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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第129回】

宰相・安倍晋三をどう捉えるか 保守派の代表格論には疑問 リベラルムードの味つけも 規律・規範感覚の緩さ問題  叩き持ち上げ落とすテレビ 公明に迫られ現金バラ撒き

理不尽な暗殺の相反で実績が美化された感のある安倍政権に対し、筆者の評価は在任当時から今も定まらない。保守本流と言い切れず、外交、経済政策にはこれといった成果が見られない。何より、政権運営に抱き込んだ公明党の過去・背景も追求した上で厳正に評価すべきだ。

在任中から今も腑に落ちず

 安倍晋三という宰相について、どう捉えればいいのか、そこのところが、どうももう一つ腑に落ちないというか、自分が納得できる評価がきっちり定まらないというか、そんな気分が在任中からいまも、続いている。

 もちろんそこには、あの突然の理不尽極まる動機に発する暗殺の状況も、強く反映している。それまではヤレ「森友」の、ヤレ「加計」の、ヤレ「桜を見る会」の、と〝疑惑〟を並べ立て蒸し返し続けて、安倍を大悪党であるかのように言い募ってきたテレビ情報番組の〝ニュース芸人〟どもを筆頭とする偏向新聞や無責任週刊誌などが、暗殺直後から掌を返すように彼をこのうえない偉大な政治家のように持ち上げてみせた、その醜悪な商策に鼻白んだ面も、大きく作用している。

 奈良の暗殺現場や東京・永田町の自民党本部、山口・下関の選挙区事務所に置かれたもの、全国に散らばる安倍派の国会議員などが地元に設営したものなど、各地に数多く設けられた慰霊の献花台に、花を手に長い列をつくった多数の市民の姿にも驚かされた。人気を煽って素朴な大衆を引き付け、九天の上まで持ち上げたうえでどこかにインネンを付けて九地の底に叩き落とすのは、テレビ・ワイドショーの視聴率稼ぎの常套手口だ。モリカケ・サクラで叩きまくった安倍を、旧統一教会との古く深い因縁は百も承知のうえで、統一教会の悪業のとばっちりで暗殺された政治家としていったんは持ち上げてみせ、すぐ統一教会との過去を持ち出して叩きに回る。その成り行きは必定なのに、それに気づかず大衆的な追悼の勢いに釣られたと思わざるをえない、岸田内閣の破格ともいうべき国葬の閣議決定は、いかにも短慮だった。

 憲政史上最長の3188日の総理在任記録は、絶対的な評価の尺度であるには違いないが、とはいえ連続在任記録では父方の大叔父の佐藤栄作元首相より4日多いだけだ。佐藤には小笠原・沖縄の返還実現という大業績があったし、わが国初のノーベル平和賞受賞者でもある。しかし甥孫の安倍にはそうした実績がない。吉田茂いらい戦後2例目の国葬に違和感を残す向きは少なくなかったろう。

無駄遣いの指摘はブーメランに

 それにしても閣議で決定した国葬だ。経費がなんぼかかると、ゼニ勘定を持ち出して大衆的反感を誘い、政争の具にする立憲民主党と共産党。その旗を振る毎度おなじみの偏向新聞・テレビのニュース芸人は、品性下劣、低級の極と断ずるほかない。会場費が高い、税金のムダ遣いだ、というが、国の予備費が特殊法人の形をとるものの実質国営の、日ごろ閑古鳥が鳴く巨大施設に支払われただけではないか。警備費や外国からの弔問使の接遇費にケチをつけるのも程度が悪すぎる。

 外交儀礼を欠けば国家として面目を失うだけだ。警備費に至ってはなにも今回の国葬に限らず、皇室はじめさまざまなVIPに対しても、野党を含む政治家の身の安全確保のためにも、日常的に支出されている。新聞記者3分、テレビのニュースキャスターなどが3分、残余は完全フリーの都合半世紀を超える政治記者生活はほぼ20年前に一段落させたが、過去の経験に照らせば身辺警護と周辺警備の二つに大別される警察の警戒は、選挙集会も含むあらゆる政治家・政党の活動に対して、国や都道府県の税金を投入して不断に行われている。身辺警護は共産党は民青や若手党員を使って自前でやっていたし、なにかと〝関係筋〟が多い自民党もそう税金はかけていなかったようだが、〝浅沼事件〟以降、社会党の特に左派には、こんなヤツまで、と思われる陣笠クラスでも、支持者に対して大物然と見せたい見栄も兼ねてか、行く先々で警察の〝厳重警備〟を求める議員が多かった。

