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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第109回】

コロナ禍第2年度を考える ワクチンをめぐる無数の難問にいかに対処するか

 政府の方針では2月末から新型コロナ・ウイルスのワクチン接種が始まるものの、その方法などについては不平・不満を煽り政権攻撃のネタにする野党や偏向新聞の醜態は別にしても、不確定な部分が多い。ましてワクチンは特効薬ではなく、副作用などの不安もついて回る。ポスト・コロナを論じるのは、ともかくも沈静化してからの話になる。

WHO復帰という愚挙

 中国が武漢で新型コロナ・ウイルスによる肺炎で死者が出たと公表したのが2020年1月11日。5日後には日本でも初の感染者が確認され、近隣国にも感染が広がり始めて満1年が経過した。いまや第2年度に入ったわけだが、この1年間で感染は全世界に広がり、1月27日にはアメリカのジョンズ・ホプキンズ大学が連日公表してきた集計調査によれば、世界の感染者は1億人を超え、1億28万6643人に達した。死者は215万7790人とされる。ここから導き出されるこの悪疫の感染者の死亡率は、全世界平均で2・15%という計算になる。

 日本では、ウイルス持ちの中国人船客が香港で下船したあと、彼に感染させられたと思われる同船した日本人船客や多国籍の〝招かれざる客〟を満載して2月3日に横浜に入港した、英国船籍のクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号でクラスターが確認され、別途13日には国内初の死者も発生。ダイヤモンド・プリンセスを含めた公式統計による国内感染者は、21年1月27日現在37万7015人、死者は5401人となっている。

 この数字から明らかなように、日本の感染者に対する死亡者の比率は、1・43%に止まっている。そもそも日本は、世界各地からのビジネス関係者や観光客として、1年間に国内人口の25・7%を超える(2019年実績)さまざまなレベルの入国者を多くの国から迎え入れてきた。さらにそれらとは別に、必ずしも清潔な生活水準が習慣づけられているとはいえない周辺国から、正規・不正規に入国してきた〝出稼ぎ労働者〟を、〝国内人口〟の中に暗数として抱える、開かれ、無警戒で、ルーズといえばルーズな国だ。

 そうした素地に加えて、前記〝ダイヤモンド・プリンセス〟号の事件があり、またすでに感染が広がっていた〝火元〟の武漢住民を含む大量の中国人観光客兼爆買い客が、〝春節〟の時期に開かれる札幌恒例の〝雪祭り〟目がけて、中国当局が国民の出国を禁止するギリギリのタイミングで、駆け込み式にやってきた。その彼らの〝置き土産〟のウイルスで、札幌を皮切りに北海道内各地に感染が広がり、〝雪祭り〟に訪れた日本人観光客が感染して国元に持ち帰ったケースも加わって、欧米に先んじて〝第1波〟に襲われた。

 この時期にWHO=世界保健機構のテドロス事務局長が、前職のエチオピア外相時代に中国から受けていたさまざまな(〝公〟だけでなく〝私〟にも及んだとする風説がある)〝支援〟に対する義理立てか、武漢で起きている防疫上の非常事態の存在をアタマから否定し、日本の対処姿勢や欧米の中国人の渡航禁止措置を〝過剰反応〟と非難するという、あってはならない重大な職責違反を犯した。

 これに対してトランプ大統領率いるアメリカ政府がテドロスを厳しく批判し、WHO脱退を表明したのは、それなりに根拠も理由もある措置であって、その問題提起がテドロスの引責辞任といった形での明確な決着に至っていない段階で、トランプ再選を退けてアメリカ大統領になったバイデンが、こともあろうに就任初日にWTO復帰の大統領令にサインしたのは軽率極まる愚挙というほかない。

 バイデンには、かねて次男に対する中国企業からの巨額の金銭授受を伴う疑惑が、公然と伝えられていた。そもそもアメリカ民主党には、遥か昔から支那・中国との癒着の風聞が絶えず、近くはクリントン、オバマ、そしてトランプと大統領の座を争ったヒラリー・クリントンにも及んでいたのは、世界衆知の話である。そうした背景を持つバイデンの親中的なWHOに臨む姿勢に対しては、今後も注意深く監視する必要があるだろう。

