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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第128回】

日本人を どこまで さもしくする気か 総バラ撒き、お得です、調の上から目線の施し型超愚策とその黒幕・推進役を糾弾する

世間のあらゆるものが〝お得〟の対象になったかのような風潮のなか、極めつけは政府が施策推進のためにポイント付与を喧伝するようになったことだろう。1人一律10万円をバラ撒いて以後、国も国民もタダで与える、もらうが当然となった。深刻な財政危機の中、未来が危惧される。

〝いじましい〟の意味は…

 大阪弁で日常的に使われる表現に、いじましい、というのがある。5字の短い形容詞で中央の1字だけが違い、他はまったく同じなのだから、標準語の、いじらしい、と似たようなニュアンスの言葉かと思うと、これが大違い。後者は、例えば少女が生活の中の不自由に耐えて健気に振る舞っていたり、遊びたい盛りのはずなのに少しでも親の手助けをしたい気持ちを全身から示していたりする姿に対して、周囲のオトナたちが思わず抱く賞賛の情を示している。前者は正反対で、見るに耐えぬ、聞くのも憚られる、だが人間がときに露呈する本能的・反射的な失態に対する、否定的な感情が込められている。

 意地が悪い、というのとも違う。その場合は、いけずやなあ、という。図々しい、というのとも違う。こっちは、厚かましい、だ。しかし、そうした要素がまったく入っていないかというと、そうともいえない。意地が悪いというよりは意地汚く、図々しいというよりはさもしく、ムシのよすぎる要求を当然の権利のように押し通そうとし、遠慮会釈なく欲得を丸出しに、人間、一皮剥けばみんな同じやんけ、と居直りつつ勘定高く世の中を押し渡ろうとする、いやらしく、あられもない性根を指す表現、といったところだろう。

 新聞記者の振り出しが70年前の大阪・社会部だったから、東京生まれの東京育ちとはいえ、それなりの土地鑑は持っているつもりだが、儲かりまっか、ボチボチでんな、が日常的な挨拶とされる商都・大阪は、いまテレビを占拠するヨシモト興業流の乱雑・下品な方言(放言)が示すような底の浅い世界ではない。序列と格式と因縁で塗り固められた、千年の都・京都のような油断も隙もない閉じた世界でもない。一見世界に向けて開かれたハイカラさが目立つが、あちこちに海風に鍛えられた荒っぽさが隠れている中世からの港町・神戸とも違う。一歩引いた位置から広くものを見る視線と、はんなり、おっとりした風情の、独特の雰囲気とスタイルがあった。

 テレビという、ものごとを一瞬で一面的に切り取った映像と、それに付けた思慮は浅いが刺激はきつい、まさに田舎芝居調の音声で伝える〝電気紙芝居〟が、世の中を変えた。大阪が軽佻浮薄一色で塗りつぶされるようになったのに調子を合わせるように、いじましく、えげつなく、さもしく、いやしい姿が、大手を振ってそこら中を罷り通るようになった。日本中がテレビCMに似てガサツになるのを、だれもが怪しまなくなってしまった。

お徳用から、お得へ

 その一例が、お得、の氾濫だ。テレビCMばかりか、新聞・雑誌の広告までお得づくめだ。だれもが不思議だと感じなくなっているようだが、昔の日本語には、サイズの大きな割安商品を勧める言葉に、お徳用、はあっても、お得、という損得勘定を剥き出しにしたえげつなく、いじましいコトバはなかった。あっても縁日の屋台か行商人しか使わなかったろう。お徳用、という表現には、単に安くつくというだけではなく、これを買うことで倹約の徳を積むことができる、という意味が籠められていた。あるいは、大きなパッケージで一度に買えば資源と時間のムダを省く、という意味もあったはずだ。〝お徳用〟にはそうした含意があり、その教育的な意味合いが商品を扱うオトナだけでなく子供にもおのずと伝わっていた。そうした無言の教育の長い積み重ねが、日本人をつくり、日本という国を発展させたといえるのではないか。