 その体質はいま立憲民主党議員がもっとも多く受け継いでいるのではないか。彼らがどれだけ〝国民の税金〟を消費しているか。過剰警護と、どうせ当選するわけがない泡沫候補擁立による税金の乱費も加え、勘定して公表する新聞・雑誌が出現すれば、格好のブーメラン的喜劇になるだろう。

単純に保守の政治家ではない

 閑話休題、〝安倍政治〟の突然の悲劇的終結をめぐって生じたさまざまな現象をあわせて、宰相・安倍晋三に関しては改めて考え直さざるを得ない点が残っていると思われる。それは安倍の〝天敵〟である朝日ジャーナリズムや、彼らと大合唱を続けていれば自分もひとかどの知識人に並ぶことができると心得る軽量ブンカ人のテレビでの発言やそこらへんの書き散らしが、チラホラ耳目につくようになった昨今でもまったく変わらない。

 尤も中には、朝日新聞がアリバイ工作のようにしばしば社論と正反対の寄稿を求め続けている佐伯啓思・京都大名誉教授のような傾聴すべき所説も、彼の中央公論九月号所載の論稿を含めて散見できる。筆者も佐伯説とほぼ共通の立場だが、大半の報道・論評がいう安倍晋三は自民党の右派を率いる保守の中核的存在だという評価には、根本的な誤認・誤解があると考える。

 安倍は単純に保守の政治家だったとはいえないのではないか。少なくとも彼は戦後の保守本流の正統的な系譜を継いでいない。むしろ反本流の嫡流の位置にあった。加えて保守とは無縁の、より的確にいえば保守と本質的に反する、しかし今日の大衆社会の状況・映像万能の時代の、リベラルともいうべき空気を自民党政権に持ち込んだ異色の政治家、特異な宰相で終始した、と見るべきだろう。

本流とは現実派の総称

 保守本流という表現は、いまや完全に死語と化しているが、戦後政治史の中でいわゆる〝吉田学校〟に始まり鈴木善幸まで続いた、安保・防衛はもっぱら〝核の傘〟を中心に同盟関係にあるアメリカに依存し、敗戦で荒廃した国土と経済の復興・発展に専念しようとした、保守現実派の総称だ。

 スターリン・ソビエトなどを加えた〝全面講和〟を求める左翼勢力や、アメリカの軍事占領下にあっても、むしろその故にこそ、左翼の強い思想的・組織的影響下にあったマスコミの主張を斥けアメリカとの〝単独講和〟を断行しただけでなく、愛弟子の池田勇人や財界人なども加えた講和全権団としてではなく、一個人として歴史に対し全責任を負う、としてただひとり日米安保条約を調印した吉田茂。師の意を体して、整備された輸出港とその背後に重化学工業地帯を全国に巡らし、祖先から農作で受け継いだ勤勉な労働力を総動員して、製造業で高度経済成長を実現する計画を立てて実現の道をつけた池田。さらに派閥的には別の流れだが同じ志を持つ親友の田中角栄とともに、全国各地でそれを実現していった大平正芳。この系譜は、池田のもう一つの遺志だった臨調=臨時行政調査会、つまり財界人や大物官僚OBに言論人や学者も加え、特別の設置法を持つ総理直属の大型審議会方式で練り上げた行政改革を、これも反保守本流育ちの中曽根康弘とともに試みた鈴木で、一段落したと見るべきだ。

 人脈的には宮沢喜一が鈴木に続くが、宮沢は大きな政策的な絵図面を描くのには向いていなかった。筆者は大平・田中六助と前尾繁三郎・宮沢にほぼ二分された池田派の双方と接触し、大平・田中には国政出馬を口説かれ、宮沢とは応援団を勤める位置にあったが、当時〝政治記者〟として常連出席者だった東洋経済誌の名物記事の匿名座談会で、同じ常連の〝財界人〟、池田勇人を支える〝四天王〟の一角で、宮沢のPTA会長格でもあった桜田武に、キミが宮沢を助けてくれているのはよく承知してたとしているが、彼は幕僚としては優秀だが大将には向かないよ、と言われたことがある。父親の文武が宮沢の腹心だった岸田文雄地方経済振興論や〝新しい資本主義〟の提唱にも、自分は宏池会・池田や大平の継承者だ、という気負いがチラついているが、いかんせん、中身のない空疎なキャッチフレーズの羅列に止まり、少なくとも現時点では政策論議の対象になりえていない。

