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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第138回】

ヒロシマG7サミットの残したもの 際立った岸田首相の構想と準備 ゼレンスキー主役を認めた度量 対ロシア・中国対決姿勢の構築 歴史を画する意思統一の堅持へ

ヒロシマG7サミットは、ゼレンスキー大統領の登場などにより、事前想定を大きく超える成果を上げた。日米豪印による対・中国への断固たる姿勢を世界に印象付けた点も極めて有意義だ。一方で、経済問題になるEUは分裂、とくにドイツ、フランスの及び腰が改めて露呈されたのも否定できない。

サプライズ的登場の作用大

 岸田首相が地元開催の面目を賭けて議長を務めたヒロシマG7サミットは、マスコミ舞台の常連になっている一部の被爆者団体幹部らの放つ悪声や、これも毎度ながらの偏向マスコミのイヤ味たっぷりの〝論評〟を例外とすれば、世界中の人々が挙って瞠目したに違いない、事前に予想されたレベルを大きく超える目覚ましい成果をあげた。

 これには、改めて指摘するまでもあるまいが、電波を介したリモート参加と伝えられていたゼレンスキー・ウクライナ大統領の、サプライズ的登場の作用が大きい。G7サミットに対面で参加したい、というゼレンスキーの希望は、ほぼ1か月前の4月下旬に日本政府に伝えられていたとされるが、彼が登場すれば日本のマスコミをはじめ世界中の耳目が彼に集中して、ヒロシマ開催の意義も、開催国・日本の首相として議長を務める地元出身の岸田の話題性も、大きく減殺されることは分かりきっている。しかしそんなことは百も呑み込んでゼレンスキーの希望を受け入れ、ぎりぎりの段階まで極秘にして、彼の長途の往復の安全をフランス政府の公用機に託して確保した点を含めて、日本政府をはじめ広島県・市などが周到緻密な構想のもとで準備を重ね、万遺漏無く為すべきことを完遂した功労は、最大限の評価をうけていいだろう。

明快だった強硬出席の目的

 ゼレンスキーのG7サミット強行出席の目的は、明快だった。ブーチン・ロシアによる突然の軍事侵略に対して、1年を超える強力な抵抗を続け、いよいよ冒された領土の全面的回復を期して反転攻勢の火蓋を切ろうとする直前に、改めてG7諸国最高首脳の強力な支持・支援を受けている姿を誇示することによって、世界にもウクライナの軍や国民にもアピールする。それに加えて、ゲストとして参加するオーストラリアや韓国とのかかわりを深め、さらにソビエト時代からロシアの影響が強いとされるインドを筆頭とする、最近ではグローバル・サウスと呼ばれていささか過大評価されている感のある、自由・民主主義に立つG7諸国を筆頭とする国家群と、中ロを典型とする独裁・強権国家群との中間に位置して、独自の存在感を発揮しようとするグループなど、いままで地理的な条件も大きく作用して交流機会が得にくかったアジア・アフリカ各国の首脳とも接触し、それぞれの本音を的確に把握しておくことだ。

 そのために彼は、準備期間である1か月足らずのうちに、まず習近平・中国の特使という触れ込みでロシアとの〝和平案〟なるものを携えてキーウに乗り込み、上から目線で直接会談を求めた元駐ロシア中国大使に対して、門前払いとまではいかないとしても、玄関払いに等しい厳しい姿勢で臨んだ。中国の〝和平案〟の中身は明らかにされていないものの、どうせ2014年にロシアが侵略を終えて自国の〝州〟に組み込み済みのクリミアに加え、22年2月以降の今回の侵略でまだ一部を占拠したに過ぎないのにロシア議会が厚かましくも早々に自国領土に加えた東部・南部の計4州の相当部分、あるいはすべての領土をロシアに引き渡すという、ロシアの意向に沿う〝和平案〟だったのに間違いない。領土に関してはいささかも譲歩するつもりはない、というゼレンスキーの回答は、領土は国の核心的利益にかかわる問題であって1ミリの譲歩の余地もない、と台湾問題でかねがね吠えまくっている手前、習の使いとしても、尻尾を巻いてすごすごと国に帰る以外の道はなかった。