 それが一変した。いまや、お得、がそこら中を大手を振って横行している。テレビや商売の世界ならまだしも、政治や行政の分野がいささかのためらいも恥じらいもなく、ごくフツーに使っている。

 昭和まではもちろん、平成になっても少なくとも前半のうちは、そんなことはなかったように思う。世紀の代わり目のころから、CMなどに、お得、がぼちぼち姿を現したのではないか。令和に入ってやたら目につくようになり、コロナ禍以降は政治の場でも行政の面でも臆面もなく登場するようになった。

 早い話が、施策推進の手段に使われるポイント制だ。あるいは、こともあろうに財政資金つまり税金を使った行楽遊興費の割引ポン引き行為だ。こんなことがあっていいのか。

カード化手続きに始まり…

 まずはマイ・ナンバー・カードの作成と使用に対するポイント付与だ。行政にデジタル化を取り込み統計処理を的確迅速に進めるために、国民一人一人に〝背番号〟をつけることは、国と地方自治体との情報を一元化して必要な処理をする上で有効なら、筆者はあえて反対はしない。番号をカード化して個人に交付し、利用したいものには利用させるのにも、格別反対はしない。

 しかしカード化の手続きをすればポイントを付与し、一定地域内の商店や施設で現金同様に使えるようにしたり、カードに国が求める個人情報を記載させたりするのには、まったく賛成しない。ましてそれを納税や健康保険証として利用したりするたびにポイントが加算される仕組みをつくり、〝お得になる〟と欲で釣って誘導し、公的機関に個人情報を集積しようとしているとしか思えない企みには、断固反対だ。個人的に絶対応じない。

 国や地方自治体から現金を給付する場合に備えて銀行の預金口座をカードに登録しておくように、といわれても応じるつもりは毛頭ない。現に必要不可欠な銀行名と口座番号は国・居住地の関係当局に届けてある。納付期日にはそこから引き落とされている。その上にマトモな情報管理もできず、データ漏出や操作ミスでしょっちゅう世間を騒がせているそんじょそこらの小ヤクニンどもに、知る必要のない個人情報の数々をクリック一つで覗けるようにしてやる義理など、全然ない。なにがしかのポイントという名で体裁をつけた小ゼニを付与してやればみんなホイホイと応じるに違いない、と役人どもが考えているとしたら、国民を嘗めるにも程がある。そもそも〝付与〟、くっつけて与える、とはなにごとであるか。そんな無礼な話にはいよいよ乗れない、と思うのが常識ある社会人の判断だ。それもわからないのなら、お前ら、阿呆か、と吐き捨てるしかない。

税金が化けたカネで旅するとは

 コロナ禍で外国人観光客がこなくなり、国民の行楽の足も止まって、観光関連業界や飲食業界が難儀しているから、GO TOキャンペーンとか県民割りとかいう美名で、安い個人負担で一定数の客が集まるように、国や都道府県が共同ポン引き行為をして助けてやろう、という発想は、低劣、俗悪、論外の極みだ。旅行に出かけるのも有名ホテルや高級レストランにいくのも、当然のこととして個人の自由だが、いきたければ正当に稼いだ自分のカネでいくべきだ。税金が化けたカネで旅をしよう、いつもは敷居が高くて入りかねる店でうまいものを食おう、という発想は、いじましくもさもしい限りというほかない。筆者が多年通う老舗のリゾートホテルで、メイン・ダイニングにワインを持ち込み、開栓料はなんぼや、と叫んで断られ、こんな古臭いホテルがなにをぬかすか、新築のきれいなホテルでも持ち込みは客の自由や、とわめくヤツを見たことがある。GO TOでヘンな客が来るようになったのではとてもやってられない、とリタイアしたベテラン・ホテルマンを知っている。

 コンピュータ・リテラシーの達人、SNS利用の名人という人物が、多くの人が望む相手に電話がつながらず予約不能で困っているのを横目に、あっという間に大量予約した姿を、テレビが面白い話題として扱っていた。どれも公営ポン引きのナントカ割りが絡んでいるが、こんな異様な〝施策〟を発案し、承認し、反省もせず、むしろ〝善政〟した気分になっている役人も、首相はじめ閣僚も、与野党を通じた国会・地方議会の議員も、気は確かか、人間として最低の矜持は持ち合わせているのか、と問うほかない。こう言われてオノレの頓珍漢にやっと気づいたなら、いまからでも遅くない。あれは間違っていた、即刻廃止する、と天下に公言したらどうか。