感染状況に関する中国の馬脚

 本題に戻り、初年度の日本の新型コロナ・ウイルス禍に対する防疫実績は、不安と不満と不平を煽り立てることを編集方針とする偏向新聞、テレビのワイドショーで〝ニュース芸人〟、そのお囃子方のチープな芸能人が多いコメンテーター、さらにこの非常事態にもかかわらず本業がよほどヒマなのか連日連夜テレビに顔を出す〝医師〟や〝専門家〟らが無責任に垂れ流す、非難がましい言辞と正反対の傑れた実績を示していて、世界各国から評価されていることは、いうまでもない。

 欧米と較べた場合の東アジア各国の感染率の低さは、人種差別的視線も反映した体質論も伴って、コロナ禍をめぐる一つの注目点になっている。しかしそうはいっても〝火元〟の中国は、無症状のウイルス陽性者を感染者と認めず、統計にも算入せず公表もしていないとされる。そのうえ、当初の武漢から最近の石家荘・北京市内まで、感染者が出れば有無をいわさず強権的に広範な地域住民を対象にロックダウン=封じ込めを断行するだけでなく、全国土に張り巡らした携帯電話の電波追跡装置や監視カメラの網で、自国民・外国人の別なく動静に常に目を光らせ、本来の目的である治安維持上の看視だけでなく、新型コロナ陽性者の行動監視、場合によっては強制入院にも利用している。それにもかかわらず、前掲の集計・期日で感染者は9万9541人、死者は4809人、死亡率は4・83%と、日本とは比較にならぬ高さになっている。これはいかにも不自然で、数字操作をしている馬脚が現れたというほかない。

〝国民監視装置〟存続の韓国

 中国式の国民に対するデジタル監視体制を真似るだけでなく、発見・通告者に懸賞金を与える陰湿極まる密告制度も採用して、第1波では一定の抑止成績をあげ、文在寅大統領が、〝K防疫〟は国際的に評価されている、と胸を張って見せた韓国も、朴正煕軍事政権いらいの〝遺産〟である国民監視システムの利用が露見して、人々が意識的に監視カメラを避けるようになってからは感染が再燃し、いまや感染者は7万6429人、死者は1376人、死亡率は1・80%で、日本に較べてかなり劣る水準になっている。

 中国はいうまでもなく共産党一党独裁の強権国家で、国民の人権など全然顧慮していない。韓国もいまも朝鮮戦争の休戦下にある準戦時体制国で、過去の軍事政権やその流れを汲む保守政権を強く否定して出現した文在寅・左翼政権も、前記のように朴正煕からの〝国民監視装置〟を手放していなかったうえに、強権独裁の共産中国への追従姿勢を隠そうとしていない。日本の一部には、コロナ禍対策で中韓に学べ、と連呼する勢力がいるし、テレビの〝ニュース芸人〟には、なぜ日本は感染防止のための都市封鎖=ロックダウンをしないのかと、〝死の町〟と化した外国の繁華街の映像を背に、いかにも日本政府が無能であるようにいい募る手合いもいる。

 しかしロックダウンは、筆者が再三指摘してきた通り、軍律=軍の秩序維持規則の中核的存在である叛乱防圧を主目的に、重大災害や疫病による社会的混乱への対応にも準用されるべく用意される戒厳措置の一形態で、憲法9条のもと、軍・軍事法制を否定しているいまの日本には、実施する法的基盤がない。戒厳法規はおろか非常事態対応法制さえ、左翼野党、偏向新聞・テレビや〝市民団体〟と称する左派大衆運動組織の大合唱に埋もれて整備できていない状態なのだ。

〝欠陥憲法〟下でも好結果の日本

 GHQ=占領軍総司令部に押し付けられた現行憲法を根本から見直す必要は、この点からも明らかだが、それはさておき、軍隊も戒厳令も非常時法制も完備する〝フツーの国〟である欧米主要国の、同時日のコロナ感染者の数とその死亡率を見ると、イギリスは370万268人に対し2・71%、フランスは313万8498人に対し2・36%、ドイツは216万4043人に対し2・47%、アメリカは2543万9575人に対し1・67%で、日本よりかなり悪い。