役者同士の初顔合わせに見所

 ゼレンスキーは続けて、多分ロシア正教会の大司教から泣きつかれたあげくなのだろうが、似たような〝案〟で和平工作に動く気配を見せていたローマ法王を訪ねて、クギを刺した。その足でさらに、支援の強化を求めてイタリア・フランス・ドイツ・イギリスを歴訪していったん帰国。間もなく、これはアメリカが仲介したのだろうが、サウジアラビアのダッカで開かれているアラブ連盟の首脳会議に臨み、明白にロシアの追随者であるシリアや南アフリカの前で決然とウクライナの基本的立場を表明し、その足で広島に飛んだ。

 G7では、アメリカの目前でイタリア・フランス・ドイツの支援策に念を押すこと。いままで交流が薄かったアラブ世界との顔合わせを済ませている実績を踏まえて、韓国・オーストラリアとも直接の首脳会談で支援を取り付けること。グローバル・サウスとの意思疎通ルートを確立し、ことに彼らの中核的存在であるインドとの関係を構築すること、が主な目的だ。

 インドのモディ首相との顔合わせは、なかなかの役者同士の初顔合わせだけに、多くの見所があった。インドというとガンジー、ネールいらいの理念型の政治家を連想しがちだが、経済大国化しつつあるインドを象徴する企業家でもあるモディは、ウクライナ侵略に対する経済制裁の影響で販路が狭められているロシア産原油を安価で大量に輸入する一方で、ゼレンスキーに対しては支援の列に加わることを明確に表明。サミットに先立って開催された日本・アメリカ・オーストラリアとインドの4国のクアッドで、アメリカとの関係を強化している姿を、改めて印象づけた。

ブラジルは会談するまでもなし

 そのアメリカのバイデン大統領は、広島からの帰途パプア・ニューギニア訪問を予定していた。しかし国債発行が嵩む中で新予算の編成に不可欠の議会による債務上限設定に関して共和党との折衝がもつれ、訪問を中止して帰国を急がざるをえなくなった。モディはそれを補う役割も意識したと思わせるかたちでパプア・ニューギニアを訪問し、周辺の南太平洋の島嶼国を含めた一帯の振興組織の結成を提案。さらに今回のサミットで大統領と直接会談したオーストラリアを初訪問して大歓迎を受けることで、インド・太平洋国家としての立ち位置を強く打ち出した。こうしたモディの姿勢が、南太平洋への進出を強めていた中国にとっては極めて目障りな、しかし日米にとってはまことに心強いものに映ったことは、明らかだ。

 ゼレンスキーに話題を戻し、彼はインドと並んで今回のG7サミットに招かれていた、グローバル・サウスのもう一方のリーダーと自負するブラジルのルラ大統領との会談は、ベトナムとのそれとともに、時間のやりくりがつかなかったという口実で、平然とパスした。ブラジルはこの春の大統領選挙で、南米のトランプといわれていた親米右派の暴れん坊の前大統領から、前回の選挙で彼に追い落とされた反米左派の元大統領のルラが復活した直後だ。再登場したルラは、もともと旧ソ連の〝信者〟で、前回の大統領時代からロシアべったりと定評がある。ウクライナ問題でも復活早々、ゼレンスキーはクリミアを放棄してロシアと和平すべきだ、と主張したといわれていた。ベトナム戦争やその後の共産中国との中越戦争を反映する反米・反中で、ソ連ーロシアに一貫して近いとされているベトナムとともに、ブラジルとは会談するまでもない、と判断したのだろう。

今回のサミットの狙いは3点

 そもそも今回のG7サミットの狙いは、3点にしぼられていた。第1は、当然のことながら世界最初の原爆被爆地である広島で開催するサミットとして、それも現にプーチン・ロシアが侵略を仕掛けたウクライナでの大苦戦で血迷い、場合によって核兵器の使用も辞さないと公然と口走って、核脅迫を重ねる状況のもと、理念・理想としての核兵器全面廃絶の旗を高く掲げ続ける一方で、当面の差し迫った現実的課題を直視して、いかなる形でも核兵器の使用は絶対に認めない、という断固たる意思を、〝法に基づく自由で開かれた国際秩序〟を守り抜く、というG7の基本理念の名において宣明することである。