保守本流と対立する系譜の嫡流

 一方安倍は、吉田茂の流れの保守本流と対立する鳩山一郎-岸信介-福田赳夫の系譜の嫡流だ。鳩山が改憲と日ソ国交回復、岸が安保改定と自主防衛を唱えて、日ソと双務制を取り入れた安保改定は実現したが、改憲や自主防衛は提起だけに終わった。福田に至っては、高度成長の果実を〝昭和元禄〟と揶揄するだけで、それにとって代わる財政・経済政策の体系は示せず、吉田が築いた保守本流を強く意識し、三木武夫と組んだ内抗争に没頭して、無為の短期政権に終わった。

 この流れは福田でいったん断絶するが、大平・鈴木・中曾根・竹下登・宇野宗祐・海部俊樹・宮沢、そして非自民8党会派連立の細川・羽田両政権と自社連立の村山富市・自民党首班に戻って橋本龍太郎・小渕恵三の11内閣を挟み、森喜朗首相で再現する。小泉純一郎・第1次安倍・福田康夫と続き、吉田茂の孫の麻生太郎と民主党首班の〝魔の3年8か月〟と酷評された鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦の政権を経て、第2次安倍に至る。

 なにぶんにも4分の3世紀前に根っこがあり、半世紀前にほぼ終わっていた対立抗争だから、第2次以降の安倍が過去のいきさつに屈託することなく幅広の政策路線を採用したのは当然だ。とはいえ伝統芸能や相撲など、流派・部屋に固有の名跡が襲名される世界で時として見られるように、政治の世界でも派閥の体質は代を超えて受け継がれる側面がある。直接の指導を受けていればもちろん、姿に接したこともないほど世代的に離れていても、同じ名を継ぐ後輩が先輩の芸や取り口を思わず彷彿とさせる言動をすることが間々あるのは、芸界・角界も政界も同じだ。

常識の域を出ない安倍理念

 筆者の理解では、保守政治とは、歴史・伝統・経験・実績を踏まえて変転限りない内外の動きに処する政治的・政策的な最適解を、秩序・規範・規律に沿って実現しようとするものである。簡単にいえば、秩序と規律を重んじる常識的な現実対応だ。

 〝安倍政治〟の憲法・安保・防衛観は、いまさら右派的とか右寄りとかというのがおかしいほど、今日では至って常識的な考え方にすぎない。そもそも1955年=昭和30年に吉田茂から緒方竹虎に代替わりしていた自由党と鳩山一郎の民主党が〝保守合同〟で自民一党体制になったときいらい、〝(アメリカ占領軍のマッカーサー司令部の意思に従った異様な内容・文体でない)自主憲法の制定を期す〟と掲げ続ける、結党の基本だ。

 それに加えてプーチン・ロシアによるウクライナ侵略と核恫喝が現実化したいま、非自民の野党でさえ、共産・社民という確信的左翼はともかく、立民の一部にさえも、非武装の、非核の、という久しく習慣化したスローガンを唱えることをためらう状況がある。保守本流・宏池会をハト派と呼んできた過去に囚われ、いまもその末端にある岸田は首相として改憲にも防衛力強化にも反対・抵抗するのが当然だと、折に触れて匂わせたがる偏向新聞・テレビこそ、スターリン・ソビエトいらいの共産主義的バイアスを抜け出せない正体を、図らずも露呈しているのだ。

疑問だらけの政策、成果

 〝安倍政治〟の長所として、外交面での多彩な〝成果〟をあげる向きが少なくないが、ホントかね、と首を捻りたくなる感がある。たしかに第2次以降の安倍政権の外交は、欧米の民主主義先進国とも対中国・韓国関係でも、プーチンとウラジーミル・シンゾーと呼びあった対ロ関係にしても、滑らかで淀みがない面が見られた。しかしそれは、安倍の社交的な性格が大きく作用して八方美人的にうまく自然に運んでいた、というだけの印象的な話に過ぎず、ニオイは漂い続けたものの実は1ミリも動かなかった北方領土問題が端的に示すように、具体的な成果にはまったくつながっていなかったのではないか。