 法制面に決定的な不備・欠落があり、政府が強力な対策を打てないにもかかわらず、他国を凌駕する好結果を示している点に、日本の国家・国民・社会の優位性があり、裏返せばそれが、〝欠陥憲法〟下でも日本が世界に伍して存立を維持するうえでのバックボーンになっている、ともいえるのだろう。

 新型コロナ禍をめぐる最初の1年は、この正体不明の感染症の実体を突き止め、感染者に対する治療法・防疫施策と社会活動の両立の方途を模索する1年だった。しかし、全世界規模の悪疫災害をもたらした感染症が1年こっきりで終わるわけはない。毎度いうように、1世紀前の〝スペイン風邪〟は1918年から1921年まで足掛け4年、満3年続き、当時の世界人口18億人の半数から少なくとも3分の1が感染した。死者も諸説あるが、少なくとも2000万人から、多い推計では1億人、通説では8000万人前後に達したとされる。日本も、内務省衛生局編の公的統計によると、総人口5666万人に対して感染者は2300万人を超え、死者は1年近く続いた第1波と、数カ月の間隔を置いて再発して半年余り続いた第2波を合わせ、38万6000人に達した。

 したがっていま考えるべきことは、一足飛びにウィズ・コロナだ、ましてポスト・コロナだ、という話ではなく、新型コロナ禍が続くという前提に立って、第2年度にどう対処すべきか、という点になる。

問題はワクチンを巡る社会的反応

 その主題が、〝スペイン風邪〟の時代には存在しなかった、目前の感染症に特定したワクチンがいつ登場し、どう効果を発揮するのか、そのワクチンが有効ならどう手当し配布し接種するのか、の一点に尽きることは、改めて指摘するまでもあるまい。

 問題は、そのワクチンを巡るさまざまな事情・状況・条件・社会的反応にある。現にワクチンに関して、ちょうど第1年度にPCR検査を巡って起きた喜劇的状況が、再び繰り返されようとしている観があるからだ。

 PCR検査が、新型コロナ・ウイルスに感染しているか、否かを判別する手段として、優れていること。そして感染拡大初期の時点で日本が、その普及・運用に関し、いくつかの国に較べて〝後れをとった〟と受け取られる状態にあったこと。これは一応の事実だ。そこでテレビのワイドショーや不安・不満・不平を煽り立てることを編集姿勢とする一部の偏向新聞、その尻馬に乗った左翼野党は、もっぱらPCR検査が少ないことが新型コロナの感染を広げているとして、〝失政〟を攻撃した。しかし今回の新型コロナ感染症には特異な性質があり、PCR検査の効能は極めて限られていることが、分かってきた。

 第1に、陽性・陰性はあくまで検査した当日当時刻の状態を示しているにすぎず、1日後どころか、検査の帰り道で感染して陰性が陽性に引っ繰り返ることも、確率は低いとしてもありえない話ではない。検査に対する信頼性も必ずしも高いとはいえず、疑陽性・疑陰性の出現率は決して低くはない。

 第2に、陽性でも、症状がある者と、無症状の者があり、無症状でも、他者に対する感染力を持つ者と、持たない者がいる。症状がある陽性者は当然隔離病棟に入院させ、医療対象にする必要があるが、無症状の陽性者をすべて入院させて監視・管理することには、問題がある。日本では当初行われたが、感染が拡大するにつれ、物理的にも財政的にも社会的にも、人権問題としても問題化した。

 第3に、PCR検査の信頼性の低さから、陰性と判断された者の中に他者への感染力を持つ陽性者が少なくなく、検査と社会防衛上の効果が、必ずしも一致しなかった。

 第4に、PCR検査の実施率と、新型コロナ感染症の発生率、感染者の死亡率とは、関連がない状況が明瞭になった。早い話がワイドショーで〝ニュース芸人〟がPCR検査で日本より遥かに進んでいると持ち上げた、アメリカやイギリスの感染状況のひどさは、日本に較べて明白だ。模範とされた韓国も、前述のように感染者の死亡率は日本より劣っていて、PCR検査と新型コロナ感染症の治療は別問題だということが、はっきりした。