 第2は、そのプーチン・ロシアのウクライナ侵略は国連憲章にも国際法にも反する行為であり、これによって生じている戦乱はクリミアを含むウクライナの領土からロシア軍が完全に退去し、侵略中に拉致してロシアに連れ去ったウクライナの子供たちや捕虜になっているウクライナ兵の完全な解放―帰国が果たされ、またプーチンの指揮するロシア兵がウクライナ各地で犯した民間人の殺害や婦女暴行・住宅破壊や略奪などの戦争犯罪が正当に摘発され処罰されなければ終結しない、というG7各国の意思を明らかにしたうえで、現に行われている対ロシア経済制裁をより一層強化するとともに、中国を含むG7以外の国々に対して、同調することを強く呼びかけた点である。

 そして第3に、国際法・国際的に確立された航海や通商のルールを無視して独断的・独善的に振る舞う姿勢を露骨に示し、勢力圏拡大を図る習近平・中国に対して、G7各国と共通の普遍的なルールのもとで行動して、互いに利益を分かち合うよう、またプーチン・ロシアの対ウクライナ侵略に対しては国際社会の主要な一員として毅然とした姿勢で臨むように、強く求めたことである。

 それぞれに関して、若干付言しなければなるまいが、第1点ではサミット開会前日に行われた岸田首相とアメリカのバイデン大統領との会談で、核の傘を含む日米同盟の確認・強化で一致した点を捉えて、こうした姿勢は核廃絶の理念と矛盾する、という理念の宣明と現実敵な対応の区別もつかない幼稚な議論が、一部のテレビや偏向新聞などで罷り通っていたのには呆れ返った。核保有国のアメリカ・イギリス・フランスが核廃絶を謳ったG7声明に加わるとはこれいかに、という調子の紋切り型の新聞記事やテレビ・コメントも少なくなかった。

はしなくも露呈された左翼偏向

 これらに共通するのは、現に暴発の危険が迫っているロシアや、いまなお核兵器の大量増産を続けている中国に対しては、目をつぶる姿勢である。それに、かねがねマスコミが持ち上げたがる招待国のインドだって核保有国なのだ。左翼偏向が染み込んでいる多くの新聞・テレビやその記者・出演者の本性が、はしなくも露呈されたというほかない。

 当面の問題がプーチン・ロシアと習近平・中国にあるのは明白な事実だろう。その状況を脇に置いたまま、上から目線であらゆる機会を捉えて読者・視聴者を反米・親中ロの路線に誘導しようとするのが左翼偏向マスコミの正体であり、いままで横行してきた一部の被爆体験を売り物にする左翼反核運動屋の正体なのだ、といわれても仕方なかろう。

 彼らの偏向した視線は、G7首脳が揃って行った原爆慰霊碑への献花・拝礼や原爆資料館の視察・被爆者との面談に対して、やれ時間が短かすぎるとか、やれ長らくこの問題で中心的な役割を担ってきた被団協=被害者団体協議会を疎外していたのはおかしいとか、と難癖をつけたがる姿勢とも直結していた。今回そうした言動を公の場では封じ込めたあたり、事情を熟知する地元出身政治家・岸田の真面目と評価していい。

 無作法に周囲をうろついてライトやシャッター音で儀礼や見学を妨害したり、そうして得た素材だけを材料に毎度同じ偏向視点のコメントを並べたりするテレビを、各国代表団の視察現場から排除したこと。全部ではないとしても、一部には〝アメリカの核は人殺しの核、ソピエトや中国の核は平和を守る核〟と公然と主張してきた徒党を含む、被団協メンバーを被爆者を代表する存在として扱わなかったこと。平和公園の一角にある、2歳で被爆して10年後に白血病を発症、入院先のベッドで快癒を祈って鶴を折り続け、千体まで折ったところで力尽きた少女を悼む、直線で示された大きな折り鶴を掲げる少女像の前で、岸田自身が各国首脳に由来を説明したこと。資料館の元館長夫人で80歳を超えて英会話を磨き直し内外で被爆体験を語り続ける女性が、各国首脳に対してただ一人で静かに資料館の収蔵品の説明を自身の体験に即して語ったこと。これらも総じてよく配慮されていたと評価される。