「給付金詐欺」の横行と摘発

 春が終わろうとするころから、「給付金詐欺」の摘発が、世間を騒がすようになった。6月10日付「読売新聞」は、この制度は

 「コロナ禍で収入が減った個人事業主らに上限100~200万円を支給する」もので 「中小企業庁が2020年5月から21年2月まで申請を受け付け、全国で約5・5兆円が支給された。迅速な支援のため添付書類を減らすなど手続きを簡素化したところ、不正受給が多発した。

 警察庁によると、全国の警察が摘発した持続化給付金の詐取事件は5月末時点で3315件(立件額約32億円)で、摘発された容疑者は3770人だった。年齢別に集計すると20歳代が最多の62%(約2300人)で、10歳代(6%、約200人)と合わせて約7割に上った」

 と書いている。

 騒ぎが広がったのは、夫婦と20歳を過ぎたばかりの長男、事件実行当時は未成年だった次男の一家4人からだ。都心のマンションの一室を〝事務所〟に、手分けしてカモを集め、彼らに総計10億円に迫る不正な給付金を受給させて、そのうち15%から40%を〝指導料〟や〝手数料〟として、捜査当局にシッポを掴まれないように現金で巻き上げていたという。まず妻子が逮捕され、いずれ事件が発覚して追われる身になると考えてか、離婚してインドネシアに逃げていた主犯の夫も、ICPO=国際刑事警察機構を通じた手配によって現地当局が逮捕・送還された。

 他にもこの〝施策〟の主管官庁・経済産業省の若手キャリア官僚2人組が中心のグループ、請求に不可欠な書類に関わってそれなりの知見がある税務署の現場職員が首謀した少なくとも3組のグループ、さらに全国各地の無数の詐欺常習者が仕掛けた各種各様の類似の犯行が摘発され続けているが、表面化したのは氷山の一角に過ぎないと見られている。

 最初に例示した一家4人組の手口は、夫がセミナーを開いて詐欺受給の〝手引き〟をする。長男が遊び仲間から手づるを辿ったりSNSを通じたりして学生や無職の若者を中心に〝集客〟する。妻と次男は〝客〟のために偽造した必要資料を揃えて給付請求の手続きを教え、時には〝客〟の代理人として所管庁に持ち込む。こう役割分担していたという。

行政の遅れに対する難癖

 いうまでもなくコロナは発覚から短期間で世界的に感染拡大したが、火元と目される中国をはじめ欧米各国は、流行の広がりを食い止めるために緊急事態対処法制を発動して、ロックダウン=都市封鎖という手段をとり、ファンダメンタル・ワーカーつまり医療や治安、運輸や物流など、社会に不可欠の職業につく人以外の外出を、徹底的に禁止した。

 これではたいていの事業は成り立たない。そこで独裁強権の非民主不自由国家はいざ知らず、少なくとも欧米の自由民主先進国家では、政府による補償措置がそれぞれ予め規定されているレベルと手法で実施された。

 日本は敗戦に伴うアメリカの軍事占領政策の延長線上にいて緊急事態対処法制を欠落させたまま放置してきたため、強力な行政措置をとる法的根拠がない。そこで国民一般には〝不要不急の外出〟中止を勧奨し、飲食業には地域の状況に応じて営業時間を制限する程度の対応に、止めざるをえなかった。