絶滅させたのは天然痘のみ

 そこでPCR万能説を唱える声は低くなったが、代わって幅を利かせ出したのがワクチン万能説だ。ワクチンがあれば新型コロナ禍は収束すると称し、現に接種が進んでいる国も多いのに、日本が遅れているのは政府の責任だ、これでは国民は死の恐怖に曝され続ける、という攻撃につなげる手口だ。

 あまりの醜態だからあえて名を秘すが、某有力野党の党首が、ウィズ・コロナとかコロナ感染を押さえ込むとかというのは論外だ、政府はなぜワクチンでコロナ・ウイルスをゼロにする、といわないか、と年頭の記者会見やテレビ出演などで連呼した。だがワクチンによって絶滅されたウイルスは、古今東西を通じ天然痘ウイルスだけだ、というのは常識である。天然痘にかかって全快した人は再び感染しないとか、ウシの天然痘である牛痘に感染したことのある人は天然痘になっても軽い症状で済むとか、という経験知にヒントを得たイギリスの医師ジェンナーがメスで牛痘の膿を接種して種痘を開発したのが、1796年。しかしその後も天然痘ウイルスは容易には絶滅せず、日本でも学童に対する種痘の集団接種が長く続いた。重い副作用である種痘後脳症で亡くなる児童は、ジェンナーの発見から150年を経た20世紀後半まで、決して少なくなかった。種痘のワクチンが改善を重ねて副作用が少なくなり、日本の競艇のドンの笹川良一が日本船舶振興会(現日本財団)の競艇収益金の一部を投じて世界の隅々までワクチンを届け、種痘を行き渡らせて、たしか中東の山岳地帯を最後に天然痘根絶に至らせたのは、昭和の末だった。

 ポリオ(小児マヒ)やジフテリアなど、ワクチンの改良と普及で大幅に感染被害を抑止できるようになった重いウイルス感染症はあるが、それでもまだ絶滅には至っていない。コロナ・ウイルス・ゼロというのは、テレビの〝ニュース芸人〟はいざ知らず、最低限の常識があれば、口走るはずのないセリフだ。仮にも有力野党の党首がそういうのは、思わず口が滑ったのでなければ、よほど有権者国民を甘く見ていて、デマを流せば支持や票を稼げると思っているとしか、考えられない。

本質的な疑問の数々

 菅首相は年頭のテレビ・インタビューで、日本も2月末までにはまず医療従事者、次に高齢者、基礎疾患を持つ者と高齢者施設の介護者、の順序でワクチン接種を始めると述べた。通常国会では、アメリカの2社、イギリスの1社と3億4000万回分の購入を契約済みで6月末までの調達を目指す、と答弁した。また、全国民に対するワクチンの接種に関して、輸送・保管・供給・接種対象への告知・接種場所の設営・接種の実施と起こり得る副反応(要するに副作用)への処置に当たる医師・看護師の配置など、複雑多岐にわたる実務を総合調整する司令塔に、河野太郎行革担当相を当たらせる人事を決めた。

 これらについても偏向新聞・ワイドショーは、予定通り供給・接種が進むか、副作用の影響はどうか、という点に関心を集中させている。野党に至っては例によって例の如く、菅の〝6月末〟が〝見込み〟か〝目指す〟かといった、揚げ足取りに専念している。僅かな予定の狂いやミスを騒ぎのタネに政権を揺さぶる意図だが、そんな場合ではなかろう。

 欧米の供給実態に照らしても、僅か4か月そこそこで3億本以上のアンプルが届くとは思いにくい。届いたとしても、当面主力とされるワクチンは3週間後の2回目接種が必須とされる。16歳以下が対象ではほぼ2億本必要だ。免疫の持続期間がどのくらいかも、まだ明白でない。同類のインフルエンザ・ワクチンと同等とすれば毎年接種が必要で、現に契約した数では1年そこそこしか保たない。最近いくつも見つかった変異株にいまのワクチンが通用するのか、という問題もある。インフルエンザでもウイルスの型によって効かないケースがある。だからカクテル・ワクチンにするのだが、それでも接種は毎年だ。