拉致問題と関連づけた議論は皆無

 G7首脳や招待国首脳がそれぞれまとまって原爆慰霊碑・資料館や平和公園を訪れたのと違って、単独で訪れたゼレンスキーが、原爆で一瞬のうちに焼き尽くされた広島と連日爆弾の雨を受けたバフムトを、一緒にすることはできないが、と断ったうえで、いまウクライナの多くの町は資料館で見た被曝直後の広島の写真と同じ状態にある。しかし広島が廃墟からいま見るような美しい町になったようにウクライナも必ず町々を見事に復興させる、と記者会見で語ったのには、もちろんその際には援助をよろしく、という意図が含められているにしても、78年前に東京で2度も焼夷弾の雨の中を逃げ回って辛くも生き延び、すぐそこに母子の焼死体が放置されたままの焼け跡の防空壕という名の穴蔵でしばらく暮らした少年である筆者の身には、迫るものがあった。やはり集団とは別に訪れた韓国大統領夫妻が、岸田夫妻と共に、日韓首脳夫妻が揃って韓国人被爆者慰霊碑に参拝した姿も、印象的だった。

 第2点の、プーチン・ロシアに対するG7の基本姿勢に関する問題については、すでに多くを触れてきた。ただ、ゼレンスキーが平和回復に関する10項目の絶対要件として示した項目のうち、ロシアが占領地から連行つまり拉致したウクライナの子供を〝養子〟としてシベリアなど辺境の子のない家庭に割り振り、いずれはよくても家内労働力、場合によっては兵士として〝活用〟しようと企んでいる点について、北朝鮮による日本人拉致問題と関連づけて取りあげた議論が、テレビにも新聞にも週刊誌にもいっさい見かけなかったのには、呆れ返らざるをえない。裏返しにいえば日本のマスコミにとって拉致問題は、欧米の奴隷問題ともナチス・ドイツの民族浄化にもつながる、人類史上に古くから存在する国家的・民族的悪行の一環というよりは、いわゆる市井の〝人さらい〟の一例としてしか認識されていないのではないか、というふうに受け取られても、仕方あるまい。

中国への対処こそ最重点

 今回のサミットで最も重点に据えられていたのは、だれの目にも理非曲直が明白で、少なくともG7各国の間では観点も対処姿勢も確立されているプーチン・ロシアに対する問題よりも、実は対習近平・中国への対処だったといっても、間違いあるまい。この背景には、東南アジアからインド・太平洋全体に向けて存在感を強め、それに伴って横車を押しまくって地域のトラブルメーカーになっている習・中国に向ける、アメリカ・イギリス・日本に準加盟国といえるオーストラリアなどの視線と、経済・通商での強い利害打算が先に立って中国の振る舞いが引き起こす遠いアジアの問題には無関心なフランス・ドイツや、やはり準加盟国的存在の韓国などの視線との、基本的な違いがあったことは、否定すべくもない。

 対ロ姿勢を示す第2点と対中問題に絞った第3点で、今回のG7声明のトーンが著しく変わっていることは、だれの目にも明らかだろう。前者はG7各国が力の限りの声を上げた対ロ糾弾シュプレッヒコールといってもいささかの誇張もない一致した勢いで、事態収拾の要件をロシアにプーチン体制が続いている限りは到底受けいれられるはずもないという厳格なラインを引いて提示した。少なくともプーチン・ロシアが、この調子ではG7各国は内心で政権転覆を画策しているな、と感じ取ったとしても不思議はない、苛烈さを明確に打ち出していた。

 これに対して中国に向けたG7各国の視線、声音は、一致しているという感じからは遠く掛け離れたものだったことは否定すべくもない。たしかに習・中国の対ロシア姿勢に関しては同調・容認・黙認することはもちろん、単なる上辺だけの批判では不十分であって、経済制裁の列にも加わるように太いクギを一本、はっきりと刺した。しかしこの点に関しても、いいおいただけ、という印象を免れず、どうせ彼らはやるはずはないんだからこの際いうべきことだけはいったという状況を残して置こう、という底意が見え見えだった。

経済問題では内部の意見は分裂

 経済問題になるとG7内部の意見の分裂は明らかで、中国の古くからの伝統商法といっても過言でないニセモノづくりから特許・意匠登録の公然たる侵害、さらに習体制になってから激増している輸出電気機器に仕込んだ盗聴装置によるさまざまなライバル国の情報窃取や、不当な競争手段による市場荒らし、世界の供給体制に大きな影響を与えるほどに拡大した製品や部品・あるいは資源まで政治的に供給をコントロールして自国の利益・利害を確保しようとする、共産主義国だけが可能な〝政経一如〟の手口など、本来は取り上げられて然るべき大きな問題点がたくさんあるにも拘わらず、それらについて自由経済の立場からきちんと言及され、追及される側面など、カケラほども見受けられなかった。

