しかし日本はほとんど賃金収入のみに依拠しています。
従って、企業はもっと従業員に自社の株を持たせて、当人の経営参画意識を涵養するとともに、配当の増加という形で資産形成にもつなげる、こうした株式報酬が日本の産業界にもっと必要なのではないかと私は思います。金融庁もこの株式報酬を推奨されているのでは。
伊藤 はい、企業においては非常に良い取り組みだと位置付けており、その普及に向けて規制緩和等も行ってきました。その中ではストックオプション等、税制面での対応がポイントになると思われます。
また株式報酬は前述のコーポレートガバナンスにも好影響を与えます。従業員が株主になるわけですから、その推進は従業員としても一株主としても会社を成長させよう、という意欲を高めることになりますので。ことにベンチャー企業にとっては非常に重要な要素ではないでしょうか。むろん大企業にとっても自社の成長を促すという意味で、株式報酬の推進が求められます。
森信 NISAに対しては特に20~30代の若年世代の関心が高まっているとか。NISA講座をはじめ、ご指摘の金融経済教育などは受講生が増えているそうですね。
伊藤 NISA口座の新規開設数などを見ると、確かに若い方の開設も多いですね。株価の動向と自分の資産との関係、少額分散投資の意義などへの意識が高いようです。
森信 しかし、投資先がオルカン(全世界株式投資信託)など海外の金融商品に向かうことで、かえって円安を加速しているなどという指摘もあります。
伊藤 その説にはかなり誤解があると思われます。確かに海外の株式を中心に運用する投資信託の買付が多い傾向にはあるものの、NISA口座での買付額の内訳をみると、日本企業への投資も一定程度含まれています。いずれにしても株式の状況は国内外ともに変動するのに加え、家計のポートフォリオから見ると資産は分散した方が良いわけですから、投資先の一部が海外資産に向かうことは自然なことであると考えています。
そういう意味ではぜひ、国内外の別を問わず投資していただくとともに、逆に日本の企業は〝稼ぐ力〟を高めれば、自ずと国内外からの投資が集まります。日本国内の資産だけを日本企業に呼び込むわけではなく、一方、資産を国内だけにとどめておく必要はありません。実際に海外の投資家も日本企業にかなり投資しており、現在の好調な株価は海外からの投資が少なくない比重を占めています。加えて、近年の株式投資への志向は、金利と連動している部分も大きいかと。
森信 確かにその通りですね。
伊藤 インフレ局面に移行すると、預金のままでは物価上昇率に利子がついていかなくなります。合理的な判断として、預金のまま、あるいは現金をタンスに置いておくよりインフレに負けない運用をしなければ、という意識が働くのは当然だと言えるでしょう。現在の株式投資の活況はこうした背景も主因の一つだと想定されます。
もちろん、日本の企業自体に〝稼ぐ力〟がついてきているのも確かで、〝稼ぐ力〟と株価が連動して上昇曲線を描いていると思います。
森信 長いデフレの期間からようやく脱却した、という意識も作用しているでしょうね。
伊藤 そこに、私たちが長らく進めてきたコーポレートガバナンス改革や新NISAの開始、家計における資産運用の啓発など諸々の取り組みがあいまり、徐々に結実し始めたのが現在の状況、というところです。
森信 10月上旬現在、NISAについてはさらなる拡充を税制改正要望されていますね。伊藤 昨年1月の新NISAほどの改正ではありませんが、対象商品の拡充等、もう少し使い勝手を良くする方向で要望を出しています。
もりのぶ・しげき 法学博士。昭和48年京都大学法学部卒業後大蔵省入省、主税局総務課長、大阪大学教授、東京大学客員教授、東京税関長、平成16年プリンストン大学で教鞭をとり、17年財務省財務総合政策研究所長、18年中央大学法科大学院教授。東京財団シニアオフィサー。著書に、『日本が生まれ変わる税制改革』(中公新書)、『日本の税制』(PHP新書)、『抜本的税制改革と消費税』(大蔵財務協会)、『給付つき税額控除日本 型児童税額控除の提言』(中央経済社)等。日本ペンクラブ会員。