 アベノミクスも、本人が自負し、経済人や〝専門家〟の一部が賞賛するほど、成果があがったとは思えない。あれは第2次安倍政権成立当時にたまたまアメリカで流行していたMMT=モダン・マネタリー・セオリーの直輸入で、財政規律をまるで無視した紙幣の濫発と低金利で表面的・消費的な景気を煽り、一時の麻薬依存症的活況をもたらすだけのことなのではないか。もしアベノミクスが本当に有効だったら、〝平成空白の30年〟が続いたはずはなかろう。単年度で50兆円を超える〝超大型経済対策〟をバラ撒いても実質GDPが横一線を続けたのは、下がらなかっただけ、マシといってすむ問題ではない。

 〝コロナ不況〟の根源が、もっぱらインバウンドの激減による観光業の不振・流行防止の外出制限に起因する飲食業の低迷・ネット購入の定着に伴う流通の変容にあるとされたことが示す、第3次産業の比重の高まり過ぎは、いかがなものか。少子・高齢化の人口構造と成熟しきった国民生活という面から、余儀なかったといえないわけでもないが、超大型経済対策を打つのなら、農地の荒廃・基幹食糧の輸入依存と新産業育成・サービス業に流れがちな若年労働力のより健全な活用などの狙いを定めて、AIを駆使した超高度の機械化農業に徹底的に国と地方の財政資金と施策を集中する、という発想もありえたろう。いかに経済のグローバル化、ソフト産業化、情報化時代とはいえ、第1次・第2次産業で国家を健全に発展させるのが保守政治の基本であり魂であって、池田、そして大平・田中なら、そうした道を貫いたに違いない。必ずしも安倍の責任だけに帰すような性格の問題ではないが、この点はアベノミクスの評価に際して、看過できないのではないか。

リベラルに傾いた生活感覚

 筆者は、〝安倍政治〟の一つの特色は、秩序感覚の欠落、規範意識の希薄さ、規律基準の不明確さにあった、と考えている。彼の生活感覚は、多くの過去の保守政治家、とりわけ領袖クラスや宰相に比べれば、著しくリベラルに傾いていた。念を押しておくと、リベラルはいまはもっぱらプラスイメージで受け取られているが、かつてはルーズ、無原則、無定見、というマイナスイメージで捉えられていた。この点は共産党も、少なくとも社会党も左派では同様で、筆者世代までの老政治記者の安倍評価がもう一つなのは、こうした面も大きく作用している。

 安倍のリベラルには、昭恵夫人の影響もなかったとはいえまい。私生活面だけなら、そうした保守政治家にあるまじきアンバランスさが、むしろ〝安倍人気〟の背景に存在し、暗殺時の献花の大行列にも、国葬の閣議決定にも反映したのだろうとも思われるが、公的な面に顔を出すのは如何なものか。少なくとも〝森友〟には直接的にそれが見えていた。〝リベラル〟の暴走は、財政規律の余りにも〝大胆〟な無視にも、暗殺犯人の動機と関連して表面化した旧統一教会に対する政治的警戒心の欠如にも、つながっていたのではないか。発足当初の統一教会=勝共連合を強く後押した岸信介の孫という〝家系の悪因縁〟も、朝日新聞の記事によると、文鮮明が出席する統一教会の大会で〝アジアに英雄あり。その名を文鮮明という。今日は文先生にお目にかかり、直接ご高説を拝聴する。今日はいい日だなあ〟と軽佻な口調でヨイショした福田赳夫の存在も、〝負の遺産〟として安倍のルーズさ、無頓着さに影響したとしたら、不運な宿縁というだけではすむまい。