 とはいえ外国人観光客の入国を全面的にストップしたこともあり、観光関連業種をはじめ流通・サービス業などは、休業や大幅な営業縮小をせざるをえなくなる。そうした事情のもとでは一定の公的補償措置をとるのもやむをえないが、日本はコロナ禍の深刻化が遅かった上に、法制の不備や執行面の不慣れも手伝い、対処がモタついた印象があった。その〝失点〟を捉えてテレビの情報番組の〝ニュース芸人〟や、そこに寄生する所詮は井戸端会議レベルの感情論しかできないコメンテーターと称するお囃子方が、遅いの、各国の突出した給付例だけを並べ立てて日本の給付案は安すぎるの、と難癖をつける。テレビの話題を小耳に挟んで国会質問で大見得を切るのが専門の野党議員がいる。与党の一隅にいるとはいえ、税金をバラ撒くのが政権に加わる最大の役目と心得て、現に別途のコロナ禍に関連する企業向け融資の口利きで〝お縄〟を頂戴した議員を出した政党もある。

性善説に立った、国の借金

 こんな連中が、早く、手厚く、広く給付しろ、と政府に迫る。そうした空気に煽り立てられて、性善説が前提というヌルい給付案が拙速で作られ、ロクなテストもせずに即時全面実施したのだから、たまらない。コロナ禍で一定の期間に過去の実績に較べて売上が大幅に減った事業主が、税金の確定申告書の控えや最盛時の売上台帳と最近の売上帳などを比較資料として申請すれば、名ばかりの〝審査〟で一定額の給付金が振り込まれるという仕組みで、申請者の事業歴や年齢は問われない。若造が起業したばかりでまだ確定申告する段階には至っていなかったと主張し、開業直後と称するコロナ直前の時期の架空帳簿と最新のカラ帳簿を並べて給付請求しても、性善説が基本だから、普通なら、怪しいぞ、と厳しく審査するのに、今回に限ってスルリ通してしまうことになる。抜け穴が見え見えで詐欺師にとってこれほど簡単な仕事もめったになかったに違いない。

 だからこそこれだけの大騒ぎになったわけだが、コロナ禍対応をうたった〝施策〟は、個人向け、企業向け、地方自治体向け、呆れ返るばかりの種類がある。投じられた予算も巨額だ。その多くが税金、というと聞こえがいいが、いまの国民が納める税金はほとんどない。大半は赤字国債、つまりとりあえず大部分が暗殺された安倍元首相がいう〝国の子会社〟である日本銀行が引き受け、印刷局が札を刷って耳を揃えて渡す、国の借金だ。

 借金が借りっ放しで済む道理はない。制度上は毎年約定利子を所有者に支払い、10年ごとに発行額の6分の1をその年の税収から返済する決まりになっている。都合60年かけていまの受益者の子孫が負担して完済しなければならないカネなのだ。

 コロナ禍を口実に無秩序に、臆面もなく重ねられ、垂れ流された、企業向け、個人向けの無数の〝施策〟について、ここで詳述するスペースはない。そもそも、それらを漏れなく拾い上げて記述する知識も能力も、現役を去って久しい筆者にはない。あるのは余りにも思慮に欠ける政策姿勢に対する、深い憂慮と強い怒りだけだ。

現ナマ総付けなど、論外

 こうした放埒を極める政策姿勢の端緒が、2年前の安倍内閣による、コロナ禍に苦しむ全国民への緊急給付と称して1人一律10万円の現金をバラ撒いたことにあるのは、改めて指摘するまでもあるまい。この愚挙に投じられた予算は、事務費を含めて14兆8000億円。すべてが赤字国債だった。

 筆者は本誌に60年間、一貫して読み切り連載のまさに「時評」を寄せ続けているが、ここ両三年の読者なら、この究極のバラ撒きに対して筆者が強く反対したこと、多年報道と言論にかかわってきた自由独立の人間としていわれのないゼニは受け取らない主義を貫いて請求も給付も拒否したこと、を先刻ご承知であるに違いない。

 コロナ禍であれなんであれ、困窮する国民に対して適切な社会保障給付を届けるのは、自由民主主義国として当然の責務である。ただその責務は必要な対象に限って果たされるべきで、総付け・バラ撒きしていい、というものではない。

 ましてコロナ禍は希代の国難である。国難であるなら、ある範囲までは国民は心を合わせて耐えなければなるまい。しかも日本の財政は長く国債依存を続けていて、現に過去の債務に対する利払い・返済はさておき、当年の歳出だけは当年の税収で賄おうという方針を立て、苦労して実現しようとしている途中である。現ナマ総付けなど、論外だ。

