お問い合わせはこちら

『日本列島改造論』出版50周年記念回顧録/小長 啓一

ビジョン、ミッション、 パッションが集約

 そして出版後、社会現象とも言うべきベストセラーとなったのは周知のとおりです。ことに、本書の「序にかえて」と「むすび」は田中さんの直筆で躍動感にあふれており、田中さんのビジョン、ミッション、パッションが集約されています。

 一部を抜粋すると、ビジョンに関する部分は『都市集中の奔流を大胆に転換して、民族の活力と日本経済のたくましい余力を日本列島の全域に向けて展開することである。工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速自動車道の建設、情報通信網のネットワークの形成などをテコにして、都市と農村、表日本と裏日本の格差は必ずなくすことができる。』

 次にミッションについては『敗戦の焼け跡から今日の日本を建設してきたお互いの汗と力、智恵と技術を結集すれば、大都市や産業が主人公の社会ではなく、人間と太陽と緑が主人公となる人間復権の新しい時代を迎えることは決して不可能ではない。』

 最後はパッション込みの感動的な結びとなっていいます。『私は政治家として25年、均衡がとれた住みよい日本の実現を目指して微力をつくしてきた。私は残る自分の人生を、この仕事の総仕上げに捧げたい。そして日本中の家庭に団らんの笑い声があふれ、年寄りがやすらぎの余生を送り、青年の目に希望の光が輝く社会をつくりあげたいと思う。』

 出版50年を機に、私も最近読み返してみましたが、過密過疎の同時解消、都市と地方の均衡ある発展という理念や政策、インフラ整備の必要性など、現在に通じる先見性が凝縮されていると改めて感じます。無味乾燥になりがちな政策論を、ご自身の体験に基づいた引用や特有の言い回しで表現されているので、書籍として全体的に説得力があるのでしょう。

今なお続く政治課題として

 現実としては、総裁選を勝ち抜き、田中内閣が発足したものの、地価上昇に見舞われ、ほどなく第一次石油危機の勃発などにより、『日本列島改造論』の構想自体は、2年半の田中内閣では一部しか実現しませんでした。が、しかし、その後、地方回帰の潮流の中で、松下電器が1県1工場を掲げ子会社も含めて各県に工場を設け、トヨタ自動車も東北・北九州に進出するなど、大手民間企業が思い切って地方に拠点を移してくれた例が少なからずありました。

 しかし、一度は傾きかけた地方への流れは、その後のグローバル化の波の中で、地方に出た企業が今度は海外に拠点を移すようになりました。過密・過疎の解消という点から見ると、残念ながら田中さんが描いた理念は志半ばで終わっています。そしてその後、「ふるさと創生」から現在の「デジタル田園都市国家構想」まで、さまざまな構想が各政権ごとに打ち出されてきました。50年前に田中さんが過密・過疎解消問題を掲げた時、インフラの主体は道路、鉄道、橋梁でしたが、現在はデータを蓄積するデータセンターやデータを送信する海底ケーブル、5G関連通信網、そして半導体がインフラ整備の重点となっています。そして50年前の過密・過疎の同時解消は、今なお解決が求められる政治課題として続いているのです。

 また防災の重要性など、むしろ半世紀後の現在こそ喫緊の対応が求められるテーマについて、本書で既に指摘している点なども注目すべきだと思います。田中さんは単なるアイデアを将来に向かって投げかけたのではなく、自分の経験に裏打ちされた提言として世に問うているわけです。例えば電源開発の問題にしても、戦後の占領軍時代に、水力発電は軍需に貢献したため賠償の対象となり、フィリピンあたりに移設しようという議論も持ち上がったのですが、それを聞きつけた当時駆け出し議員の田中さんは、占領軍の関係者の元へ乗り込み、「日本が戦争を放棄し平和国家を目指す以上、エネルギー源としての水力発電は不可欠である。また、ダムの貯水・治水機能は防災対策上、必要である」と説得し、賠償の対象外とすることに成功、これを機に電源開発促進法を作りました。それが後の黒部ダム等々の建設につながっていくこととなるのです。

