
2026/08/05
国内外とも厳しさを増す社会情勢の下、公正取引委員会の活動は多岐・複雑化を極めている。近年の主要テーマである巨大プラットフォームへの対応に加え、取適法に基づく適切な価格転嫁推進などその活動領域は幅広い。その最終的な目標は日本の成長に向けた、イノベーションの促進にある。近年、新規立法・法改正を相次いで打ち出し、競争政策を積極的に展開する公正取引委員会の最新動向を、茶谷栄治委員長に語ってもらった。
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三つの柱から成る、新たな役割
森信 公正取引委員会は年々、活動領域を拡大しているように思われますが、先ごろ「イノベーションの促進に向けた競争政策の積極的展開」という形で、主たる活動内容を整理されたそうですね。
茶谷 はい、少子高齢化が進行し、人口減少局面に移行する中で、持続的な経済成長を実現し、国際経済の中で競争力を発揮していくためには、イノベーションを促進し生産性を上げ、それによる経済の成長と国民生活の向上を図ることが求められています。
また、その過程で生み出された付加価値を適正に分配するという、公正な取引環境の確保も公正取引委員会には強く求められていると思います。
日本経済は、AIの発展をはじめとするデジタル社会の急速な進展や、GX(グリーントランスフォーメーション)の推進、そして地政学的リスクの高まりによる経済安全保障をめぐる問題等、急速な変化に直面しています。こうした変化に適時的確に対応しつつ、また、規制と社会の実態に乖離が生じていないか、常に検証を行い適切な対応を重ねながら市場環境の整備に臨むためには、ステークホルダー等との緊密な対話がこれまで以上に重要になります。
このような経済状況において公正取引委員会に求められる役割や施策の方向性を整理し、今年の1月に公表したのが、「イノベーションの促進に向けた競争政策の積極的展開」です。その根底にある基本的な理念は、イノベーションの促進に向けた競争政策を通じて、日本経済の持続的成長と豊かな国民生活の実現を図ることです。この中では、公正取引委員会の施策を「取引適正化による公正な取引環境の確保」「対話を通じた市場環境の整備」「厳正な法執行」の三本柱に整理しています。これら三本柱に基づく各種施策を具体化し、実施していくことで、強い日本経済の実現を目指すという構図になります。
森信 ご指摘された理念の具体化過程で、〝付加価値の適正な分配〟との言及がありましたが、従来の公正取引委員会の活動に照らすと、この点は新たな着眼のように感じました。これは価格転嫁の問題も含まれているのでしょうか。
茶谷 そうですね、昨年5月に下請法等改正法が成立し、取適法こと「中小受託取引適正化法」が本年1月から施行されました。同法の迅速かつ効果的な執行により、サプライチェーン全体の価格転嫁を進めていくことが、適正な分配という観点からも非常に重要です。価格転嫁が進めば、それが中小企業における賃上げや生産性向上のための原資となるからです。
また取適法とは別に、発注者と受注するフリーランスとの間の取引適正化を図るため、23年にフリーランス・事業者間取引適正化等法が成立し、24年11月1日に施行され、積極的な運用を行っています。
適切な価格転嫁で生産性向上を
森信 ではまず、一つ目の柱である「取引適正化による公正な取引環境の確保」についてお尋ねします。
巷間、日本の中小企業は生産性が低いなどと言われますが、その主因は中小企業を中心として適切な価格転嫁が進んでいないからだ、との指摘もあります。
茶谷 そのような指摘があることは承知しております。生産性において価格付けが大きな要素であるのは言を俟たず、中小企業が生み出す付加価値が取引において適正に評価されることは、取引適正化を図る上では非常に重要なポイントです。
森信 これまで中小企業に適切な価格転嫁が為されてこなかった主な理由といいますと? やはり長く根付いた日本の商慣行によるものでしょうか。
茶谷 それに加えて、この30年あまりは物価が上がらない中でコストカットによって利益を生み出すという傾向が続いており、その過程で、より弱い立場の事業者に負担が寄せられる構図が定着してしまったのではないかと思います。
森信 受注企業にコスト面でプレッシャーをかけ自社の利益を確保する、これがデフレを生む大きな要因との指摘もありますが、まさにこの点にメスを入れていくというわけですね。
茶谷 現在は物価も賃金も上昇局面に入りましたが、この機に一気に取り組みを進め、中小企業を含め産業界全体で適切な価格転嫁・取引適正化を新たな商慣習として定着させ、日本経済を成長させていきたいと考えています。
森信 経済全体が大きくなるためにも、生産性の向上も不可欠です。
茶谷 おっしゃる通りです。生産性を引き上げることで経済は成長します。その際、適切な価格転嫁を通じた生産性向上のための原資の確保によって、中小企業の方自身による生産性向上の取り組みも期待できるようになると思います。日本全体の生産性向上のためには政官一体となった取り組みが必要ですが、その中で公正取引委員会としては取引適正化において重要な役割を果たせるのではないかと考えています。
取適法による新たな法律違反とは
森信 ご指摘の通り、長期のデフレから急激にインフレが進行している現在ですが、この局面変化によって公正取引委員会のお仕事内容も新たに対応を求められる点などありますか?