混乱の自国より復興する日本へ

 ここで補足しておくと、東條英機戦時内閣の商工相として敗戦直後にいったんは戦犯容疑に問われた岸が政界復帰して活躍した1950年は、スターリン・ソビエトにけしかけられた金日成が韓国に攻め入って朝鮮戦争が起き、李承晩・韓国が釜山周辺の隅っこに追い詰められた段階で日本占領中だったアメリカ軍が参戦。こんどは北に攻め込んで彼らを中朝国境の鴨緑江に追い落とそうとした時点で、前年に国家として成立したばかりの共産中国が〝義勇軍〟として加わってきて激しく押し返した。そうした中で、路線対立で分裂状態にあった日本共産党の主流派が、スターリンと毛沢東のモスクワ会談を受けて武装闘争方針を組織決定し、火炎瓶を投げるのがせいぜいの実態ではあったが、後方基地である日本の治安を混乱させ、アメリカの日本占領当局も日本の政界も反共の度を強めていた。

 文鮮明が韓国で統一教会を創立したのは朝鮮戦争が事実上終わった時期だが、彼らは混乱する自国より復興に歩み出す日本に目をつけ、〝勝共連合〟の名目で日本に侵出して岸に接近したと思われる。彼らの〝霊感商法〟や信者に仕向けた〝献金競争〟が社会問題化するのは70年代以降だ。

 50年代から60年代にかけて、〝折伏大行進〟と称する強引な信者拡大や資金集め、さらに〝国立戒壇〟〝王仏冥合〟といった宗教主導の政治を唱えて社会問題化していたのは創価学会で、読売新聞が東京で批判する大キャンペーンを張った。創価学会は当時の若手のリーダーで現に名誉会長である池田大作を中心に、関西・ことに大阪で巻き返しを図り、参院で当初は無所属、やがて公明政治連盟を名乗って政界に進出する。

 福田赳夫のヨイショ発言当時、文鮮明の統一教会はまだ世間的には無名に近い存在で、それよりは創価学会の強引な信者獲得活動、直系の国会・地方議会の議席拡大を目指す猛烈な選挙運動。各地で独自の会館を無数に建設するための集金活動や建築公害などが、社会を騒がせていた。彼らの憲法が定める政教分離原則を真っ向から否定する政教一致の言動、そうした姿への批判に対しては暴力的威圧をためらわずに猛攻撃する言論妨害体質、なども問題化していた。そうした中で共産中国と近かった創価学会-公明党ブロックに対し〝政敵〟の田中角栄が日中国交成立を図って接近したのに、反共・親韓・親台湾の福田が反発。対抗勢力として統一教会に着目した面も、こうした言動の背景に存在していなかったとはいえまい。

創価学会-公明党の過去も追及を

 筆者自身、ずっとあとになるが創価学会と〝一帯不二〟を自認する公明党が社会党・民社党など非自民8党・会派連立で政権を奪取したとき、創価学会-公明党ブロックのあり方を批判する個人や宗教団体が結成した〝四月会〟の代表として、自身はもちろんまだ少年だった息子たちまでが激しい威圧や不当な監視行為の被害にあった記憶がある。

 それ以前から、藤原弘達明治大教授を筆頭とする創価学会-公明党批判の論者に対する彼らの暴圧は物議を醸しており、田中角栄が中に入って収めようとしたり、池田大作-宮本顕治のいわゆる〝創共協定〟で批判をかわそうとしたり、いろいろの動きがあった。

 創価学会-公明党に限らず、昔から新興の宗教団体による信者集め、資金作りはさまざまな紛議のタネとなり、団体が成熟するにつれて社会との折り合いを付けて騒ぎを収斂させていったものだ。創価学会-公明党もいまは穏当化し、公明党は現に自民党と連立して政権入りして久しいが、しかし過去の事実は歴然と残っている。この事実を知らぬわけでもなかろうに、創価学会-公明党の過去には一言も触れず、統一教会だけを攻撃してやまない大方の新聞・テレビの報道姿勢には、かつての言論妨害の残映に脅え切った忖度の度も過ぎる、というほかない。

 与党となって久しい公明党の姿勢にも問題がある。前号でも取り上げたが、国の財政規律を無視した、国民1人当たり10万円のバラ撒き給付を筆頭に、安倍・菅、そして岸田政権でも、対象規模の大小はあれ、現金バラ撒き給付は止まない。それらは公明党の提起に沿ったケースがほとんどで、そこには創価学会からの強い要望がある、といわれる。

 それが事実であるのなら、隠れた政教一致だという非難は免れまい。安倍政権に始まる悪弊だけに、背景事情の解明は宰相安倍晋三を評価するうえで、大きな急所になるのではないか。

(月刊『時評』2022年11月号掲載)