 そもそも本来なら10年近く、少なくとも3年や5年はかけて治験を重ね、効果と安全性を石橋を叩いて渡るように丹念に確認し尽くして、それでもなおかつ打ってみたら重篤な副作用が出たり、たいして効果がなかったりするのが、ワクチンの宿命である。それを1年どころか9カ月くらいで、基礎的な治験を簡略化し、3相試験という大人数を対象とした精密な治験をほぼすっ飛ばして実現したのが、今回のワクチンだ。それにはそれなりの緊急性、必要性があったことは明白だが、だからこそ購入・接種に当たって日本を含むすべての国が製薬会社に事故免責を与え、効力がなかったり医療事故が起きたりすれば、購入国政府が全責任を負うと確約し、それでも先を争って契約を急いだのである。

ワクチン薬害の苦い経験

 いまのところ新型コロナ・ワクチンは、前記ファイザーの他にアメリカのモデルナと遅れて加わったジョンソン・アンド・ジョンソン、イギリスのアストラゼネカ、そしてロシア、中国とインドの各複数社製があるとされている。ロ・中・印は自国で接種を進めるだけでなく、ロシアは中南米の左翼政権、中国はアフリカや南アジアの援助対象国などに輸出しているという。インドも日本を含む多くの先進国にジェネリック=低価格後発医薬品の製造・輸出をする製薬大国で、中国との勢力圏争いも睨み、ミャンマーなど近隣国への供給を策しているそうだが、これらは中国製が一部の旧東欧国で使われる以外、旧西側先進国の使用情報は皆無だ。ま、当然だろう。

 化学や、まして生化学などには門外漢の筆者には分からないが、ワクチンには病原ウイルスを弱毒化して作る生ワクチン、病原ワクチンを死滅させてその成分から作る不活化ワクチン、最新の遺伝子操作によるもの、の3種があるそうで、ロシア、中国、インド製はさておき、現行の米英製はすべて遺伝子操作型という。これは前例がないぶん、見切り発車・ギャンブル・スタートできた面もあるのかもしれないが、日本もアストラゼネカ製の生産を請け負う会社があるほかに、製薬企業数社が大学や研究機関と協力して開発を進めている。しかしあえて成果を急がず、数年かけて治験を重ねて安全を期す方針のようだ。

 他国も同様だが、日本も過去にワクチンが原因の薬害事故を経験している。そのトラウマが敗戦後の日本では他国に較べて極めて強く、深い。ここも万国に共通する、国家国民の安全を保障するためには受忍範囲の犠牲は受け入れるという、ロックダウンでも見られる観念が、敗戦―占領下に戦勝側に押し付けられた憲法前文と9条の呪縛に拘束される日本には、存在しないゆえ、というほかない。

集団接種の強行は摩擦必至

 世界で接種例が増えるにつれて、効果や副作用などで、ワクチンに差が出ることが容易に考えられる。しかしたぶんワクチン選択の余地はなく、地域に割り当てられた製品1種に限られるだろう。行政が設営した会場に、〝3密〟も無視して送迎もなく特定日時に対象者を呼びつけて、集団接種することになるだろうが、集団接種はもともと学童対象だったが問題が多く、個別接種になって久しい。高齢化が進むいま、フランスで行われている地域医による往診接種や、専用バスによる巡回接種ならともかく、小役人的無神経と粗雑さで住民を一方的に呼びつけ集団接種を強行すれば、摩擦・軋轢の嵐は必至だ。

 不安・不満・不平の煽動常習の偏向新聞やテレビのワイドショーもつまるところは現役目線で、高齢社会に対する目配りは欠けている。中央・地方の行政も見落としが目立つ。ワクチンと並行して春暖が進めば、コロナの勢いも弱まるだろうが、それがワクチンの効果か季節要因か、結論が出るのは秋以降だ。それまで多くの難点を克服してコロナ禍が鎮静化すればいいが、そううまく運ぶかどうか。いずれにせよウィズ・コロナ、ポスト・コロナの議論はそれからの話になる。

(月刊『時評』2021年3月号掲載)