 経済に関してこのセッションの声明では、対ロ制裁の強化を求めたのを例外とする一般的な経済関係については、デカップリング=分離は考えず、ディリスキング=互いに補いあう併存・両立関係を築くように務める、という甚だ微温的な表現に止まった。

 この部分の表現は、実は準メンバーとして広島に出席していたフォン・デア・ライエンEU委員長が提唱し、各国に対し裏面で根回しに根回しを重ねることで、なんとかまとめあげた線だったといわれている。その背景には、今回のG7の直前に北京に〝表敬訪問〟に出向いたとしか思えないフランスのマクロン大統領が、現地での記者会見で中国の対台湾政策に関連して、〝われわれの立場はアメリカとは違う〟と迎合的リップサービスといわれても仕方のない無意味な発言をしたことが、マスコミを通じて日本やアメリカで問題化し、当のフランスをはじめEUも、事態収拾に追われる中でG7を迎えたという特殊な事情があったことは、明白だ。

あられもない、最近の独仏

 アメリカや日本は、G7の対中セッションでの声明の中で、対ロシア姿勢で示した中国に対する視線とも関連して台湾問題についても踏み込んだ内容を盛り込むことを考えていたに違いないし、前記したような国際的に確立した商慣習・通商秩序を無視した中国の独善的・利己的な行為に対しても、厳しく言及することを期していたのではないか。そういう点から見ると、〝失言〟で自粛したのかG7の舞台では小さくなっていた印象のマクロンを裏に回らせて、フォン・デア・ライエンが取りまとめたとされる声明のトーンは、明らかに習近平にとって、一息つける余地を与えたといえるのだろう。

 G7各国の間に見られた対ロ・対中の基本姿勢の差には、当然のことながら地理的な感覚の違いもあると思われる。狭い海峡とはいえ、一応は海という自然の防壁を持つイギリスと違って、陸続きで歴史的にも互いに矛を交わした覚えがあるフランス、ドイツにとっては、ロシアがウクライナに攻め込んだというのは町内の2、3軒先が強盗に襲われたのに似た感じの衝撃だろう。ヨーロッパとは違い離れているといっても、アメリカは米ソ対立の記憶は鮮明だし、日本は先の大戦で不可侵条約を結んでいたにもかかわらず一方的に破棄され、事実上対米敗戦が決まったあとに火事場泥棒式に宣戦されて、北方領土を強奪されたという過去がある。北極海を挟んで実は対面する関係にあるカナダを含め、対ロ姿勢で一致することは至って容易だ。

 これに較べてヨーロッパの国にとって、日本もそうかもしれないが中国はうんと遠いアジアの、文化的にも生活流儀でも全く異質なお伽噺の中にあるような国で、最近は急に経済的に大きな存在になっているらしくカネ儲けの対象には悪くない、という程度の印象しか正直なところ、なかったのではないか。

 フランスやドイツの最近の動きは、日本を昔エコノミックアニマルなどと呼んでいたのはどこのどいつだ、と怒鳴りたくなるほど、あられもないものだった。ウクライナ侵略の初期段階では、ロシアからの天然ガスのパイプラインにエネルギー供給の主要部分を頼っていて、新設した海底パイプラインの稼働もはじまったばかりだったドイツのシュルツ政権など、腹の中でプーチンと同様にごく短期間でカタがつくと考えていたのかもしれないが、どっちつかずの姿勢を取って、みっともない限りだった。マクロンの北京訪問や現地での不用意発言も、ロシアが駄目になったから対中輸出に頼りたい一心だったのだろう。

 尤もそのドイツは、最近は中国の工場・資金の引き揚げを急いでいるといわれる。アニマルはアニマルらしく、危機察知本能が強く働き、いまの習・中国の体質が変わらなければもはや付き合うのはヤバイ、逃げるに如かず、と思ったのではないか。日本の経済界もその逃げ腰の早さは見倣うべきだ。

(月刊『時評』2023年8月号掲載)