実績が証明するリーダーの資質

 田中さんの言動から総括すると、リーダーに必要な資質は、次の四つ、すなわち、人間力、構想力、決断力、実行力、ではないでしょうか。

 人間力は、①総理になっても上から見下さず、膝をつき合わせて相手を思いやる、えらくなっても下から目線、②人に「やる気」を起こす、モチベーションを高める、③あの人のためなら力を貸そう、身を捧げようと思わす人間的魅力、④人の話をよく聞く「聞く耳」を持つ、⑤言葉が平易で分かりやすいコミュニケーション力、⑥人一倍汗をかき努力する「努力なくして天才なし」、⑦縁を大事にする等に凝縮されています。

 構想力は、今まで述べてきた「日本列島改造論」が典型例でしょう。ガソリン税を道路建設のための特定財源にしたことも構想力の所産でした。

 決断力は、政界を二分する大論争がある中で決断して、中国へ出かけ、毛沢東首席、周恩来首相らとの厳しい交渉の末、まとめ上げた「日中国交正常化」が最高のレガシーでしょう。

 実行力は、①郵政大臣時代のテレビ局の一括免許、②大蔵大臣時代の倒産の危機にあった山一證券に対する日銀特融、③通産大臣時代の日米繊維交渉、④総理大臣時代の資源外交など枚挙にいとまがありません。

 先ごろ亡くなられた石原慎太郎氏が生前語っていたのは、「自分は政治家としては反・田中だったが、一作家として戦後の政治を振り返ってみると、すばらしい業績、成果に加え、諸制度や枠組の構築にこれほど貢献した政治家はいない」と、その思いを筆にされたものを『天才』(幻冬舎)として5年前に出版しています。

改めて問うべき、政と官の関係性

 『日本列島改造論』が出版されて50周年というこの節目は、政と官のあるべき関係や、組織における人の有りようを問い直し、検証する機会でもあると言えるでしょう。

 今思うと、私も含めて『日本列島改造論』作成プロセスにおける通商はじめ他省庁の関係部局の官僚は、田中さんの呼びかけに対し、皆ほぼ即決・即答でした。これはひとえに田中さんの日頃からの人間関係構築力、他を惹きつける人柄の所産には違いありませんが、同時に、政と官の役割分担、そして国家目的達成に向けて一体感があったからだと思います。官僚に対しても決して上から目線で指示命令するのではなく、説得ベースで相手を納得させることを信条としていました。それは先述した、占領軍に対する水力発電の例に見られるように、田中さん自身の卓越した交渉術によるものです。

 現在、一部に「政治主導」の名の下、一方的に官僚に対して指示をし、従わなければ「人事」でという動きがみられますが、本来は「上意下達」と「下意上達」とのバランスを取ることが必要です。政官には役割分担があります。政は民意の代表ですから、最後の決定、責を負う立場です。官は行政の専門分野のエキスパートとして、それを政に伝え、判断の材料を提供する。意見が違った場合は、徹底的に議論する。合意が得られない時は政に従う。このような役割分担を双方が認識し、尊重するということではないでしょうか。

 田中さんの場合は、そうした政官の役割分担が徹底していました。当時、われわれ官僚が専門的知見に基づいて種々説明申し上げると、「君たちはやはり世界最高のシンクタンクだな」と、言葉をかけてくれたものです。官僚も人間ですから、お世辞とはわかっていても仕事ぶりを称えられて悪い気がするはずありません。ならば、次ももっと頑張ろうと考えるのが自然です。人のやる気を引き出し、仕事への意欲を向上させる達人でもありました。官僚としては自分たちの知見や法案が、大臣の国会答弁などの場を経て、成就していく過程を見るのは、まさに仕事のやりがいを感じる時ですから。

 そう考えると、田中さんのようなコミュニケーションの取り方は、政と官の関係のみならず、また官民問わず、組織における人材活用の基本と言えるのではないでしょうか。 
                                             (月刊『時評』2022年6月号掲載)