テレビ人は3万人から除外を

 筆者が国庫の決算報告や各種の統計を根拠に、1億2600万人の日本国民のうち40万人だけが給付を受けなかったと推計できること。ただし行方不明になっている同居家族のいない単身世帯主や、請求期間中は海外にいて手続きのしようがなかった単身者などの数を考慮すると、〝確信犯〟的に給付を拒否した日本人は3万人程度に過ぎないと思われること。こうした点を執念深く追跡し、寄稿し続けてきたのも、読者はご存じだろう。

 この3万人の中には、当然ながらいろんな年齢、職業、思想・信条の人がいるに違いない。富む人も、つましく暮らす人も、ビジネス界で働いてきた人も、学問やジャーナリズムの分野で生きた人も、農業者も生産現場で汗を流してきた人も、いたはずだ。しかし、あくまで筆者の独断に立って、偏見と非難するならしろ、という思いでいうのだが、一定以上の年齢の、信条的には保守的な人が大多数の感じがする。政治家もいたとしても、左翼陣営にいたり、野党暮らしが長かったりする連中には、いなかったのではないか。

 偏見中の偏見と承知のうえでいえば、ジャーナリズムの世界でもテレビ人は、3万人の中から除外していい、と思っている。多少とも当節の〝お得ですよ〟が幅を利かせる風潮に対して批判があるなら、CMを含むスポンサーのお陰で食っている身とはいえ、ポイントで国民を釣ろうとするとはなにごとか、全国民1人一律10万円の総バラ撒きとは正気の沙汰か、と主張する番組や、それもできないというのならせめて〝情報番組〟の中のコメントくらい、してみるがいい。それができないのでは、まさに〝電気紙芝居〟ではあってもジャーナリズムの一員であるとは到底いえない、と断ずるほかないからだ。

繰り返される亜流、限定版

 筆者は10万円一律バラ撒きの最高責任者だった当時の安倍首相の本意は、反対だったと信じている。安倍内閣の閣僚は給付を辞退すると閣議の場で申し合わせたこと。それを受けて自民党が所属国会議員全員も辞退すると申し合わせたこと。この点が有力な状況証拠だ。〝与党〟の一角、正確にいえば彼らの支持勢力から執拗に迫られ、不本意ながらやらざるを得なかったのではないか。おそらく自民党は、閣僚・議員だけでなく、最低限重鎮クラスは、同居家族も辞退したろう。

 当時野党は、立憲民主党以外だんまりを続けた。国会や街頭演説、テレビなどの場で、出せ、出せ、と言い募ってきた手前もあるかもしれないが、本音は、貰えるカネは貰え、というだけだろう。立憲民主の枝野代表(当時)は、自分たちは辞退はしないが、給付金を受け取っても自分のためには使わずコロナに苦しむ国民のために使う、といったが、筆者はこの発言は格好つけただけ、と見る。議員にとって寄付はデリケートな行為で、ヘタに使えば即、公職選挙法に照らして違法行為になる。その危険を考えれば、いい格好をしてみせたものの結局10万円は家族分を含め私的支出に消えたと見ていいのではないか。

 10万円全国民一律総バラ撒きは、さすがにその後出現していないが、亜流というか、範囲を狭めた限定版は、住民税非課税世帯に限ってとか、子供のいる家庭だけとか、として繰り返し登場し、実現している。今回の参院選の公約にも複数の野党が、ロシアのウクライナ侵略が激化させた石油・天然ガスや小麦・トウモロコシなどの国際相場上昇に始まる諸物価の値上がりに対する施策として、全国民が対象の一律現金給付を主張した。

 この全世界規模の激動、そして深刻さを深める財政危機の中で、すべての野党が消費税の全廃ないし軽減を叫び、岸田政権・自民党までもが新規の給付策を掲げる。政治も経済も社会も、お得、に走って大衆的人気浮揚を図る。そんな日本に未来はあるのか。

(月刊『時評』2022年10月号掲載)