茶谷 2022年のロシアによるウクライナ侵攻のころから、最初は原材料やエネルギーのコストが急激に上昇し、次いで労務費の上昇がこれに続きました。このようなコストの急激な上昇に応じた適切な価格転嫁がなかなかうまく進んでいなかったということで、公正取引委員会としても事業者名の公表など異例な取り組みも行ってきました。
この間の価格転嫁の状況を見ると、原材料とエネルギーコストは比較的転嫁しやすいのですが、労務費は転嫁が発注者側に認められにくい、という状況が認められました。
そうした状況を踏まえ、23年11月に内閣官房と公正取引委員会が連名で、「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」を取りまとめました。この指針では、労務費の適切な転嫁のために、発注者側、受注者側の双方が採るべき行動/求められる行動を12の行動指針として示したのです。策定以後、内閣官房とともに周知を続けてきました。
森信 内容としては、コストの内訳などを相手側に正確かつ説得力を持って伝える、といったことでしょうか。
茶谷 例えば発注者側から定期的な価格協議を行うよう求めたり、いざ協議に臨んだ際に受注者側に細かな原価の積み上げを求められたりしてしまうと、却って受注者側の負担となりますので、春季労使交渉の妥結額やその上昇率など、社会一般に表出しているような数字などを協議の場で適切に活用するべき、といったことを明記しています。
森信 その指針は実際に効果を上げているのでしょうか。
茶谷 公正取引委員会では、毎年大規模な価格転嫁円滑化に関する書面調査を行っており、その調査結果から、指針の認知度は継続的に上昇していることが確認されていますし、より一層の労務費の転嫁を進めるべく、行動指針に沿った行動を採らなかった発注者に立ち入り調査や注意喚起などを行っています。また、当該書面調査の結果を踏まえ、労務費以外のコストを含めて、多くの受注者から、あそこの企業は価格協議に応じてくれないとの声が寄せられた場合に、「個別調査」として当該企業について深堀りする調査を行い、その結果に基づき企業名を公表するなどしており、転嫁は確かに進んできています。
それに加えて、デフレからインフレへと経済状況が変わる中、より一層の取引適正化を進めるべく、今般の取適法の改正・施行となりました。法改正時の国会の附帯決議では、あまねく全国において適正な取引の確保が求められたこともあり、公正取引委員会の地方事務所に関しても、定員等を増員し、執行に努めているところです。
森信 下請法から取適法への改正ポイントは何でしょうか。
茶谷 主たるポイントとしては「協議に応じない一方的な代金決定の禁止」「手形払等の禁止」「運送委託の対象取引への追加」「従業員基準の追加」「面的執行の強化」になります。
まず、「協議に応じない一方的な代金決定の禁止」は、受注者側から代金に関する協議を求めたにもかかわらずこれを無視したり、あるいは形式的には協議の場を設けるものの実質的な協議は行わないといった行為が法律違反となります。従来から「買いたたき」という禁止行為がありましたが、コスト上昇局面において代金を据え置く行為に迅速かつ効果的に対処するため、このような代金決定のプロセスに着目した禁止行為を新設しました。
森信 手形払いなども改めて禁止になったのですか。
茶谷 旧下請法では発注者に対し、受領日から60日以内に支払うよう求めており、その上で60日以内のサイトの手形を切ることを運用上認めていました。しかしながら、この場合、受注者が現金を満額で受け取れるのは120日後となり、こうした支払期間の長期化が受注者側の資金繰りを圧迫しているとの問題点がありました。
そこで取適法では、手形等での支払いを禁止し、発注者は60日以内に現金相当額を受注者に支払わなければならない旨を定めたのです。
森信 そうすると手形そのものも今後なくなると?
茶谷 今年度いっぱい、つまり27年3月末時点をもって金融機関が扱わなくなるよう取り組みが進められていると承知しています。電子記録債権やファクタリングといった代替支払手段もありますが、いずれにせよ、60日以内に現金相当額で支払うことを明文化しています。
三つ目のポイントの「運送委託の対象取引への追加」の部分は、長時間の荷待ち、契約外の積み込み作業要請等、従来から指摘されてきた物流業界の問題への解決を図るものです。
もりのぶ・しげき 法学博士。昭和48年京都大学法学部卒業後大蔵省入省、主税局総務課長、大阪大学教授、東京大学客員教授、東京税関長、平成16年プリンストン大学で教鞭をとり、17年財務省財務総合政策研究所長、18年中央大学法科大学院教授。東京財団シニアオフィサー。著書に、『日本が生まれ変わる税制改革』(中公新書)、『日本の税制』(PHP新書)、『抜本的税制改革と消費税』(大蔵財務協会)、『給付つき税額控除日本 型児童税額控除の提言』(中央経済社)等。日本ペンクラブ会員。